プロ入りの1969年から1985年の17年間で、通算2000本安打、通算500本塁打、通算200盗塁を突破する素晴らしい成績を残してきた、山本浩二(やまもと こうじ)さんですが、1986年のペナントレース終盤には、本塁打と思った打球がフェンス手前で失速するほか、持病の腰痛の悪化でフル出場も望めないことから、ここが潮時とこの年限りで引退することを決意したといいますが、それでも、この年の日本シリーズ第1戦では、西武・東尾修投手から起死回生の同点本塁打を打つなど、引退するには惜しい活躍をしています。

起死回生の同点本塁打を打つ山本浩二

「山本浩二は2000安打500本塁打200盗塁を大卒で達成していた!」からの続き

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山本浩二は1986年シーズンの終盤にはこの年いっぱいで引退することを決意していた

1986年、126試合に出場して、打率2割7分6厘、27本塁打、78打点という成績を残し、広島カープの5度目のリーグ優勝に貢献していた山本さんですが、実は、シーズン終盤には引退を決意していたといいます。

(阿南準郎監督と盟友の衣笠祥雄選手だけには引退のことを伝えていたそうです)

というのも、「行った」と思った打撃がフェンス前で失速するようになっていたほか、持病の腰痛が悪化し、もはやフル出場できる体ではなかったそうで、

(当時は、全試合に出てこそ4番と考えられていました)

この年、10月で40歳になるということもあり、ここが潮時だと思ったのだそうです。

山本浩二は引退年(1986年)の日本シリーズ第1戦では西武・東尾修に3打席封じられていた

さておき、広島カープは、同年10月18日には、広島市民球場に西武ライオンズを迎えて日本シリーズ第1戦を戦っているのですが、広島打線は西武の先発・東尾修投手の前に8回まで散発5安打に抑えられ、西武に2対0でリードされていました。

そんな中、9回裏一死で3番の小早川毅彦選手が東尾投手のシュートを右翼席へソロ本塁打し、2対1と1点差と迫ると、ここで、4番の山本さんに打席が回ってきます。

そこで、山本さんは、気合を入れて打席に入ろうとしたそうですが、西武ベンチからは森祇晶監督が出てきてマウンドへ向かったそうで、

山本さんは、心の中で、「代えるな」と叫んだそうですが、その思いが通じたのか、森監督は投手交代を告げずにベンチへ戻っていったそうで、山本さんは「しめた」と思ったそうです。

(森監督は東尾投手に「ホームランだけは気をつけろ」とだけ言ってベンチに帰ったのだそうです)

山本浩二は引退年(1986年)の日本シリーズ第1戦で西武・東尾修に3打席封じられるも4打席目は自信があった

というのも、山本さんは、これまで東尾投手に対し、スライダーを引っ掛けて遊ゴロ、スライダーが止めたバットに当たって投ゴロ、スライダーを空振りして三振と、3打席とも完全に封じ込まれていたのですが、この3打席でスライダーの軌道はインプットできていたうえ、

この季節の広島市民球場は北風が吹き、センター方向への打球は押し戻されるものの、ポール際の打球が伸びることが頭に入っていた山本さんは、技と技の勝負なら負けない自信があったのだそうです。

(もしピッチャー交代となると、速球が武器の渡辺久信投手が出てくるはずで、あと1週間で40歳になる山本さんには速球主体のピッチャーは厳しかったそうです)

山本浩二は引退(1986年)年の日本シリーズ第1戦で西武・東尾修から起死回生の同点ホームランを打っていた

そんな山本さんは、「外角低めのスライダーをライトポールぎわへ」と自分に念を押して打席に向かったそうですが、

(シュートを捨てるのは勇気がいったそうですが、スライダーを一振りで仕留めるには踏み込んでいくしかないと割り切ったのだそうです)

初球はなんと、ど真ん中のスライダー。

(待っていればホームランにできる球だったそうですが、踏み込むことで、外角低めを真ん中に設定していた山本さんには、内角ギリギリの感覚で、もし打っていればポップフライでした)

ただ、甘いスライダーをピクリともせず見逃すことで、相手バッテリーに「シュートを狙っているのか」と思わせることができたそうで、

2球目は、様子見の内角のシュートを見逃してボール。

そして、カウント1-1からの3球目、山本さんがイメージしていた通りの軌道で外角低めにスライダーが落ちてきたそうで(山本さんにとってはど真ん中のスライダー)、

山本さんが、左足は開いてステップしながら、腰は開かず、両腕を伸ばして、ピンポイントでボールを捕らえると、打球はセンターからホームへの風に邪魔されることなく右翼ポール際のスタンドに舞い落ち、起死回生となる同点ホームランとなったのでした。

山本浩二が引退年(1986年)の日本シリーズ第1戦で西武・東尾修から打った本塁打は18年間の集大成だった

この時のことを、山本さんは、スポニチの連載「我が道」で、

プロ入り2、3年後に阪急の長池徳二(のちに徳士)さんに教わった投手観察術。クセはないかと集中して投球フォームをチェックし、気配を読む。

さらに投手だけでなく捕手の性格、季節、気候、球場の広さや特徴・・・。すべてを総合して狙い球を絞る。バットマンとしての18年間の集大成だった。

と、綴っています。

(一方、東尾投手はというと、打球が上がった瞬間、「(西武球場の感覚で)打ち取った」と思ったそうですが、
広島市民球場をホームグラウンドにしていた山本さんに軍配が上がったのでした)

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山本浩二の同点本塁打をきっかけに広島カープは3連勝し一気に日本一に王手をかけていた

ちなみに、その後、広島、西武ともに、救援投手が踏ん張り、試合は延長線に入ると、14回の末、2対2のまま引き分けとなっているのですが、

負け試合を山本さんの本塁打で引き分けに持ち込んだ広島カープは、第2戦は大野豊投手の好投で2対1で勝利、第3戦は7対4、第4戦は3対1と3連勝し、一気に日本一に王手をかけています。

「山本浩二はサプライズの胴上げをされ涙を堪えきれなかった!」に続く

起死回生の同点本塁打を打つ山本浩二
1986年10月18日、日本シリーズ第1戦の9回、西武・東尾修投手から起死回生の同点ホームランを放つ山本さん。

お読みいただきありがとうございました

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