1936年、映画「母を尋ねて」で女優デビューすると、以降、数多くの映画でヒロインを務め、その清楚で気品ある美貌がたちまち人気を博し、瞬く間にスター女優の座に上り詰めた、高峰三枝子(たかみね みえこ)さん。

今回は、そんな高峰三枝子さんの若い頃からの活躍や経歴を、デビューから時系列でまとめてみました。

高峰三枝子

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高峰三枝子のプロフィール

高峰三枝子さんは、1918年12月2日生まれ、
東京府芝区露月町(港区新橋5丁目)の出身、

身長162センチ、

学歴は、
東洋英和女学院卒業、

ちなみに、本名は、鈴木三枝子(すずき みえこ)で、

お父さんは、筑前琵琶の高峰流宗家の高峰筑風さん、
妹は、女優で歌手の高峰麻梨子さん、
孫は、元女優の高峰陽(ひなた)さん

です。

高峰三枝子と高峰秀子は姉妹?

高峰三枝子さんと女優の高峰秀子さんは、同じ苗字を持つため、姉妹または親戚関係と思われることが多いようですが、2人の間に血縁関係はなく、全くの赤の他人です。

ちなみに、高峰三枝子さんの方が高峰秀子さんよりも6歳年上で、1954年には、映画「女の園」、1956年には、「子供の眼」で共演するほか、1955年には、雑誌「映画ファン」(2月号)の「同姓対談」のコーナーで対談しています。

高峰三枝子と高峰秀子
高峰秀子さん(左)と高峰三枝子さん(右)。

(この対談では、2人共、友達口調だったそうなので、親しい関係だったことが分かります)

高峰三枝子は18歳の時に映画「母を尋ねて」で女優デビュー

高峰三枝子さんは、筑前琵琶演奏者の高峰筑風さんのもと、長女として誕生すると、裕福な家庭で、お嬢様として育ったそうですが、1936年、18歳の時、お父さんが急死したことで、一家を養うために芸能界入りを決意したそうです。

(高峰三枝子さんは高校時代から美人として有名で、慶應義塾大学の学生たちが、近所をうろついていたそうです)

そして、帝国劇場の専務の紹介で松竹に入社し、同年には、映画「母を尋ねて」で女優デビューを果たすと、高峰三枝子さんの理知的で気品のある美貌は、たちまち人気を博したのでした。

高峰三枝子は19歳の時に「婚約三羽烏」で上原謙、佐野周二、佐分利信のマドンナ役に抜擢されていた

すると、翌年の1937年、19歳の時には、映画「婚約三羽烏」で、「松竹三羽烏」と呼ばれた、松竹の人気二枚目俳優の、上原謙さん、佐野周二さん、佐分利信さんから惹かれる、就職先の社長令嬢(マドンナ)役に抜擢されています。

「婚約三羽烏」
「婚約三羽烏」より。

高峰三枝子は19歳の時に「浅草オペラ」で歌うシーンが注目され歌手としてもスカウトされていた

そんな高峰三枝子さんは、同年(1937年)、映画「浅草の灯」で、オペレッタ劇場(日本座)の売れっ子コーラスガール・麗子役を演じているのですが、

劇中、歌うシーンが注目され、コロムビアから歌手としてもスカウトされています。

「浅草の灯」
「浅草オペラ」より。

高峰三枝子は20歳の時に映画「蛍の光」の主題歌で歌手デビュー

そして、1938年、20歳の時には、主演を務めた映画「蛍の光」で、主題歌「蛍の光」を、共演者の桑野通子さん、高杉早苗さんと共に歌唱し、歌手としてレコードデビューを果たしています。

「蛍の光」
「蛍の光」より。

また、高峰三枝子さんは、同年には、主演を務めた映画「宵待草」でも、主題歌「宵待草」を歌唱し、ヒットを記録すると、続く「純情二重奏」でも、歌手・霧島昇さんとともに歌唱した主題歌が大ヒットを記録し、

「純情二重奏」
「純情二重奏」より。細川俊夫さんと高峰三枝子さん。

これにより、高峰三枝子さんは、”歌う映画女優”と称され、歌手としての地位も確立したのでした。

(高峰三枝子さんは、この頃、幹部女優へと昇格しています)

高峰三枝子は21歳の時に「暖流」で大病院の医院長の令嬢役

そんな高峰三枝子さんは、女優としても、1939年、21歳の時には、「暖流」で、大病院の医院長の令嬢役を務めているのですが、素地からにじみ出る、清らかさ、愛らしさ、気品で、令嬢をを見事に演じ切っています。

「暖流」
「暖流」より。

以降、高峰三枝子さんは、

  • 1940年(22歳)には、「信子」
  • 1941年(23歳)には、「戸田家の兄妹」
    「戸田家の兄妹」
    「戸田家の兄妹」より。
  • 1941年(23歳)には、「男への条件」
  • 1942年(24歳)には、「高原の月」

などで、主演を務めると、映画はいずれもヒットを記録し、松竹の看板スターとして活躍したのでした。

高峰三枝子は22歳の時にレコード「湖畔の宿」が大ヒット

一方、1940年、22歳の時には、レコード「湖畔の宿」をリリースすると、たちまち、30万枚を売り上げる大ヒットを記録するのですが、

当時は、戦時中だったため、感傷的な曲調と詞の内容が退廃的で軟弱とされ、まもなく発売禁止となってしまったそうです。

ただ、前線で戦う兵士は、この歌を心の支えにしている者が多く、慰問でも多くのリクエストがあったそうで、

その後、高峰三枝子さんは、特攻隊を慰問したことを思い出しながら、亡き兵士や遺族のために「湖畔の宿」を歌い続けたといいます。

また、日本が一時期占領したビルマの親日政権の将軍が来日した際にも、「湖畔の宿」が聞きたいと言われたそうで、当時の東条英機首相が、じきじきに高峰三枝子さんに所望したと言われています。

高峰三枝子が30代の時は主演映画「懐しのブルース」「別れのタンゴ」「想い出のボレロ」「情熱のルムバ」が主題歌と共にヒット

そんな高峰三枝子さんは、

  • 1948年(30歳)には、「懐しのブルース」
  • 1949年(31歳)には、「別れのタンゴ」
  • 1950年(32歳)には、「想い出のボレロ」
  • 1950年(32歳)には、「情熱のルムバ」

などの映画で主演を務めると、主題歌とともにヒットを記録し、「歌謡映画」の大スターの地位も確立したのでした。

高峰三枝子は42歳の時にテレビドラマ「熱帯魚」に出演

高峰三枝子さんは、1960年、42歳の時には、テレビドラマ「熱帯魚」に出演すると、これを皮切りに、以降、テレビドラマにも数多く出演しています。

高峰三枝子は50歳の時にワイドショー「3時のあなた」の司会

また、高峰三枝子さんは、1968年、50歳の時には、ワイドショー「3時のあなた」の月曜日と火曜日の司会を担当しているのですが、

実は、当初、番組スタッフに熱心に頼み込まれ、半年間という条件で引き受けていたといいます。

それが、「視聴率が取れない時間帯」にもかかわらず、高峰三枝子さんの親しみやすい人柄が好評で、「3時のあなた」は人気番組となったそうで、最終的には、1973年まで、5年間務めたのだそうです。

「3時のあなた」
「3時のあなた」より。

(「3時のあなた」は1968年から1988まで毎週月曜日から金曜日まで放送されていました)

高峰三枝子は58歳の時に市川崑監督映画「犬神家の一族」でブルーリボン賞助演女優賞

また、高峰三枝子さんは、1976年、58歳の時には、市川崑監督映画「犬神家の一族」で、犬神家の長女の松子役を演じると、この演技が高く評価され、「第19回ブルーリボン賞助演女優賞」を受賞しています。

「犬神家の一族」
「犬神家の一族」より。

(高峰三枝子さんにとって、初めての賞だったそうです)

高峰三枝子が63歳の時は国鉄(現・JR)の「フルムーン」のCMで上原謙と温泉につかるシーンが話題となっていた

高峰三枝子さんは、1981年、63歳の時には、「懐しのブルース」など多くの映画で共演した上原謙さんと共に国鉄(現・JR)の「フルムーン」のCMで夫婦役で共演すると、上原謙さんと温泉につかるシーンが話題となりました。

「フルムーン」のCMの高峰三枝子
「フルムーン」のCMより。上原謙さんと高峰三枝子さん。

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高峰三枝子は71歳の時に脳梗塞により死去

そんな高峰三枝子さんは、「なるほど!ザ・ワールド」や「クイズダービー」などのバラエティ番組にも積極的に出演していたのですが、

1990年4月18日、71歳の時、田園調布の自宅で脳梗塞で倒れると、日産厚生病院に救急搬送されるも、意識は混濁し、左半身は完全に麻痺状態だったそうで、

その後、一時は意識が回復するも、同年5月25日、再び容態が急変し、5月27日午後5時30分、脳梗塞により、71歳で他界されたのでした。

ちなみに、高峰三枝子さんは、意識が途絶える瞬間まで、

早く仕事に戻りたい

と、繰り返していたといいます。

「高峰三枝子の子供(息子)が逮捕されたのは元夫が原因だった!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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