当時、青春アイドル全盛時代の1966年にリリースした、暗い曲調の3枚目のシングル「柳ヶ瀬ブルース」が大ヒットとなると、その後もヒットを連発した、美川憲一(みかわ けんいち)さんですが、1971年にリリースした21枚目のシングル「お金をちょうだい」は、ヒットするも、NHKに歌唱禁止とされていたといいます。
「美川憲一が若い頃は「柳ヶ瀬ブルース」が大ヒットも当初は嫌々歌っていた!」からの続き
美川憲一は「お金をちょうだい」をどうしても歌いたくて作曲家の中川博之に直談判していた
1966年「柳ヶ瀬ブルース」、1967年「新潟ブルース」、1968年「釧路の夜」と、立て続けにヒットを飛ばした美川さんは、1970年には、「みれん町」「大阪の夜」「おんなの朝」、1971年には、「お金をちょうだい」と、またしても立て続けにヒットを飛ばしているのですが、
実は、「お金をちょうだい」は、美川さんがどうしても歌いたい歌で、作曲家の中川さんの自宅まで訪ねて行き、自分に歌わせてほしいと直談判していたそうで、
美川さんは、
別れる前にお金をちょうだい。あなたの生活にひびかない程度のお金でいいわ~!この曲が決まったとき、これでやっと自分の好きな歌が歌える!と思ったの。和風シャンソンみたいだったから
と、語っています。
(「お金をちょうだい」は、作詞・星野哲郎さん、作曲・中川博之さんのコンビで作られた曲で、完成した時には、まだ、誰が歌うか決まっておらず、美空ひばりさんや菅原洋一さんが候補として挙がっていたそうです)
美川憲一は「お金をちょうだい」「おんなの朝」を含む計5曲がNHKから歌唱禁止にされていた
ただ、この「お金をちょうだい」は、
別れる前にお金をちょうだい~そのお金でアパートを借りるのよ
といった歌詞だったことから、
NHKからは、イメージがよくないと歌唱禁止にされたのだそうです。
しかも、美川さんは、この歌のほかにも、朝帰りを歌った「おんなの朝」などの5曲も歌唱禁止になったそうで、”NHK歌唱禁止男”と呼ばれていたのだそうです。
ちなみに、美川さんは、
別れた男からむしりとるのではなく『アパートを借りるお金をちょうだい』なんてかわいいわよ。本来あるべき日本女性の姿
と、語っているのですが、
実際、時代は変化し、当時禁止されていたこれらの楽曲もNHKで解禁となり、美川さんは、2010年6月13日には、「BS日本のうた」で「お金をちょうだい」を歌唱しています。
美川憲一の「さそり座の女」は頼み込んでA面にしてもらい大ヒットとなっていた
また、美川さんは、1972年12月20日にリリースした、25枚目のシングル「さそり座の女」も、9.7万枚を売り上げる大ヒットとなり、オリコン演歌チャートでは3週連続トップ10入りを記録しているのですが、
実は、「さそり座の女」は、もともとB面に収録する予定だったところ、
美川さんが、
どうしてもA面にして欲しい
と、レコード会社に頼み込んでA面にしてもらっていたそうで、
いいえ、私はさそり座の女
と、否定から入る奇抜な歌詞に、「これは残る歌だな、いける!」と、ひらめいていたのだそうです。
「美川憲一のデビューからのディスコグラフィ(シングル&アルバム)!デュエットも!」に続く