阪神タイガース入団2年目の1975年、山内一弘打撃コーチによるレベルスイングの徹底指導を受け、1年目の成績を大きく上回った、掛布雅之(かけふ まさゆき)さんは、入団3年目の1976年は、さらに前年を上回る、打率3割2分5厘、27本塁打、83打点の大活躍で、ベストナインに選ばれます。

「掛布雅之が若い頃は山内一弘からレベルスイングの猛特訓を受けていた!」からの続き

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阪神入団3年目は3割2分5厘,27本塁打,83打点の活躍でベストナインに選ばれていた

入団1年目の1974年オフは無休で練習し続けたという掛布さんは、入団2年目の1975年は、山内一弘打撃コーチの指導のもと、1年目を大きく上回る成績を残しているのですが、

3年目の1976年には、6番・サードで定着し、さらに前年を上回る、打率3割2分5厘、27本塁打、83打点という大活躍で、この年(1976年)のベストナインにも選ばれます。

阪神入団3年目は野球が楽しくて仕方なかった

ちなみに、掛布さんは、

プロでは通用しないと思っていた自分が、だよ。同じベンチには田淵(幸一)さんがいる。しんどかったけど、それ以上に野球をすることが楽しくて仕方なかった

と、語っているのですが、

この頃、憧れていた長嶋茂雄さんが巨人の監督で、王貞治選手と同じグラウンドに立っていることも信じられない思いだったそうです。

テレビ出演料などで約1000万円稼ぐも、野球で稼いだお金ではないと複雑な気持ちになっていた

そんな掛布さんは、1976年オフの契約更改では、年俸は400万円から1000万円に上がったほか、オフはテレビ出演やサイン会などで多忙を極めたそうで、出演料は封筒に入れたまま寮のベッドの下に置いていたそうですが、

(それまで、バットやグラブなどの用具代が支払えず、「出世払い」と言ってメーカーの担当者から逃げ回っていた生活が一転したそうです)

年末、千葉の実家へ帰省する前、寮長から銀行に預けておくよう促され、封筒のお金を銀行に入金したそうですが、預金通帳に記載された数字(約1000万円)を見た時、

これって、本当に俺のお金なんだろうか。グラウンドの中で稼いだお金じゃないよなあ

と、複雑な気持ちになったそうです。

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足元から這い上がって来るような恐怖を振り払うため練習に打ち込んでいた

また、メーカーとは用具契約を結び、お金を支払う立場からもらう立場になり、幼い頃に遊んだスキーや興味のあったゴルフも、「やる」と言えば用具が揃うなど、周囲の対応が180度変わったそうで、

これでいいんだろうか

と、自問すると同時に、

この生活を手放したくなければ、来年も野球で結果を残すしかない

と、足元から這い上がって来るような恐怖を感じたそうで、

その恐怖を振り払うため、練習に打ち込んだのだそうです。

ちなみに、掛布さんは、その時の気持ちを、2022年のインタビューで、

(1976年)21歳であの数字(打率.325、本塁打27本)を残して、マスコミにもファンにも注目していただけた自分が来年も同じような数字を残せるのか?と不安でした。

1年間だけの実績なんてたかが知れてますから。本当に阪神のサードのレギュラーを掴むにはあと1~2年はいい成績を残さなければならない。そう思い、野球の本当の怖さを感じたんです。

だから、3割を打てた年が終わるのがイヤでしたね。大晦日の「紅白歌合戦」がずっと終わらないでほしかったくらい(笑)。年明けからキャンプもずっと怖いと感じていました。

と、語っています。

「掛布雅之は入団5年目の球宴で3打席連続本塁打を記録していた!」に続く

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