阪神タイガースの監督に就任すると、すぐに、江夏豊投手の再建に取り組んだという、吉田義男(よしだ よしお)さんは、同時に、「阪神相撲部屋」と言われるほどに太り過ぎだったベテラン勢の体を引き締め、俊敏な動きができるようにと、「走るチーム」を目標にしていたといいます。

「吉田義男は江夏豊に直接トレード話をしなかったことを後悔していた!」からの続き

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「走るチーム」を目標にして「阪神相撲部屋」を解消しようとしていた

阪神タイガースの監督に就任した吉田さんは、江夏豊投手を復活させることのほか、阪神を走るチームにするという目標を持っていたそうで、

甲子園での最初のミーティングでは、

みんな、入団した時のユニホームをそのまま着られる体を取り戻してもらいたい

と、選手たちに指示していたそうです。

江夏豊投手、田淵幸一選手、遠井吾郎選手、和田徹選手、藤田平選手らベテランは、相撲取りのように太っていたそうで、「阪神相撲部屋」と冷やかされる状況だったそうです)

田淵幸一の守備を巡り辻佳紀バッテリーコーチが退団していた

中でも、特に田淵選手は、肥満のせいで動きが鈍くなってキャッチングにも粗さが目立ち始め、辻佳紀選手兼任バッテリーコーチ(ヒゲ)が、マスコミに対して、田淵さんの守備を「怠慢だ」と、あからさまに非難したことがあったそうで、吉田さんが「外部に向かって言う前に、本人に注意するように」とたしなめたそうですが、

辻コーチは、聞き入れなかったばかりか、明治大学同期の一枝修平コーチのとりなしにも耳を貸さず、この年限りで退団してしまったそうで、

もともと、辻コーチは、1975年に吉田さんが自ら動いて大洋から招き、人気者の辻恭彦選手(ダンプ)と交換トレードしてまで獲得していたことから、とてもショックだったそうです。

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「スリム化作戦」で田淵幸一は体が引き締まりカモシカと言われるまでになっていた

そんな中、吉田さんは、トレーニングコーチとして、元3000メートル障害の選手で、洛陽工業高等学校体育教師の中川卓爾さんを迎え、選手たちを徹底的に走らせる「スリム化作戦」を進めると、

田淵さんなどは、体が引き締まり、強肩で俊足、まるでカモシカのようだと評されるまでになったのだそうです。

(ちなみに、当の田淵さんは、体重を増やして長打力をつけると言い出したそうですが、守りの要の捕手としてもチームを引っ張っていってほしいことから、有無を言わさずに走らせたそうです)

「吉田義男は掛布雅之の練習量と気迫に圧倒されていた!」に続く

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