若い頃は、上原謙さんや佐野周二さんと共に”松竹三羽烏”と称され、看板スターとして活躍すると、戦後は、映画監督としても、「慟哭」など重厚な作品を次々と発表した、佐分利信(さぶり しん)さん。

そんな佐分利信さんは、プライベートでは、同じ日活の女優だった黒木しのぶさんと結婚しています。

今回は、そんな佐分利信さんの、黒木しのぶさんとの馴れ初め、結婚後の関係(夫婦仲)、子供(息子)、孫についてご紹介します。

佐分利信

「【画像】佐分利信の若い頃は?映画ドラマ(出演・監督)をデビューから時系列まとめ!」からの続き

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佐分利信と黒木しのぶの馴れ初めは?

佐分利信さんは、1932年、23歳の時に、女優の黒木しのぶさんと結婚しています。

黒木しのぶ
佐分利信さんの妻・黒木しのぶさん。

佐分利信さんと黒木しのぶさんは、映画「さらば東京」での共演で知り合い、交際に発展したそうで、同棲を経て、結婚に至ったそうです。

佐分利信と妻・黒木しのぶはおしどり夫婦として有名だった

そんな佐分利信さんは、大変な愛妻家で、結婚後、仕事に行く時は、必ず、玄関先で奥さんと握手をしてから出かけていたそうで、

夫婦仲は良く、おしどり夫婦として知られていました。

佐分利信は妻・黒木しのぶが他界した際は悲しみに暮れていた

しかし、1964年には、黒木しのぶさんが肝臓ガンで他界。

最愛の妻を失った佐分利信さんの悲しみは深く、通夜では、遺体にすがって慟哭(どうこく)し、霊柩車が火葬場に向かう際には、車の窓にキスをして、長い時間、奥さんとの別れを悲しんだそうで、

その後は、すっかりやる気を失い、俳優を辞めるとまで言っていたといいます。

また、骨壺は埋葬せずに寝室の枕元に置き、

私が死んだとき、いっしょに墓にいれてくれ

と、子供に言っていたといいます。

(佐分利信さんは、それから18年後の1982年、奇しくも奥さんと同じ肝臓ガンで他界され、奥さんと一緒に石崎家(佐分利信さんの本名)のお墓に埋葬されたそうです)

佐分利信の妻・黒木しのぶは結婚前は日活で女優として活動していた

ちなみに、黒木しのぶさんのことを簡単にご紹介すると、

黒木しのぶさんは、1910年に北海道で誕生すると、札幌市立高等女学校(現北海道札幌東高等学校)を卒業後、北海タイムス(現・北海道新聞社)に勤務するも、その後、上京し、銀座でホステスとして働くようになったそうで、

1932年には、スカウトされて日活太秦撮影所に入社すると、同年には、映画「さらば東京」で女優デビュー。

その後、「一九三二年の母」「霧の夜の客間」「モダン・マダム行状記」などの映画に脇役として出演した後、本格的なデビュー作「さらば東京」で共演した佐分利信さんと結婚し、芸能界を引退しています。

佐分利信の息子は俳優の石崎二郎

そんな佐分利信さんと黒木しのぶさんの間には、少なくとも、男の子が一人誕生しているようで、1936年3月31日に誕生した息子さんは、俳優の石崎二郎さんです。

石崎二郎さんは、1958年に国学院大学を卒業すると、その後、俳優座養成所で演技を学び、俳優座養成所卒業後は、「劇団四季」に所属し、舞台を中心に活動すると、

そんな中、NHKのテレビドラマ「青年の樹」にレギュラー出演し、その後、松竹と契約し、佐田啓二さん初のプロデュース作品「東京湾」の刑事役で映画デビューを果たしています。

佐分利信の息子の石崎二郎
佐分利信さんの息子の石崎二郎さん。

実は、佐分利信さんは、当初、息子の石崎二郎さんの映画界入りに、

まだ早い

と、猛反対していたそうですが、

佐分利信さんの親友だった佐田啓二さんに熱心に説得され、息子の映画界入りを許したのだそうです。

ただ、石崎二郎さんは、その後、1966年に特撮ドラマ「ウルトラQ」に出演するも、それ以外、出演作品が確認できず、何をされていたのか不明です。

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佐分利信の孫はアルトサックスプレイヤーの石崎忍

また、石崎二郎さんは、声楽家の竹村靖子さんと結婚しているのですが、息子さん(佐分利信さんの孫)は、アルトサックスプレイヤーの石崎忍さんです。

石崎忍さんは、1973年に誕生すると、中学生の時からアルトサックスを始め、早稲田高校卒業後は、バークリー音楽院に入学したそうで、

バークリー音楽院卒業後は、国内外の様々なミュージシャンとセッションするほか、楽曲提供、プロデュースなど、音楽活動を続けていたそうで、現在は、ルーツ音楽院の講師も務めているとのことです。

佐分利信の孫の石崎忍
佐分利信さんの孫でアルトサックスプレイヤーの石崎忍さん。

お読みいただきありがとうございました

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