1974年、4位に終わり、金田正泰監督が退任するほか、野田誠三オーナーと戸沢球団社長がそろって退陣した阪神タイガースから監督のオファーを受け、これを引き受けた、吉田義男(よしだ よしお)さんは、監督に就任してすぐ、トレード寸前だった江夏豊投手の残留を申入れたそうですが、江夏さんは、見事、期待に答え、開幕戦では完投し、吉田さんに監督初勝利をプレゼントしてくれたといいます。

「吉田義男は阪神監督第一期オファーをマスコミの人物から受けていた!」からの続き

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トレード寸前の江夏豊を阪神再建に必須だと球団に残留を申し入れていた

阪神タイガースの監督に就任した吉田さんは、すぐに、チームのプロ意識を高め、積極的に攻めまくる姿勢を持った機動力のあるチーム作りを目標にしたそうですが、そのため、まずは、江夏豊投手の処遇を巡って、自身の考えを貫くことにしたそうです。

というのも、1974年暮れ、阪神の監督に就任する際、阪神球団からは、「江夏をトレードに出す。そのつもりで」と言われたそうで、

(江夏さんは、奔放に振る舞って協調性を欠いていたうえ、体調管理を怠り、安定性を欠いていたのが理由だったそうです)

江夏さんは、プロ入り9年目を迎え、速球派の先発投手としては盛りを過ぎる時期に差しかかっており、確かに終盤の息切れが目立ち、401奪三振を奪った1968年当時の凄みはなくなっていたそうですが、

吉田さんは、江夏さんの制球力とスピリット(プロ根性)は阪神再建のためにはどうしても必要で、トレーニングさえ積めばまだまだエースを張れると確信していたことから、阪神球団に残留を申し入れ、了承してもらったのだそうです。

江夏豊に奮起を促していた

そして、吉田さんは、江夏さん本人にも、球団の江夏さんへの厳しい評価、残留までの経緯、吉田さん自身の大きな期待などを率直に伝えたうえで、

プロは力がすべてや。来年、結果が出なければ、トレードを覚悟してほしい

と、釘を刺し、奮起を促したのだそうです。

現役時代には江夏豊から自信と不安の両方を感じていた

ちなみに、吉田さんは、江夏さんが401奪三振の日本記録をマークした1968年のシーズン、セカンドを守っていたそうですが、マウンドの江夏さんからは、自信と不安の両方を感じたそうで、

江夏さんは、コンディションの良い時は自信満々、躍動感のあるフォームから、素晴らしい球威のストレートをコーナーいっぱいに決めたそうですが、コンディションが悪い時やピンチに陥った時は、ふと弱気な面を見せることがあったそうで、

そんな時には、吉田さんは、セカンドから、

強気でいけ!お前の一番いい真っ直ぐでいったれ!

と、叫んだそうで、精神的な後押しをしていたのだそうです。

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監督初勝利は江夏豊の完投勝ちだった

そんな吉田さんは、厳しい状況に置かれて心穏やかではないはずの江夏さんに、エースとしてのプライドを取り戻させ、全幅の信頼を寄せることが、自分の仕事だと思っていたそうですが、

迎えた1975年の開幕の中日戦では、江夏さんは、見事、吉田さんの期待に応え、6対5で完投勝ちをし、監督初勝利をプレゼントしてくれたそうで、

その夜、江夏さんは、宿舎で吉田さんの部屋に来て、涙を流したそうですが、吉田さんは今でもその涙を忘れることができないそうです。

「吉田義男は江夏豊に直接トレード話をしなかったことを後悔していた!」に続く

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