清原和博さんが現役引退後の2016年、覚せい剤所持で逮捕されると、野村克也さんや広岡達朗さんは、1985年にドラフト1位で西武ライオンズに入団した当初から一軍で起用し続けた、森祇晶(もり まさあき)が甘やかしたせいだと、森さんに苦言を呈しています。

「森祇晶は清原和博を入団当初から一軍で起用し続けていた!」からの続き

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清原和博が現役引退後の2016年に覚せい剤所持で逮捕される

1985年にドラフト1位で西武ライオンズに入団した清原和博選手は、森さんがずっと一軍で起用し続けると、一時は低迷するも、最終的には、打率3割4厘、31本塁打で新人王を獲得し、

その後も、西武の黄金時代を支える存在となり、やがては、プロ野球界を代表する名選手となって、2008年に現役を引退しているのですが、

2016年2月2日、覚せい剤所持で逮捕されてしまいます。

野村克也のコメント

すると、野村克也さんは、

プロ1年目から俺の記録はいつか清原に塗り替えられるなと思っていた。こんな選手いない。ただ物足りなかった。野球選手に大事なのは判断力だが、清原のプレーからは状況判断をしているとか、頭を使っているとかが全く伝わってこなかった。

それで、清原が西武1年目か2年目のときに、俺は森に言ったんだよ。清原は野球に対する思想、哲学が何もない奴だ、天性だけでやっている。お前が悪い。ちゃんと教育しろって。野球の指導はコーチがやる。監督の仕事で大事なのは人間教育、社会教育ですよ。

野球は技術力には限界がある。その先は頭で考えるしかない。そこから先がプロの世界なんだよ。技術の先には頭脳と感性が必要なんだよ。でも清原は若いときに教育されていないから考えないし感じない。

人間の最大の悪は鈍感であると言うが、まさにそのとおりだよ。覚醒剤は悪いと知りながら手を出すのは鈍感以前の問題、バカとしか言いようがない。バカと同時にやはり若いときの教育だね。

と、語り、

別のインタビューでも、

清原はバカとしか言いようがない。プロに入ったときの監督は森でしょ?森が悪い

と、清原さんと共に森さんもバッサリ斬っています。

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広岡達朗のコメント

また、広岡達朗さんも、

西武の関係者によると、高校を卒業したばかりの清原の部屋は試合でもらった賞品で埋まり、訪ねてきた親がゴミ屋敷、いや賞品屋敷状態に驚いたという。

未成年のスターの鼻が天狗になるのに時間はかからなかった。清原の扱いにてこずり、将来を心配したコーチたちが森祇晶監督に「一度、社会常識などを厳しく教え込むべきではないか」と進言したが、森をこれを無視して放任したという。

それでも清原は、グラウンドでは主砲として活躍を続けた。11年間、ほとんどフル出場し、毎年20本台から30本台のホームランを打ち、西武黄金時代の8回のリーグ優勝と6回の日本一に貢献した。

この間、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞5回も獲得した。新人王以外のタイトルがなく、無冠の帝王といわれたのが不思議なくらいだ。

一方、人気と年俸はうなぎ上りを続け、西武時代の推定年俸は最高2億5000万円。超高級外車を乗り回して高級クラブに通うセレブスターは、お金の価値を忘れ、社会常識を忘れた。

私がよくいうように、監督は若い選手を実家の親から預かっている。野球の技術を教えるだけでなく、社会人として立派に育てる責任がある。賞品の山に埋まって奔放に暮らす清原をなぜ、監督は教育・指導しなかったのか。人気と金におぼれる清原を甘やかしたオーナー以下フロント、現場首脳陣の責任は重い。

と、語っているほか、

別のインタビューでも、

清原(和博)が今回、問題を起こしたのはプロ入団時にしっかりと教育できなかったことが、すべての始まりですよ。PL学園でスター選手として甲子園で活躍。ドラフトでは意中の巨人に入ることができず、西武に入団したわけだが、やはりまずしっかりと社会人としての常識を教えなければいけなかった。そして、プロ野球選手は何かということを。だから、清原だけを責めるわけにはいかないだろう。

清原に限らず、高卒でプロに入った選手はまだそういった教育を受けてはいない。入口できちんと教え込まないと、のちのち悪影響を及ぼしてしまう。特に清原は類稀なる野球センスで1年目から打率3割をマークし(.304)、31本塁打を放つなど、大活躍した。

確かに清原は技術面では非常に優れていたのは間違いない。オールスターか何かで見たとき、落合(博満)の打撃をいとも簡単にマネして、実に巧みに打っていたのに驚いたことがある。

しかし、すぐに結果を出したことで、球団、首脳陣が清原を甘やかしてしまったのが間違いだった。母親が清原の自宅の部屋に入ったとき、お金がそこら中に散らばっていたという話も聞いたことがある。

そのほかにも常識外のことは多々あったはずだ。野球人に一人も悪い人間はいない、というのが私の考え。だから、道を踏み外す危険のあった清原をきちんと正せなかった球団、首脳陣に問題があったのではないか。

その中でも特に当時の指揮官だった森祇晶監督の責任は大きかったのだろう。清原は森監督の悪口は絶対に言わない。それは清原にとって耳障りなことを口にしなかったからだろう。

森監督が野球だけではなく、立派な人間になるために必要なことをたたき込むべきだった。そのようなことを教育しておけば、清原も引退までに打撃3冠のタイトルを何か取っていただろう。あれだけの能力を持ちながら「無冠の帝王」のままで終わってしまったということは、そういった点にも理由があったはずだ。

と、語り、

やはり、清原さんと共に森さんを批判しています。

「森祇晶が清原和博を甘やかしたのは堤義明の厳命だった?」に続く


森さん(左)と西武入団発表時の清原和博さん(右)。

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