二代目市川亀治郎時代、伯父・三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さん率いる澤瀉屋一門を脱退し、フリーで活動していた時期があった、四代目市川猿之助(よんだいめ いちかわ えんのすけ)さんですが、従兄弟の香川照之さんに誘われる形で、「四代目猿之助」を襲名したといいます。

「市川猿之助(4代目)は澤瀉屋一門から不満を抱かれていた!」からの続き

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三代目市川猿之助とその実子・香川照之が40年ぶりに和解

実は、三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんは、女優の浜木綿子さんと結婚し、男の子に恵まれるも、その後、離婚し、男の子は浜さんに引き取られたため、三代目猿之助さんと男の子は40年もの間、絶縁状態にあったといいます。

その男の子というのが、俳優の香川照之さんなのですが、香川さんは、かねてから歌舞伎役者に憧れており、2004年に自身に子供(息子)が生まれると、一層、思いが強まり、息子を歌舞伎役者にさせたい(「猿之助」を継がせたい)と思ったそうです。

一方、三代目猿之助さんも、2009年に後妻の藤間紫さんを亡くして気落ちしていたそうで、ちょうど二人のタイミングが合い、父子は和解したのだそうです。

(かねてから、藤間紫さんの口添えもあり、香川さんが三代目猿之助さんの楽屋を訪ねるなど、徐々に雪解けが進んでいたそうです)

従兄弟の香川照之に誘われて四代目市川猿之助を襲名していた

それでも、三代目猿之助さんは、40歳を過ぎた香川さんに歌舞伎は教えられない(ましてや「猿之助」を名乗らせることはできない)と、香川さんの「澤瀉屋」入りに反対。

そして、澤瀉屋を脱退してフリーとなっていた甥の猿之助(当時は二代目市川亀治郎)さんに、四代目の襲名を持ちかけたそうです。

ただ、猿之助(当時は二代目市川亀治郎)さんは、「亀治郎」の名前を大切に思っており、当初は、「猿之助」襲名には興味がなかったそうです。

しかし、猿之助(当時は二代目市川亀治郎)さんがゲイで結婚をすることはなく、子供も作らないことを知っていた香川さんは、一旦、猿之助(当時は二代目市川亀治郎)さんに「四代目猿之助」を継いでもらい、その次の「五代目猿之助」を自身の息子に継がせようと、猿之助(当時は二代目市川亀治郎)さんに勧めたそうで、結果、猿之助(当時は二代目市川亀治郎)さんは、香川さんの話に乗って、四代目市川猿之助を襲名したのでした。

そして、香川さん自身も、猿之助さんの尽力により、「市川中車」を襲名し、念願の歌舞伎役者になることに成功したのでした。

(三代目市川猿之助さんも、全てを知った上で了承したそうです)

一方、次期「猿之助」と期待されていた市川右近さんは、立場が微妙になり、次第に影が薄くなっていったのだそうです。

3世代4人の襲名披露公演が行われた

こうして、2012年6月には、

  • 三代目市川猿之助 ⇒ 二代目市川猿翁
  • 二代目市川亀治郎 ⇒ 四代目市川猿之助
  • 香川照之 ⇒ 九代目市川中車(ちゅうしゃ)
  • 香川政明(香川照之の長男)⇒ 五代目市川團子(だんこ)

と、3世代4人の襲名披露公演が行われたのでした。

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三代目猿之助が後継者に血縁の二代目市川亀治郎を選んだのは圧倒的な実力の持ち主だったから

ちなみに、もともと世襲・門閥に囚われていなかったという三代目猿之助(現・二代目市川猿翁)さんが、最終的には、自分が見出して育てた役者たちよりも、血縁者である猿之助(当時は二代目市川亀治郎)さんを後継者に選んだことに、

芸能リポーターの川内天子氏は、

事件を引き起こしてしまいましたが、猿之助さんが圧倒的な実力の持ち主だったのは周知の事実。疎遠になっていた時期があったとしても猿翁さんは“この人しかいない”と考えていたはず。

周囲も異論を唱える人はいなかったでしょう。右団次(右近)さんも革新的でありつづける澤瀉屋を背負うのはきっと猿之助さんだろうと思っていたでしょうし、右団次の名跡を襲名できたことを喜ぶことはあっても、猿之助襲名をねたむには及ばない。

猿之助さんには、やったことがなくても演じられる、踊ることができる、生まれ持った強みもありますが、何より、環境に溶け込みつつ、顔芸など歌舞伎の手法も現代風にアレンジして表現する能力があるからドラマも映画も引く手あまたでした。猿翁さんは歌舞伎の門戸を広げましたが、結果として一番実力のある者が血縁だったということでは

と、身内かわいさということではなかったと語っています。

「市川猿之助(4代目)は香川照之の長男・市川團子までの中継ぎだった!」に続く

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