女優を辞めようかと悩んでいた折、小津安二郎監督に誘われ、「秋日和」に出演すると、その透明感あふれる演技と存在感が高く評価された、司葉子(つかさ ようこ)さんですが、今回は、司さんが語る小津監督のエピソードをご紹介します。

「司葉子が若い頃は小津安二郎に誘われ「秋日和」に出演していた!」からの続き

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「五社協定」にもかかわらず小津安二郎監督の力で「秋日和」に出演していた

1960年には、小津安二郎監督作品「秋日和」に出演し、高い評価を受けた司さんですが、当時、映画界には「五社協定」というものがあり、本来なら、「東宝」所属の司さんが「松竹」の映画監督である小津監督の作品には出演することができないところだったそうです。

(※「五社協定」とは、日本の大手映画会社5社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)が1953年9月10日に調印した、専属監督・俳優らに関する協定。後に日活が加わり、新東宝が倒産するまでの3年間は六社協定。1971年をもって五社協定は自然消滅。)

ただ、小津監督の力で出してもらうことができたそうで、当時の小津監督がいかに影響力があったかが伺えます。

小津安二郎監督は演技の手本を見せてくれて楽だった

そんな小津監督は、歩幅やセリフの音程が半音単位で決まっているなど、緻密な演出が特徴だったそうですが、すべて、小津監督みずからお手本を示してくれ、役者は、ただ、指示された通りにやるだけで良かったそうで、

司さんは、

すべて小津先生がお手本を見せてくれるので、私たち役者は何もしなくていい。癖のない真っ白な状態だったから、雇われたんでしょうね

と、語っています。


「秋日和」より。

(司さんは、翌年の1961年にも、小津監督の作品「小早川家の秋」に出演しています)

小津安二郎監督はオシャレで素敵なおじ様だった

また、衣装で使う着物も小津監督がすべて決めていたそうで、

司さんは、

奥さんはいないのに、着物にはお詳しかった。私もプライベートで選んでもらって仕立てましたけれど、舞台でも普段でも着られて便利なんです。

帽子も『おふくろが洗って、アイロンかけてくれるんだよ』って仰っていました。だから、いつも新品みたいだったんですね

と、語っており、

小津監督は、そのオシャレな見た目同様、やさしく、本当に素敵な男性だったそうです。


小津安二郎監督は白い帽子がトレードマークだったのですが、30個以上も白い帽子を持っていたそうです。

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映画「秋日和」で共演した原節子は少女時代から憧れの人だった

ちなみに、この「秋日和」で、司さんは原節子さんと共演しているのですが(原さんはお母さん役)、原さんとはこの共演をきっかけに親交を深め、2015年に原さんが他界するまで交流は続いたそうで、

もともと、原さんのファンで、少女時代には、「おそばに置いてください」とファンレターを出したこともあったという司さんにとって、この共演は夢のようだったそうです。

(原さんに直接そのことを言ったことがあったそうですが、原さんからは「(そういうのは)いっぱい来るからね~」と言われたそうです(笑))

「司葉子は黒澤明監督「用心棒」で本気で髪の毛を掴まれ振り回されていた!」に続く


原節子さんと司さん。

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