身体の柔軟さをフルに活かしたスピード感あふれる瞬間芸で、舞台で人気を博すと、晩年になってからも、喜劇の第一線で、ドタバタコメディを演じ続けた、由利徹(ゆり とおる)さん。

そんな由利徹さんには、数々のギャグのレパートリーがありました。

今回は、由利徹さんの代表的なギャグをご紹介します。

由利徹

「由利徹の妻は松竹歌劇団の男役!結婚後も浮気三昧?子供は息子が2人!」からの続き

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たそがれシリーズ(脱線トリオ時代)

由利徹さんは、1956年、八波むと志さん、南利明さんと、お笑いユニット「脱線トリオ」を結成して、テレビ番組「お昼の演芸」に出演すると、「たそがれシリーズ」という15分のコントで大ブレイクしているのですが、

この「たそがれシリーズ」は、由利徹さんがボケ、八波むと志さんがツッコミ、南利明さんが女形という設定で、「カルメン」「森の石松・三十石船」「金色夜叉」などを下書きとし、ドタバタコメディを演じていました。

(「お昼の演芸」は毎週水曜日昼12時15分から45分まで放送されていた30分の番組で、前半の15分は落語や漫才、後半の15分が「脱線トリオ」が出演するドタバタコメディ「たそがれシリーズ」だったそうです)

脱線トリオ
「脱線トリオ」(左から)南利明さん、由利徹さん、八波むと志さん。

ただ、「脱線トリオ」が売れっ子になると、特に、八波むと志さんが抜けることが多くなって、佐山俊二さんが代役を務め、ボケ役の由利徹さんがツッコミに回らなければいけなくなったことから、

「脱線トリオ」の本来のおもしろさである、由利徹さんのボケに対する八波むと志さんの強烈なツッコミ、という掛け合いの妙がなくなってしまったほか、

1960年頃になると、やたらとポカポカ殴ったり、椅子をひっくり返したりする単なるドタバタが増えて、マンネリ化してしまい、

「脱線トリオ」は、1961年、新宿コマ劇場の「脱線物語」を最後に正式に解散しています。

チンチロリンのカックン

そんな由利徹さんは、1958年に公開された由利徹さんの主演映画「新日本珍道中」の中で、

歌舞伎の効果音「つけ」のリズムにヒントを得た「チンチロリン」に、「がっくり」「ガクッとくる」などよりも軽い失望を表す「カックン」を合体させた、「チンチロリンのカックン」というギャグを披露し、大流行させています。

(宮城県石巻市出身の由利徹さんは、実際には、東北弁で「ツンツロリイのカックン」と表現しています)

新日本珍道中
「新日本珍道中」より。

そして、1959年には、映画「カックン超特急」が制作されると、由利徹さんは、その主題歌「カックン・ルンバ」でレコードデビューも果たしているのですが、映画、歌ともにヒットし、「カックン」が流行語となっています。

「カックン超特急」
「カックン超特急」

「カックン・ルンバ」
「カックン・ルンバ」

オシャ、マンベ(長万部)

また、由利徹さんは、高倉健さんの主演映画「網走番外地」シリーズの常連だったことから、しばしば、北海道の長万部(おしゃまんべ)町にロケに行っていたそうで、

その際、長万部の人たちにお世話になったほか、郷土料理が気に入ったことから、この町を宣伝しようというサービス精神で、「オシャ、マンベ」と言い始めたそうですが、

そのうち、「マンべ」を強調することにより、卑猥(ひわい)に聞こえることに気づき、これはギャグとして使えると確信したそうで、

「オシャ」で下半身に力を入れ、「マンベ」で股を開く、「オシャ、マンベ」と言うギャグを流行させています。

(その後、股を両手で閉じながら「合わせてクッチャン」と言うことも)

ただ、長万部の住民からの猛抗議にあい、NHKなど公共の場では使わなくなっています。

それでも、このギャグで、長万部町は一躍有名になっており、由利徹さんの葬儀の際には長万部町から弔電が届いたといいます。

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パントマイムの裁縫芸(BGMは「花街の母」)

さらに、由利徹さんは、おばさんに扮して、パントマイムで裁縫をするという芸(「ババアの裁縫」)を得意とし、晩年まで、テレビや舞台で繰り返し演じています。

ちなみに、これは、ただただ、雑巾を縫い、コントの最後に、針に髪の油をつけようとして手が滑り、針で自分の肌まで突いてしまうというものだったのですが、

由利徹さんの雑巾を縫う際の、針に糸を通す時、針に油をつけるために髪に針を持っていく時、針を動かす時の、表情や仕草等すべての動きが秀逸だったと言われており、

(その裁縫の際、なぜか、金田たつえさんの「花街の母」がBGMとして使用されていました)

演出家の久世光彦さんは、由利徹さんの告別式で、この「ババアの裁縫」を紹介しつつ、

一匹の赤鬼が、目をらんらんと光らせてババアの裁縫を演じている。笑いをアナーキーなまでに高めた鬼の生涯を心から尊敬する。その芸を見て笑って、涙が出るまで笑った私たちは幸せでした

と、弔事を読んでいます。

「由利徹は傷害で逮捕されていた!居酒屋で数十回も医師を殴った理由とは?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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