1956年、お笑いユニット「脱線トリオ」を結成すると、「たそがれシリーズ」で大ブレイクし、以降、単独でも、猥雑でナンセンスな笑いを軽やかに演じるほか、数多くのテレビドラマや映画にも出演し、とぼけた演技で人気を博した、由利徹(ゆり とおる)さん。
今回は、由利徹さんの、妻、結婚後の浮気話、子供(息子)についてご紹介します。
「【画像】由利徹の若い頃は脱線トリオ!デビューからの出演作品や経歴を時系列まとめ!」からの続き
由利徹の妻は松竹歌劇団の男役だった
由利徹さんは、いつ頃かは不明ですが、松竹歌劇団で男役として活躍していた女性と結婚していたといいます。
ただ、由利徹さんは、結婚前、森繁久彌さんと同じ早稲田大学出身だと偽って奥さんと交際していたそうです(笑)
(由利徹さんは、森繁久彌さんと同時期に「ムーランルージュ新宿座」に在籍していました)
1942年、21歳の時、軽演劇場「ムーランルージュ新宿座」に入団して初舞台を踏むと、1951年、30歳の時には、ストリップ劇場で寸劇をやる俳優となり、その後、お笑いユニット「脱線トリオ」を結成すると、たちまちブレイクした …
由利徹は結婚後は家庭を大切にするも女性との浮名が絶えなかった
そんな由利徹さんは、結婚後は、男の子2人にも恵まれ、家庭のことをとても大切に思ってはいたそうですが・・・
大の女性好きだったため、結婚後も女性との浮名は絶えず、何日も家を留守にすることもあったそうで、
奥さんは、
最初は裏切られたと、心が寒くなりました。でも、もうこれでいいと思ったんですよ。しつこく問いつめるのは私の性格ではない。言って止まるなら言いますが、とまりそうになかった
と、語っています。
また、由利徹さんによると、何日も家を留守にした後、オドオドとしながら家に帰ると、奥さんは、「おかえりなさい」と言ったそうですが、その顔がとても怖かったとのこと。
そんな由利徹さんは、”女道楽”などとも言われたのですが、
ストリップ劇場でコントをしていた時代に、
人間とは猥雑な存在である
と、確信していたそうで、
この時から、
どんなお笑いもセックスにつながる。だから、可笑しいんだ
男も女も助平(すけべ)心がなかったら、面白くもなんともない
との持論を持ち始め、
エッチであるが下品ではないエロ親父
という芸風を確立。
由利徹さんは、後年、大御所になってもこの精神を忘れず、下ネタなどを披露していたのだそうです。
(映画でも、女性に色目を使う社長役や、田舎の助平(すけべ)オヤジ役を数多く演じています)
由利徹の子供は息子が2人
さておき、由利徹さんは奥さんとの間に男の子が2人誕生し、長男は裕二さんと言い、次男は浩二さんと言うそうですが、由利徹さんが息子さんたちに芸能界入りを勧めなかったことから、2人とも会社員となったそうです。
ちなみに、長男の裕二さんは、お父さんの由利徹さんについて、
父は子煩悩な人で、生前ほとんど叱られたことがありません
生前父は兵隊として中国へ行った時の話はよくしてくれたが、なぜか東京に出てくる前の故郷の話はほとんど話してもらえなかった
普段の父は暇な時は昼も夜も近所のラーメン屋で飲んでいる、どこにでもいるような普通のおじさんでした
と、語っています。
「由利徹のギャグは?長万部にカックンに裁縫(花街の母)パントマイム!」に続く
身体の柔軟さをフルに活かしたスピード感あふれる瞬間芸で、舞台で人気を博すと、晩年になってからも、喜劇の第一線で、ドタバタコメディを演じ続けた、由利徹(ゆり とおる)さん。 そんな由利徹さんには、数々のギャグのレパートリー …