高校在学中の1960年、ロカビリー歌手として、エルヴィス・プレスリーのカバー曲「本命はお前だ」でデビューすると、その後、アニメの主題歌や挿入歌を歌唱するようになり、「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」が空前の大ヒットを記録して、水木一郎さん、堀江美都子さん、大杉久美子さんとともに「アニソン四天王」と称されるようになった、ささきいさおさん。

今回は、そんなささきいさおさんの若い頃から現在までの活躍や経歴を時系列でまとめてみました。

ささきいさお

「ささきいさおの生い立ちは?小中高と成績優秀!高校時代にロカビリー歌手でデビューしていた!」からの続き

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ささきいさおの10代の頃

18歳の時に「和製プレスリー」として売り出され、歌手と並行して俳優としても活動していた

高校在学中の1960年、18歳の時に、ロカビリー歌手としてデビューしたささきいさおさんは、「和製プレスリー」として売り出されると、デビューして間もなく、「日劇ウエスタンカーニバル」(日本で有数の大きな音楽フェス)に出演するほか、

映画のオファーもあり、大島渚監督の映画「太陽の墓場」の主役に抜擢されると、以降、松竹の専属俳優として「松竹ヌーヴェルヴァーグ」の映画に数多く出演するなど、歌手としても俳優としても人気を博します。

18歳の時は歌が下手でレコードが全く売れなかった

そんなささきいさおさんは、歌や映画などアメリカ文化が普及する中、足が長く、日本人離れしたルックスで、うまく時代の流れに乗り、人気を博したそうですが、

(声は良かったものの)歌の勉強を全くしないまま、歌手になったことから、歌が下手で、その後、立て続けにシングルを発売するも、全く売れなかったそうで、

ささきいさおさんは、

はずみでなっちゃった歌手だから、当時の歌は…ひどいもんでしたよ。格好は良かったのかもしれないけど、レコーディングは一苦労でしたよね。

と、語っています。

(当時のマネージャーでホリプロ創業者の堀威夫さんの自叙伝には、ささきいさおさんの歌があまりに下手すぎて、恥ずかしくなって外に逃げたと書かれたそうです)

ささきいさおの20代の頃

22歳の時には俳優、歌手ともに人気が低迷し、新劇やミュージカルに出演するようになっていた

そのうち、ヌーヴェルヴァーグ路線が終わり、ロカビリーブームも去ってしまったそうで、ささきいさおさんは、1964年、22歳の時には、俳優、歌手ともに人気が低迷し、新劇やミュージカルに出演するようになったそうです。

20代後半~30代前半の時に歌唱や発声を基礎から学び直していた

また、20代後半~30代前半くらいの頃には、ミュージカルの作曲家・島田敬穂さんに、

君はちゃんと発声の基礎からやったほうがいい。教えてあげるからいらっしゃい

と、言われたそうで、

歌をいちから勉強しようと思い、島田敬穂さんの指導を受けながら、歌唱や発声を基礎から学び直し、

俳優としても、1967年、25歳の時には、金子信雄さん主宰の演劇人クラブ「マールイ」に参加し、演劇の基礎を学んだそうです。

26歳の時にエルヴィス・プレスリーの日本語吹き替えで声優デビュー

こうして、歌手としての基本を身につけたささきいさおさんは、1968年には、エルヴィス・プレスリー主演の映画「燃える平原児」で、エルヴィス・プレスリーの日本語吹き替えを担当すると、ささきいさおさんの甘い低音ボイスは評判が良く、以降、声優としても活動するようになったそうです。

ささきいさお
「燃える平原児」より。

ささきいさおの30代の頃

30歳の時に「科学忍者隊ガッチャマン」のコンドルのジョー役で、声優として、国内アニメーションに初出演

そんな中、ささきいさおさんは、音響制作会社の「オムニバスプロモーション」の水本完さんに、「アニメをやらないか」と声をかけられ、「科学忍者隊ガッチャマン」の音響監督だった斯波重治さんを紹介してもらったそうで、

1972年、30歳の時には、「科学忍者隊ガッチャマン」のコンドルのジョー役で、声優として、国内アニメーションに初出演します。

ささきいさお
ささきいさおさんと、声を担当した「科学忍者隊ガッチャマン」のコンドルのジョー。

すると、コンドルのジョーは、リーダーの「大鷲の健」に次ぐナンバー2的な存在で、クールで無口なキャラだったそうですが、回を追うごとに人気が高まっていったそうで、

(ただ、今のようなアニメブームではなかったことから、ファンレターなどは来なかったそうです)

ジョーが最後に、仲間のために体を張って絶命する際、岩に寄りかかって、

疲れたぜ

というセリフは、今でもファンの間で根強い人気を博しており、

ささきいさおさんは、「声が低くて良かった」と思っているそうです。

(ジョーはあまりの人気だったため、その後、サイボーグとして復活しているのですが、その時も、ささきいさおさんがジョーの声を担当しています)

31歳の時にはアニメ「新人造人間キャシャーン」の主題歌歌手に抜擢されていた

そんな、ささきいさおさんは、コンドルのジョー役を務める中、今度は、アニメの主題歌歌唱のオファーが舞い込んできたそうで、

1973年、31歳の時には、アニメ「新人造人間キャシャーン」の主題歌を歌唱すると、高く評価されたそうで、以降、アニメソング歌手として、歌手活動を再開します。

ささきいさお
「新人造人間キャシャーン」のレコード

ちなみに、ささきいさおさんは、当時、幼稚園児の子供がいたそうで、「科学忍者隊ガッチャマン」で声優をやったのを喜んでくれたことから、今度はアニメの歌を歌えるところも見せてやろうと思い、このオファーを引き受けたのだそうです。

また、ささきいさおさんは、アニメソングを歌うことについて、

アニメとの出会いは、歌の面白さを教えてもらういいチャンスにもなりました。アニメの曲は、ジャンルが多様なんですよ。

歌謡曲調、フォーク調、行進曲調があったりといろいろだから、声の出し方も変わるんです。そこで、一度、変化をつけられるようになると、俄然、歌が面白くなるんですね

と、語っています。

(当時、アニメの主題歌を歌っている人は、コロムビアでも、水木一郎さんと子門真人さんぐらいだったそうです)

32歳の時にアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌が空前の大ヒットを記録

そして、ささきいさおさんは、1974年、32歳の時には、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌を歌唱すると、作品、主題歌ともに空前の大ヒットとなり、ミリオンセラーを記録。

ささきいさおさんは歌手としての実力を一気に世間に知らしめます。

ささきいさお
「宇宙戦艦ヤマト」

実は、この「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌は、もともと子門真人さんが歌うことになっていたところ、子門真人さんの声がプロデューサーの西崎義展さんのイメージに合わず、急遽、録音し直すことになり、ささきいさおさんのところにオファーが来たそうですが、その時点で、レコーディングまで残り3日しかなかったそうです。

しかも、短調にもかかわらず、フラットを付け忘れた長調の曲の譜面が送られてきたそうで、ささきいさおさんは、「おかしいな」「何だかへんてこな曲だな」などと思いつつも、(3日後にはもうレコーディングと言われていたため)譜面通りで練習をし、スタジオに行くと、やはり、譜面が間違えていたため、大慌てで、大至急、覚え直したそうです。

また、プロデューサーの西崎義展さんは、注文がとても多い人だったそうで、

ささきいさおさんは、

そもそも“ヤマト”を僕が歌うようになったのも、先にレコーディングしていた子門真人の声がプロデューサーのイメージに合わなくて、急遽録音をし直したからなんです。

しかもスタジオでは、作品プロデューサーが自分で歌い出して「哀愁を込めろ、ムードを出せ」と歌唱指導が始まる。でも作曲の宮川先生は、「元気よく歌え」と。言うことがみんな違うんです(笑)。

たくさん歌って、最後は声が出なくなってしまうくらい。もう最後はこっちもやけっぱちでしたが……それが良かったんでしょうね。小細工なしに歌ったから、勢いもスケールも出た。声の低さも良かったんだと思います。運に恵まれた曲でした。

と、語っています。

36歳の時に「銀河鉄道999」の主題歌が社会現象を巻き起こす大ヒットを記録

また、ささきいさおさんは、1978年、36歳の時には、「銀河鉄道999」の主題歌を歌唱すると、こちらも、作品、主題歌ともに社会現象を巻き起こす大ヒットとなり、大杉久美子さん、水木一郎さん、子門真人さん、堀江美都子さんらと共に、アニメソングの黎明(れいめい)期を支えたのでした。

銀河鉄道999
「銀河鉄道999」

ささきいさおは41歳の時に歌手活動を休止し、俳優業、ナレーター、洋画の吹き替えへと活動の場をシフトしていた

そんなささきいさおさんは、その後も、アニメや特撮ドラマの主題歌や挿入歌を歌唱していたのですが、1983年に「宇宙戦艦ヤマト」が完結すると、一旦、歌手活動を休止し、俳優業、ナレーター、洋画の吹き替えへと活動の場をシフトしていきます。

ささきいさおは56歳~60代の時にはアニメソング歌手としての活動を再開

そして、1998年、56歳の時、約15年ぶりにアニメソングを歌唱すると、同年には、ベストアルバム「佐々木功シングルコレクション’73〜’87」をリリースするなど、

以降、アニメソング歌手としての活動を本格的に再開し、自身の代表曲である「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「秘密戦隊ゴレンジャー」など、現在に至るまで、歌い続けています。

ささきいさお
ささきいさおさんのベストアルバム「佐々木功シングルコレクション’73〜’87」

ささきいさおは72歳でベストアルバム「MOMENT~今の向こうの今を~」をリリース

そんなささきいさおさんは、2016年には、2015年に歌手デビュー55周年を迎えたことを記念して、ベストアルバム「MOMENT~今の向こうの今を~」をリリースしているのですが、

同年には、「東京アニメアワード2015」において歌手としてアニメ功労賞を受賞しています。

ささきいさお
ささきいさおさんのベストアルバム「MOMENT~今の向こうの今を~

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ささきいさおの現在は?

また、ささきいさおさんは、2020年、78歳の時には、デビュー60周年を迎えると、「ささきいさお デビュー60周年記念スペシャルライブ」を開催するほか、

同年3月からスタートした特撮ドラマ「機界戦隊ゼンカイジャー」の挿入歌「全界合体!ジュラガオーン」を、「アニソン界の女王」こと堀江美都子さんとデュエットするなど、現在も精力的に活動しています。

「ささきいさおの元妻は?現在の妻とは息子(連れ子)同士でイジメ!」に続く

ささきいさおと堀江美都子
ささきいさおさんと堀江美都子さん。

お読みいただきありがとうございました

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