1994年オフには、来季も監督続投のつもりが、球団側から退任に追い込まれたという、森祇晶(もり まさあき)さんは、1998年9月にも、巨人・長嶋茂雄監督の後任に決まりかけたところで、直前で破談されているのですが、2000年10月、横浜ベイスターズの監督に就任すると、就任会見では、権藤博前監督の采配批判ともとれる発言をしています。

「森祇晶は秋山幸二の不倫スキャンダルを許すことができなかった?」からの続き

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現役引退後はCMにも出演

西武ライオンズでは、9年間の監督就任期間中、リーグ優勝8度、日本一6度という圧倒的な成績を残したにもかかわらず、1994年には、西武球団側から退任するよう追い込まれ、監督を辞任した森さんですが、

西武ライオンズ退団後は、NHKで解説者、日刊スポーツで評論家を務めるほか、1995年には、グリコ協同乳業「Bigヨーグルト健康」のCMに父親役として出演し、タレントとしても活動しました。

(息子役は岡田義徳さん、娘役はデビュー直後の広末涼子さんだったそうです)

巨人・長嶋茂雄監督の後任監督に決まりかけていた

すると、1998年9月には、巨人の長嶋茂雄監督がこのシーズン限りで勇退し、森さんが後任監督に就任することが報じられたのですが、

9月10日の夜、巨人のオーナーの渡邉恒雄氏が氏家斉一郎日本テレビ社長との会談の際、長嶋監督の続投を決めたことから、翌11日、森さんと交渉に当たっていた球団幹部がその旨を森さんに報告したそうで、

これに対し、森さんは、9月11日午後11時、NHK「ニュースイレブン」で、「こんな大騒動になって迷惑している。たとえ巨人から監督就任の要請があったとしても受け付けません」と語っています。

また、自宅に詰め寄せた報道陣に対しては、「交渉も折衝もなかった」と語っています。

(近しい人間には、「ハシゴを外された」とこぼしていたそうです)

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横浜ベイスターズ監督就任会見で権藤博前監督の采配を批判していた?

それでも、森さんは、2000年10月13日には、横浜ベイスターズの監督に就任しているのですが、就任会見では、投手陣の強化を急務に挙げるほか、横浜打線の特徴である「マシンガン打線」について、

(「マシンガン打線」とは、鈴木尚典選手やロバート・ローズ選手を代表とする、ミートやバットコントロールに長けた中距離打者による集中打を売りにした打線で、横浜は、1999年には当時の日本記録となるチーム打率.294を記録しています)

マシンガンという攻撃力は表立っているが、一本のヒットによる得点という意味ではリーグで一番効率が悪いのではないか。巨人の大砲にピストルで向かっていくのに、その巨人より犠打が少ないとは。

大砲を持っているように錯覚して戦っていたのではないか。バントが多いと言われるが、競り合ったらそれも武器。面白いとか面白くないとかではない。(捕手の)谷繁(元信)をもう一度叩き直していく必要がある。

と、バントの重要性を説きつつ、権藤博前監督の采配批判ともとれる発言をしています。

(横浜ベイスターズは、1998年には、権藤博監督のもと、大魔神・佐々木主浩投手を中心とする投手陣とマシンガン打線がかみ合い、38年ぶりの日本一に輝くも、1999年、2000年は3位に終わり、2003年シーズン終了後、権藤監督は4年の契約満了をもって解任されていました)

「森祇晶の横浜監督時代は2年目に最下位独走しシーズン途中に解任されていた!」に続く

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