1942年、21歳の時、軽演劇場「ムーランルージュ新宿座」に入団して初舞台を踏むと、1951年、30歳の時には、ストリップ劇場で寸劇をやる俳優となり、その後、お笑いユニット「脱線トリオ」を結成すると、たちまちブレイクした、由利徹(ゆり とおる)さん。
今回は、そんな由利徹さんの幼少期(生い立ち)から下積み時代(ストリップ劇場で寸劇)までをご紹介します。
由利徹のプロフィール
由利徹さんは、1922年5月13日生まれ、
宮城県石巻市の出身、
学歴は、
石巻市立門脇小学校
⇒旧制中学校(5年制)卒業
だそうです。
由利徹の本名は?芸名の由来は?
由利徹さんの本名は、「奥田清治(おくだ きよはる)」で、旧芸名(下積時代)は、「南啓二」「宇留木三平」です。
ちなみに、1951年、活動していた軽演劇場「ムーランルージュ新宿座」が解散したことをきっかけに、心機一転、芸名を「ムリトウル(無理通る)」にしようとしたそうですが、
この名前では、大物になった時に困るだろうと思い直し、一字変えて、「由利徹」としたのだそうです。
由利徹は幼い頃から父親の宴会で芸を披露していた
由利徹さんは、大工の親方だったお父さんの佐々木庄治さんとお母さんのきよさんのもと、6人きょうだい(3男3女)の長男として誕生すると、
幼い頃から茶目っ気があり、お父さんの宴会で芸を披露するほか、小学校時代には、学芸会で毎年主役を演じていたそうです。
由利徹は小3の時に役者になるべく上京しようと家出するも父親に連れ戻されていた
そんな由利徹さんは、1930年、小学校3年生の時、中瀬にあった岡田座で東京から来たレヴュー団(演劇団)のお芝居を観て感動し、役者になりたいと思ったそうで、
レヴュー団に入るべく、上京しようと家出をしたことがあったそうですが、お父さんに連れ戻されて断念したそうです。
由利徹は18歳の時にプロボクサーのピストン堀口に憧れてボクサーを目指し上京
それでも、由利徹さんは、旧制中学を卒業後の1940年、18歳の時には、プロボクサーのピストン堀口さん(堀口恒男さん)に憧れ、ボクサーを目指して上京したそうで、
旭拳闘クラブに入門してボクシングの練習に励んだそうですが、長続きはしなかったそうです。
由利徹は21歳の時に軽演劇場「ムーランルージュ新宿座」に入団
そんな中、1942年、21歳の時には、軽演劇場「ムーランルージュ新宿座」の草野球チームを手伝ったことがきっかけで、「ムーランルージュ新宿座」に入団したそうで、
「南啓二」名義で、端役として舞台に出始めたそうです。
(由利徹さんいわく、この頃は、まだ、喜劇役者になろうとは思っておらず、二枚目の役者になれると思っていたそうです(笑))
由利徹は22歳の時に大日本帝國陸軍通信隊に応召し中国戦線に動員されていた
しかし、「ムーランルージュ新宿座」に入団してから1年後の1943年、22歳の時には、大日本帝國陸軍通信隊から召集されて、中国戦線に動員され、赴任地である中国華北地方へまで行軍させられたそうで、
(将校は馬に乗ることができたそうですが、由利徹さんらはひたすら歩かされたそうです)
その際、一緒に行軍していた仲間がインキンにかかってしまい、その仲間は、歩くごとに股がこすれ、泣くほどの痛みにズボンだけは脱ぐことを許されたそうですが、
(由利徹さんはどこからかメリケン粉を調達し、患部にふりかけてあげたそうです)
全員が重装備の軍装の中、一人だけ下半身丸出しでも、周囲は全く笑うことができなかったそうで、
由利徹さんは、そんな戦争体験から、人間に対する醒めた目、苦しさや虚しさへのあきらめの気持ちを学んだのだそうです。
由利徹は終戦後(25歳)主役級の役に起用されるようになっていた
そんな由利徹さんは、終戦後、1945年、24歳の時に帰国すると、「ムーランルージュ新宿座」の劇場は空襲により焼失していたそうですが、
1946年10月(25歳)から、「小議会」(「ムーランルージュ新宿座」より改名)に復帰すると、再開後の公演では主役級の役に起用されるようになったそうです。
(その後、「小議会」はすぐに解散となったそうですが、1947年4月から、「ムーラン・ルージュ」として再開したそうです)
由利徹は「ムーランルージュ」解散後(30歳)はストリップ劇場で寸劇を行う俳優に転身していた
ただ、やがて、新宿でストリップ劇場が始まったことで、客足が流れ、1951年に、「ムーランルージュ」は解散となり、由利徹さんは、同年3月には、帝国劇場公演「マダム貞奴」に出演したそうですが、
ストリップをやっていた新宿セントラル劇場側から、帝国劇場よりも高額なギャラを提示されたそうで、
これをきっかけに、由利徹さんは、ストリップの合間に寸劇を行う俳優になり、ここで、”客を喜ばせる芸”を徹底的に磨いたのだそうです。
「【画像】由利徹の若い頃は脱線トリオ!デビューからの出演作品や経歴を時系列まとめ!」に続く
1956年に、八波むと志さん、南利明さんと共にお笑いユニット「脱線トリオ」を結成すると、テレビ番組「お昼の演芸」で披露したコント「たそがれシリーズ」でたちまち大ブレイクし、以降、コメディアンとして活躍するかたわら、喜劇役 …