1978年、「死亡遊戯」でブルース・リーさんの代役を務め、1979年には、「モンキーフィスト/猿拳」で本格的に映画デビューすると、軽やかな身のこなしの華麗なアクションで「アジアの鷹」と称され、甘いマスクで人気を博したユン・ピョウ(元彪)さんですが、

幼少期には、「中国戯劇学院」に預けられて、京劇役者になるために厳しい訓練に励む日々を送り、やがては、「七小福」という子役集団の選抜メンバーとして活躍するも、時代の流れの中、14歳の時には映画でエキストラやスタントマンをこなし、16歳の時には、ブルース・リーさん主演の映画「燃えよドラゴン」に端役で出演していたといいます。

今回は、そんなユン・ピョウさんの、生い立ち(幼少期から映画界での下積み時代まで)をご紹介します。

ユン・ピョウ

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ユン・ピョウのプロフィール

ユン・ピョウさんは、1957年7月26日生まれ、
イギリス領香港の出身、

身長168センチ、

血液型はО型、

趣味は、ゴルフ、競馬観戦、

ちなみに、本名は、夏令震(か れいしん)で、「ユン・ピョウ」は「中国戯劇学院」時代に、教官・于占元(ユン)から一字を取って名付けられた芸名だそうです。

ユン・ピョウは6歳の時に「中国戯劇学院」に入学していた

ユン・ピョウさんは、第二次世界大戦前に中国江蘇省南京から香港に移住した両親のもと、香港・九龍の青山道の家に、8人きょうだい(兄1人、姉3人、妹3人)の5番目として誕生すると、6歳の時に、京劇や武術を学ぶ学校「中国戯劇学院」に入学します。

ちなみに、ユン・ピョウさんが「中国戯劇学院」に入学した経緯について、京劇好きのお父さんが毎日のようにサモ・ハン・キンポーさんやジャッキー・チェンさんが出演している舞台にユン・ピョウさんを連れて行ったことから、ユン・ピョウさんもすっかり京劇が気に入り、お父さんの勧めで「中国戯劇学院」に入学したという話があるようですが、出どころが分からず、真偽は不明です。

ユン・ピョウは6歳でアクションの才能を発揮するも嫉妬されよくイジメに遭っていた

ユン・ピョウさんは、「中国戯劇学院」に入学すると、すぐにアクションの才能を発揮し、教官からは目をかけられるようになったそうですが、その才能がゆえに、上級生から嫉妬され、よくイジメにも遭っていたそうで、

後に、「プロジェクトA 」「スパルタンX 」などで共演する、サモ・ハン・キンポーさんにも、当初はよくイジメられていたそうです。

(ジャッキー・チェンさんがよくかばってくれていたそうです)

ユン・ピョウは最年少で「七小福」の結成メンバーに選抜されていた

ユン・ピョウさんは、もともとの才能に加え、年齢を重ねたことで、みるみるうちに才能を開花させると、やがて、「中国戯劇学院」の中でも、優れたメンバーで構成されるエリート中のエリート集団「七小福」の結成メンバーに最年少で選抜されます。

また、ジャッキー・チェンさんやサモ・ハン・キンポーさんも、この「七小福」のメンバーに選ばれており、共に厳しい修行時代を過ごしたことで、やがて、固い絆で結ばれるようになったそうです。

ちなみに、ユン・ピョウさんは、身軽で素早いアクションが持ち味なのですが、13歳の時には、小さなテーブルを3段重ねた上で連続バク転を30回したことがあったほか、30歳の時には、テレビ番組内でバク転連続12回、54歳の時にも、トーク番組の中でバク転を披露しています。

ユン・ピョウは14歳の時から映画のエキストラやスタントマンをしていた

ユン・ピョウさんは、「中国戯劇学院」在学中の14歳の時から、すでに映画の仕事(エキストラやスタントマン)を始めていたそうですが、

当初は、ほかの兄弟子たちと比べて小柄だったことから、「子どもは向こうへ行きなさい」と監督らに言われて仕事をもらえなかったそうで、

手近にあった炭のようなものを顎(あご)の周辺に塗って、遠くから見ればヒゲが生えているように見せかけ、仕事をもらっていたそうです。

(先に卒業していたサモ・ハン・キンポーさんが仕事を紹介してくれることもあったそうです)

ユン・ピョウは15歳と16歳の時にブルース・リー主演の映画「ドラゴン怒りの鉄拳」「ドラゴンへの道」「燃えよドラゴン」に端役で出演していた

そんなユン・ピョウさんは、1972年、15歳の時には、ブルース・リーさん主演の映画、「ドラゴン怒りの鉄拳」「ドラゴンへの道」、そして、1973年、16歳の頃には、「燃えよドラゴン」に端役で出演しています。

「燃えよドラゴン」に出演するユン・ピョウ
「燃えよドラゴン」に出演するユン・ピョウさん。

ユン・ピョウは16歳の時に「中国戯劇学院」を卒業すると、カンフーブームに乗ってブルース・リー関連の仕事を数多くこなしていた

そして、ブルース・リーさんの影響で世間ではカンフーブームが巻き起こっていた1973年、ユン・ピョウさんは、16歳で「中国戯劇学院」を卒業すると、その流れに乗るべく、映画会社「ゴールデンハーベスト」に入社すると、

そこでは、サモ・ハン・キンポーさんの紹介でブルース・リーさんに関係する映画のスタントマンなどの仕事をもらい、次々とこなしていたのですが・・・

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ユン・ピョウは16歳の時にブルース・リーが急逝した影響で仕事が激減していた

1973年7月20日、ブルース・リーさんが急逝したことでユン・ピョウさんの生活は一転。

カンフーブームは一気に下火となり、カンフー映画界全体が沈んでしまったことで、ユン・ピョウさんの仕事も激減してしまったのでした。

(大先輩のジャッキー・チェンさんですら、俳優業に見切りをつけて、両親を頼ってオーストラリアに渡り、コックをしていたそうで、それほど酷い状況だったそうです)

「【画像】ユン・ピョウの若い頃は?現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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