1959年6月25日、プロ野球初の天覧試合(天皇が観戦する武道やスポーツ競技の試合)で先発を任せられたという、小山正明(こやま まさあき)さんですが、緊張のあまり、球が走らなかったそうで、5回には長嶋茂雄選手と坂崎一彦選手に、7回には王貞治選手にホームランを浴び、ルーキーの村山実さんと交代させられたといいます。

「小山正明は天覧試合で先発投手に起用されていた!」からの続き

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天覧試合では緊張のあまり球が走らなかった

天覧試合の当日、午後7時前、両チームの監督、コーチ、選手全員がグラウンドに整列し、貴賓席に現れた昭和天皇・皇后両陛下に一礼をしてから試合が始まったそうですが、

小山さんは、マウンドに立つと、十数年前の戦前のある日、自宅近くを菊の御紋がついた特別列車が通ることになり、日の丸の旗を持って線路の際まで行き、汽車の音が聞こえる前から最敬礼(最も深く頭を下げるお辞儀)し、音が聞こえてきても頭を上げることができなかったことが思い出され、緊張から、球が走らず、体がふわふわする感覚を修正することができなかったそうです。

(昭和天皇が観覧しているであろう、バックネットの真後ろにあるロイヤルボックスの方を、気になって何度も向いたそうです)


ロイヤルボックスから手を振る昭和天皇。

天覧試合では長嶋茂雄と王貞治に同点ホームランを打たれて交代させられていた

そんな中、3回表、阪神は、この試合初めてのランナー・並木輝男さんがノーアウトで一塁に出ると、次の打者・山本哲也さんのボテボテのショートゴロが結果的に進塁打となり、一死二塁に。

ここで、ラストバッターの小山さんに打席が回ってくると、小山さんは、カウント2-0からヒットを打ったそうで、二塁ランナーの並木さんがホームに帰ってきて、阪神がまず1点を先制します。

ただ、小山さんは、5回、長嶋茂雄選手と坂崎一彦選手に連続本塁打を許し、あっという間に2対1と逆転されてしまいます。


5回裏、長嶋茂雄選手から左越同点ホームランを打たれる小山さん。

それでも、阪神は、6回に3点を返し、2対4と再逆転。

しかし、小山さんは、7回にも、王貞治選手に同点となる2ランホームランを打たれてしまったそうで、田中監督から、「上ずった球がいっちゃったんだね」と言われ、交代を告げられたのだそうです。(4対4)

交代したルーキーの村山実が長嶋茂雄にサヨナラ本塁打を打たれて逆転負け

そして、リリーフには、この年、関西大学からプロ入りしたばかりのルーキーの村山実さんが登板したそうですが、

(小山さんは、監督の勝ちたい気持ちがあることに納得し、村山さんに「頼むで」と声をかけたそうです)

村山さんは、9回裏、長嶋茂雄さんに、カウント2-2からの5球目、インコース高目のストレートを左翼へサヨナラホームランされたそうで、阪神は、5対4と逆転負けしてしまったのでした。

(両陛下が退席される予定時間のわずか3分前の劇的一発だったそうです)


サヨナラホームランを放つ長嶋茂雄選手。

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天覧試合は野球人生の中で一番印象に残る試合だった

ちなみに、小山さんは、長嶋さんのホームランについて、

ベンチで見てた。完璧なホームランやった。一番よく分かるのは、捕手か三塁手。その2人が何も言わんと引き揚げたからね

と、絶賛するほか、

プロ野球人気が国民の間で飛躍的に高まったきっかけとなったと言われるこの天覧試合で先発を任されたという誇りを、今まで一度たりとも忘れたことはないそうで、

負けたけれどもいい試合だった。現役生活の中で、野球人生の中でいちばん印象に残る試合だったね

と、語っています。

(お父さんからは「残念やったな」と声をかけられたそうです。また、頂いた恩賜の煙草は、お父さんに渡したそうですが、お父さんは、天皇陛下から賜った品物ということで、しばらくは吸うことができなかったそうです)

「小山正明は王貞治を抑える為にパームボールの練習をしていた!」に続く

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