戦前から戦後にかけ、二枚目スターとして現代劇を中心に活躍すると、その後も重厚感のある演技で存在感を放った、佐分利信(さぶり しん)さん。

今回は、そんな佐分利信さんの、若い頃(デビュー)から他界されるまでの出演作品(映画、テレビドラマ)や監督作品など経歴を時系列でご紹介します。

佐分利信

「佐分利信の生い立ちは?14歳の時に教師志望で上京も21歳の時に日活に入社していた!」からの続き

Sponsored Link

佐分利信は22歳の時に「日本嬢」(左翼の闘士役)で映画デビュー

佐分利信さんは、1931年、22歳の時、「島津元」名義で、内田吐夢監督作品「日本嬢」の左翼の闘士役で映画デビューを果たしています。

佐分利信
「日本嬢」のチラシ。

佐分利信は23歳の時に「動員令」で主演

そして、翌年の1932年、23歳の時には、熊谷久虎監督作品「動員令」で主演に抜擢されると、

それまでの俳優にはなかった素朴な演技で注目を集めているのですが、

佐分利信さんは、

僕は芝居に乗らない気持ちで出てるだけ。それが自然な演技が要求される映画だから、それなりに行けた

と、語っています。

「動員令」
「動員令」より。佐分利信さんと佐久間妙子さん。

佐分利信は26歳の時に松竹に移籍し「あこがれ」で高杉早苗の相手役

そんな佐分利信さんは、その後も、

  • 1932年「さらば東京」
  • 1932年「爆撃三勇士」
  • 1933年「女性陣」

などの映画に出演すると、

1933年には日活を退社し、大阪劇団を経て、1935年、26歳の時に、松竹蒲田撮影所に入社すると、松竹入社第1作目で五所平之助監督作品「あこがれ」で高杉早苗さんの相手役を務めています。

佐分利信は27歳の時に「家族会議」で主演

その後、佐分利信さんは、1936年、27歳の時、島津保次郎監督作品「家族会議」の主演に抜擢されると、たちまち、注目を集め、

松竹には若手スターがいなかったことから、若手二枚目スターとして売り出されます。

「家族会議」
「家族会議」より。佐分利信さんと桑野通子さん。

佐分利信が28歳の時には「松竹三羽烏(上原謙、佐野周二)」を結成し女性に人気を博していた

そんな佐分利信さんは、同年には、「男性対女性」「人妻椿」でも主演を務め、徐々に人気を伸ばしていくと、

「新道 前後篇」で、同じく松竹の注目株だった上原謙さん、佐野周二さんと共演したことがきっかけで、「松竹三羽烏」を結成。

1937年、28歳の時には、「婚約三羽烏」で、再び、上原謙さん、佐野周二さんと共演すると、映画館に女性ファンが殺到するほどの人気を博したのでした。

「婚約三羽烏」
「婚約三羽烏」より。(左から)上原謙さん、佐野周二さん、佐分利信さん。

佐分利信が30歳の時には「兄とその妹」で演技も高く評価されていた

こうして、佐分利信さんは、女性にウケる松竹大船調メロドラマの看板俳優として活躍するのですが、

1939年、30歳の時には、映画「兄とその妹」で、上役に気に入られるも、それを快く思わない狡猾(こうかつ)な同僚にはめられて社内で悪い噂を立てられたことに怒りを爆発させて職を退く、実直で清廉なサラリーマンを演じると、その演技も高く評価されています。

「兄とその妹」
「兄とその妹」より。

佐分利信は30歳の時に「暖流」で正義感に溢れる男らしい役

また、佐分利信さんは、同年(1939年)、「暖流」では、腐敗した病院の立て直しに乗り出す、敏腕で正義感に溢れる男らしい青年実業家を演じています。

「暖流」
「暖流」より。

佐分利信が30歳の時には小津安二郎監督映画「戸田家の兄妹」に出演

そして、同年(1939年)、父親の死をきっかけに解体してゆく家族を描いた、小津安二郎監督の映画「戸田家の兄妹」では、兄や姉の親不孝ぶりを非難する末弟を演じています。

「戸田家の兄妹」

佐分利信は40代の時に「女性対男性」で映画監督デビュー

また、佐分利信さんは、星野和平さんと組んで、プロダクション「芸研プロ」を作り、かねてより希望していた監督業に乗り出すと、

1950年、41歳の時には、監督デビュー作「女性対男性」が高い評価を受け、

以降、

  • 1950年「執行猶予」※主演兼監督
  • 1951年「あゝ青春」※主演兼監督
  • 1951年「風雪二十年」
  • 1952年「慟哭」※主演兼監督
    佐分利信
    「慟哭」で演技指導をする佐分利信さん。
  • 1952年「人生劇場 第一部 青春愛欲篇」
  • 1953年「人生劇場 第二部 残侠風雲篇」
  • 1953年「広場の孤独」
  • 1954年「叛乱」
  • 1955年「心に花の咲く日まで」
  • 1956年「愛情の決算」
  • 1957年「夜の鴎」
  • 1958年「悪徳」※主演兼監督
  • 1959年「乙女の祈り」 ※主演兼監督
    「乙女の祈り」
    「乙女の祈り」より。鰐淵晴子さんと佐分利信さん。

と、14本の作品で監督を務めています。

佐分利信は65歳の時に映画「華麗なる一族」で万俵大介役

そして、1961年以降は、映画から遠ざかり、テレビドラマに主演するようになるのですが、

1973年、64歳の時に、「朝やけの詩」で映画に復帰すると、1974年、65歳の時には、映画「華麗なる一族」で、傲慢な銀行頭取・万俵大介を演じて、重厚感のある演技で存在感を放っています。

「華麗なる一族」
「華麗なる一族」より。

佐分利信は65歳の時に映画「砂の器」で前大蔵大臣・田所重喜役

また、同年(1974年)、映画「砂の器」では、前大蔵大臣・田所重喜役を演じています。

「砂の器」
「砂の器」より。

佐分利信は68歳の時に市川崑監督映画「獄門島」で和尚役

さらに、1977年、68歳の時には、市川崑監督映画「獄門島」で和尚役を演じています。

「獄門島」
「獄門島」より。

佐分利信は69歳の時にテレビドラマ「白い巨塔」で船尾徹役

そんな佐分利信さんは、1978年、69歳の時には、テレビドラマ「白い巨塔」で、船尾徹役を演じています。

「白い巨塔」
「白い巨塔」より。

佐分利信は70歳の時に向田邦子脚本のテレビドラマ「阿修羅のごとく」で竹沢恒太郎役

また、佐分利信さんは、1979年、70歳の時には、向田邦子さん脚本のテレビドラマ「阿修羅のごとく」で、三田村綱子(加藤治子さん)の父親・竹沢恒太郎役を演じています。

「阿修羅のごとく」
「阿修羅のごとく」より。

Sponsored Link

佐分利信の死因は肝臓ガン

そんな佐分利信さんですが、1982年9月3日、体調不良を訴えると、日大板橋病院に入院し、検査の結果、肝臓ガンが判明したそうで、すでに、手術不可能な状態だったといいます。

そこで、医師から、延命治療として、高カロリー輸液を勧められたそうですが、佐分利信さんはこれを拒否したそうで、同年9月22日午後11時55分、73歳で他界されたのでした。

「佐分利信の妻・黒木忍との馴れ初めは?子供(息子)は?孫は石崎忍!」に続く

お読みいただきありがとうございました

Sponsored Link