アクション俳優、映画監督、制作者としてマルチな活躍で、アクション映画界のレジェンドと称されている、サモ・ハン・キンポー(洪金寶)さん。

今回は、そんなサモ・ハン・キンポーさんの若い頃から現在までの活躍や経歴を時系列でまとめてみました。

サモ・ハン・キンポー

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10代の頃

18歳でスタントマンとしての活動を開始

サモ・ハン・キンポーさんは、1970年、18歳の時、中国戯劇学院を出て映画界に入っているのですが、実は、この頃、かつては中国一の娯楽だった京劇が時代の流れとともに廃れて客足が遠のき、映画が娯楽の中心となりつつあったそうで、

サモ・ハン・キンポーさんは、映画に京劇の技術を持ち込むことを思いつくと、映画関係の仕事の中でも、特に、身体を使う仕事であるスタントマンに目をつけたそうです。

そこで、サモ・ハン・キンポーさんは、中国戯劇学院の先輩のコネなども使って仕事をかき集めると、次々とこなしていったそうです。

18歳の頃には武術指導の仕事もするようになっていた

そんな中、サモ・ハン・キンポーさんは、スタントマンの仕事だけではなく、映画の脇役もこなすようになると、その一方で、韓英傑(かんえいけつ)さん、梁少松(りょうしょうしょう)さん、徐二牛(じょじぎゅう)さんらの指導のもと、武術指導の仕事もするようになったそうです。

そして、その後、武術指導師として「ゴールデン・ハーベスト(嘉禾電影有限公司)」という映画会社と契約を結ぶと、映画「奪命金瞼」や「迎春閣之風波」などでの武術指導が高く評価されたのでした。

ちなみに、後輩のジャッキー・チェンさんは、1972年に、ブルース・リーさん主演の映画「ドラゴン怒りの鉄拳」で一躍、スタントマンとして脚光を浴びているのですが、実は、これはサモ・ハン・キンポーさんが紹介した仕事だったといいます。

というのも、1971年頃になると、京劇の人気が一気に下火となり、京劇の役者が大量に映画界に流れ込んできたそうで、サモ・ハン・キンポーさんは、一足早く映画界に入っていたため、仕事にあぶれることはなかったのですが、後輩のジャッキー・チェンさんたちはこの煽(あお)りをまともに受けて仕事がない日々を送っていたことから、サモ・ハン・キンポーさんが仕事の世話をしてあげていたのでした。

「ドラゴン怒りの鉄拳」に出演するジャッキー・チェン
「ドラゴン怒りの鉄拳」に出演するジャッキー・チェンさん(左)とブルース・リーさん(右)。

20代の頃

21歳の時には「燃えよドラゴン」で憧れのブルース・リーと共演

また、サモ・ハン・キンポーさん自身も、1973年、21歳の時には、かねてより尊敬していたブルース・リーさんに声をかけられ、「燃えよドラゴン」にスタントマンとして出演することになるのですが、

なんと、映画の序盤で、ブルース・リーさんと1対1で戦うという大役に抜擢されています。

「燃えよドラゴン」に出演するサモ・ハン・キンポー
「燃えよドラゴン」より。

(この「燃えよドラゴン」には、前述の「ドラゴン怒りの鉄拳」でのスタントが気に入られたジャッキー・チェンさんと中国戯劇学院を卒業したばかりだったユンピョウさんも出演していることから、3人がそろった初共演作となっています)

21歳の時にブルース・リーが死去し中国映画の人気が一気に下火となっていた

こうして、サモ・ハン・キンポーさんは、映画界で順風満帆な生活を送っていたのですが、1973年7月20日、ブルース・リーさんが急逝したことで状況が一転します。

というのも、中国映画界は、ブルース・リーさんは一人で支えられていたことから、そのブルース・リーさんが死去したことによる影響は甚大で、

サモ・ハン・キンポーさんが活動していたカンフー映画界の問題だけではなく、中国映画全体を揺るがし、さらには、世界中へと波紋が広がり、あれだけ盛り上がっていた中国映画界の熱が一気に冷めてしまったのでした。

25歳の時に「少林寺怒りの鉄拳」で主演兼監督を務めるもヒットとはならかった

そんな中、サモ・ハン・キンポーさんは、会社の方針もあり、1977年、25歳の時には、ブルース・リーさんを意識したカンフー映画「少林寺怒りの鉄拳」で主演兼監督を務めるのですが・・・

やはり、かつてのようなヒットとはなりませんでした。

「少林寺怒りの鉄拳」に出演するサモ・ハン・キンポー
「少林寺怒りの鉄拳」より。

26歳の時にブルース・リーの未完作「死亡遊戯」の武術指導に指名されるも世界的なヒットにはならなかった

また、サモ・ハン・キンポーさんは、1978年、26歳の時には、ブルース・リーさんが1972年秋にクライマックスのアクション・シーンのみを撮影後、急逝し、未完となっていた映画「死亡遊戯」の武術指導を「ゴールデン・ハーベスト」により依頼されたそうで、

生前のブルース・リーさんの出演シーンを切り抜き、ブルース・リーさんが映画「死亡遊戯」用に撮影していた全てのフィルムをうまく活用してなんとか映画を完成させたそうですが、中国や日本ではヒットしたものの、世界的にはそれほどヒットとはなりませんでした。

26歳の時に「燃えよデブゴン」が世界中で大ヒット

その後、サモ・ハン・キンポーさんは、自身のキャラクターを熟考し、その結果、「太っているアクションスター」という唯一無二のキャラクターを思いつくと、さっそく、尊敬するブルース・リーさんへのオマージュに満ち溢れたコメディ映画「燃えよデブゴン」を製作。

すると、体型からは想像もつかないキレのあるアクションを繰り出した「燃えよデブゴン」は、当時、コメディ映画が流行っていた香港で、大ヒットを記録し、香港映画界に新しいジャンルを打ち出すことに成功します。

「燃えよデブゴン」に出演するサモ・ハン・キンポー
「燃えよデブゴン」より。

ちなみに、日本では、当初は、それほどヒットせず、話題にもならなかったのですが、ジャッキー・チェンさんの人気と相まって、サモ・ハン・キンポーさんの他の作品も次々とテレビ放送されるようになると、

サモ・ハン・キンポーさんは、腹が大きく出た肥満体形でありながらキレキレのカンフーで悪役を倒す「動けるデブ」と評され、「デブゴン=サモ・ハン」として、日本でも一躍人気を博したのでした。

(日本では、この「燃えよデブゴン」以降、サモ・ハン・キンポーさんの主演作品は配給会社の意向により、すべて「燃えよデブゴン」シリーズということにされてしまい、サモ・ハン・キンポーさんの役名も全て「デブゴン」になってしまったそうです)

30代の頃

31歳の時にはジャッキー・チェン、ユン・ピョウと共演した「五福星」が大ヒット

そして、サモ・ハン・キンポーさんは、1983年、31歳の時には、ハリウッド進出が失敗に終わったジャッキー・チェンさんや、いまだヒット作に恵まれないユンピョウさんを誘い、コメディ映画「五福星」の製作に取り掛かると、豪華な俳優陣が洗練されたアクションシーンを繰り広げたこの作品は、大ヒットを記録しています。

「五福星」に出演するサモ・ハン・キンポー
「五福星」より。

31~33歳の時には「プロジェクトA」、「スパルタンX」、「大福星」、「七福星」が大ヒット

その後も、サモ・ハン・キンポーさんは、ジャッキー・チェンさんと共に、時代のニーズを先読みし、新時代のアクションを確立すると、これまで誰もなし得たことのない、身体を張った危険なスタントやアクションを次々と提案し、

ジャッキー・チェンさんとユンピョウさんと共演した「プロジェクトA」(1983)、「スパルタンX」(1984)、「大福星」(1985)、「七福星」(1985)など、次々と大ヒット作品を生み出していったのでした。

「プロジェクトA」に出演するサモ・ハン・キンポー
「プロジェクトA」より。(左から)ジャッキー・チェンさん、サモ・ハン・キンポーさん、ユン・ピョウさん。

33歳頃にはホラー映画にカンフーを盛り込んだキョンシー映画がブームを巻き起こしていた

また、サモ・ハン・キンポーさんは、1980年代半ば、33歳頃には、中国に古くから伝わる妖怪、キョンシーを題材にしたホラー映画にカンフーを盛り込むと、これも大ヒットとなり、香港映画界にホラー&キョンシーブームを巻き起こしています。

38歳頃は時代の流れとともに人気が低迷していた

ただ、そんなサモ・ハン・キンポーさんも、1990年代に入ると、40歳を目前にし、世代交代を余儀なくされるほか、ワイヤーを使った派手なアクションや単純明快なストーリーなど、自身が製作する映画が世間のニーズに合わなくなり、興行的に失敗が続くことが多くなってしまったのでした。

40代の頃

45歳の時にはハリウッドのカンフーブームで海外へ進出

それでも、ハリウッドに進出し、成功を収めたジャッキー・チェンさんやジェット・リーさんの影響で、ハリウッドでカンフーブームが巻き起こり、その流れに乗って、SF大作「マトリックス」が製作されると、

一気にその人気は全米のみならず世界中にまで広がり、往年のカンフースターや撮影スタッフがハリウッドに集結することになります。

長年に渡ってカンフー映画業界を支えてきたサモ・ハン・キンポーさんも当然ながらアメリカに招かれると、映画では監督や武術指導を務めるほか、1998年から2000年に放送された連続テレビドラマ「LA大捜査線/マーシャル・ロー」では主演を2年間務めるなど、活躍したのでした。

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サモ・ハン・キンポーの現在は?

その後、サモ・ハン・キンポーさんは、再び香港に戻ると、精力的に映画製作に携わり、ヒット作をいくつも生み出すほか、2005年、53歳の時には、アクション俳優として「SPL/狼よ静かに死ね」に出演し、ドニー・イェンさんと激しい戦闘シーンを演じるなど、その武術は全く衰えません。

また、サモ・ハン・キンポーさんは、2023年には、「第16回アジア・フィルム・アワード」(AFA)で、アジア映画界・アジア文化に大いに貢献し、多大なる影響を与えたことが評価され、特別功労賞を受賞しているのですが、

授賞式に参加した際、スピーチで、

今でも賞をいただけること、特に私のキャリアを認めてくれる賞をいただけるのは、とても嬉しく、同時に驚いています。

と、喜びを語っています。

現在のサモ・ハン・キンポー

「サモ・ハン・キンポーは現在の妻とは再婚!元妻は?子供は息子3人娘1人!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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