その華やかな美貌で、戦前・戦後と昭和を代表するスター女優として活躍した、高峰三枝子(たかみね みえこ)さんですが、プライベートは、離婚するほか、元夫が原因で子供(息子)が逮捕、バッシング、と苦悩に満ちたものだったようです。
今回は、高峰三枝子さんの、元夫との結婚&離婚、息子の逮捕、バッシングについてご紹介します。
「【画像】高峰三枝子の若い頃は?デビューからの出演映画ほか経歴を時系列まとめ!」からの続き
高峰三枝子の元夫・鈴木健之はならず者だった
高峰三枝子さんは、1946年10月、27歳の時、8歳年上の実業家・鈴木健之さんと結婚しています。
高峰三枝子さんと鈴木健之さんの馴れ初めなど詳しいことは不明ですが、結婚当初は、夫婦で競馬を楽しみ、馬主になるなど、仲睦まじい夫婦だったものの、徐々にすれ違うようになり、1954年に離婚したそうです。
また、高峰三枝子さんは、離婚の際の様々な心労から、1956年には、声帯が凹むという奇病にかかると、コンサートの最中に声が出なくなるというアクシデントに見舞われ、このことがきっかけとなり、約10年間、歌手活動から遠ざかっています。
(10年後には、歌声が復活し、以降、歌手として活動を続けられました)
ちなみに、元夫の鈴木健之さんは、戦前、銀座を縄張りにしていたならず者で、日中戦争が始まると、上海に渡り、太平洋戦争中には、将校として特務機関で暗躍したそうですが、戦後は、英文雑誌「スポットライト」の発行に携わる実業家として活動していたそうです。
高峰三枝子の息子は覚醒剤取締法違反で逮捕されていた
高峰三枝子さんは、1949年には、息子の鈴木清貴さんを出産しているのですが、鈴木清貴さんは、1977年11月6日、28歳の時に、覚醒剤取締法違反で逮捕されています。
(高峰三枝子さんは、会見を開くと、涙を流しながら、ひたすら頭を下げ続けたそうです)
高峰三枝子は息子が逮捕されたのは甘やかしていたからとバッシングされていた
そんな高峰三枝子さんは、離婚後、シングルマザーとして鈴木清貴さんを一人で育てていたそうですが、スター女優だったことから、家事はほとんどせずにお手伝いさん3人に任せていたそうで、
鈴木清貴さんは小学校から大学まで慶應というお坊ちゃん育ちで、
さらに、鈴木清貴さんは、
- 中学生の時から麻雀三昧
- 14歳の時には校内でタバコを吸っていた
(しかも、高峰三枝子さんは、学校に呼び出されるも、厳しく叱らなかった) - 18歳の時には高峰三枝子さんが買い与えたスポーツカーを乗り回して人身事故を起こすも、高峰三枝子さんが弁護士に依頼し示談で済ませていた
など、10代の頃にも不祥事を起こしていたことから、
今回の事件も、母親が甘やかしたのが原因だと、高峰三枝子さんは世間から激しいバッシングに遭ったそうです。
高峰三枝子の息子は父親の鈴木健之からタカられていた
ただ、本当のところは、高峰三枝子さんの甘やかしが原因ではなかったといいます。
実は、鈴木清貴さんは、(10代の頃はやんちゃでしたが)大学卒業後は、貿易会社を経営していたそうですが、生活に困った父親の鈴木健之さんにお金の無心をされるようになったそうで、
鈴木清貴さんは、お父さんの頼みを断りきれず、無心されるたびに、数十万円の小切手を渡していたといいます。
そんな中、次第にお父さんからの請求額が大きくなり、最終的には800万円の小切手が決済できなくなり、会社は倒産してしまったそうで、
鈴木清貴さんは、高利貸しに追われるようになり、やむをえず、覚せい剤の取引に手を染めたのだそうです。
(奇しくも、鈴木清貴さんが逮捕された同じ日に、父親の鈴木健之さんもニューヨークでヘロイン所持により逮捕されていたそうです)
ちなみに、鈴木清貴さんが現在どうされているのかは、情報がなく不明です。
1936年、映画「母を尋ねて」で女優デビューすると、以降、数多くの映画でヒロインを務め、その清楚で気品ある美貌がたちまち人気を博し、瞬く間にスター女優の座に上り詰めた、高峰三枝子(たかみね みえこ)さん。 今回は、そんな …