1966年、「故郷の悲しき星/涙のギター」でデビューすると、その後、数多くのアニメソングや特撮テレビドラマの主題歌を歌唱し、水木一郎さん、ささきいさおさんとともにアニメソング御三家と称された子門正人(しもん まさと)さん。
今回は、そんな子門真人さんの若い頃から現在までの活躍や経歴を、生い立ちを交えて時系列でまとめてみました。
子門真人のプロフィール
子門真人さんは、1944年1月4日生まれ、
東京都目黒区の出身、
血液型はA型、
学歴は、
玉川大学文学部英米文学科卒業、
趣味は、アマチュア無線、
ちなみに、子門真人さんの本名は「藤川正治(ふじかわ まさはる)」なのですが、玉川大学在学中に洗礼を受けてクリスチャンになり、洗礼名が聖書に登場する「シモン」だったことから、芸名は、上の名前を「子門」とし、下の名前「真人」は中学時代の友人の名前から取り、「子門真人」としたのだそうです。
子門真人の幼少期は児童劇団「チャイム」に入団していた
子門真人さんは、3人きょうだい(兄と姉)の末っ子として誕生すると、幼い頃は引っ込み思案な性格で、そのことを心配したお母さんの勧めにより、児童劇団「チャイム」に入団したそうです。
子門真人は高校2年生の時にクラシックの声楽を学ぶも将来はサラリーマンになろうと思っていた
その後の詳しい経緯は不明ですが、子門真人さんは、高校2年生の時には、クラシックの声楽を学んでいたそうです。
ただ、この時はまだ、歌手を目指していたわけではなく、将来はサラリーマンになろうと思っていたのだそうです。
子門真人は22歳の時に歌手を目指し、作曲家・すぎやまこういちのオーディションを受けて合格
そんな中、子門真人さんは、玉川大学4年生の時に忘年会でフォークソングを歌った際、友人に歌手になることを勧められ、ここで、初めて歌手に興味を持つようになったそうで、
作曲家・すぎやまこういちさんのオーディションを受けると、見事合格したのだそうです。
子門真人は大学卒業後の22歳の時に「藤浩一」名義で、「故郷の悲しき星/涙のギター」で歌手デビューするも1年半で引退していた
こうして、すぎやまこういちさんのもとで歌と作曲を学んだ子門真人さんは、1966年、大学卒業後の22歳の時に、歌謡歌手として、「藤浩一」名義で、ファーストシングル「故郷の悲しき星/涙のギター」でデビューすると、1万枚を売り上げたそうですが・・・
その後は、1年半の間に、新曲を5枚発表したそうですが、いずれもヒットとはならず、引退してしまったのでした。
「故郷の悲しき星/涙のギター」より。
ちなみに、「藤浩一」は、本名の「藤川正浩」から2文字をとった旨の記事があったのですが、子門真人さんの本名は「藤川正治」とされており、詳細は不明です。
子門真人は24歳の時にアルバイトとして歌手活動を継続しつつ、作曲家・音楽プロデューサーとして活動していた
さておき、その後、子門真人さんは、1968年、24歳の時には、「フジ音楽出版」(現・フジパシフィックミュージック)に入社すると、
アルバイトのような形で歌手活動を継続しつつ、作曲家・音楽プロデューサーとして、グループ・サウンズへ楽曲提供を行っていたそうです。
子門真人は27歳の時に特撮テレビドラマ「仮面ライダー」の主題歌で130枚を超える大ヒットを記録していた
そんな子門真人さんは、1971年、27歳の時には、「藤浩一」名義で、特撮テレビドラマ「仮面ライダー」の主題歌「レッツゴー!! ライダーキック」を歌唱(アニメソングデビュー)すると、130枚を超える大ヒットを記録するのですが・・・
子門真人さんはアルバイトとしての歌唱だったため、ギャラは、たった2万5千円だったそうです。
「仮面ライダー」の主題歌「レッツゴー!! ライダーキック」より。
子門真人は28歳の時に円谷音楽出版に移籍し、「レッドマン」などの主題歌を歌唱していた
また、子門真人さんは、1972年、28歳の時には、(歌手ではなく社員として)円谷音楽出版に移籍すると、楽曲管理の総責任者を務め、
そのかたわら、「レッドマン」「トリプルファイター」「ジャンボーグA」「ファイヤーマン」など、円谷プロダクション制作の特撮テレビドラマの主題歌の歌唱を担当したそうです。
(「トリプルファイター」「ジャンボーグA」は「谷あきら」名義)
「レッドマン」より。
子門真人は28歳の時にはアニメ「科学忍者隊ガッチャマン」「キカイダー01」などの主題歌を歌唱していた
また、子門真人さんは、同年(1972年)には、タツノコプロのアニメ「科学忍者隊ガッチャマン」や「キカイダー01」(1973年)、特撮テレビドラマ「流星人間ゾーン」(1973年)など、様々なレコード会社でアニメや特撮ドラマの主題歌なども担当しているのですが、
どの作曲家の歌も見事に歌いこなす歌唱力の高さで、視聴者から圧倒的な支持を得たのでした。
(ちなみに、子門真人さんは、アルバイトとして歌手活動をしていたため、特定のレコード会社と契約を結んでおらず、フリーの歌い手として、「子門真人」のほか、「藤浩一」「谷あきら」「ピーター・サイモン」など、複数の名義をレコード会社ごとに使い分けていたそうですが、レコード会社としては、歌手として起用しやすかったのだそうです)
「科学忍者隊ガッチャマン」より。
子門真人は31歳の時に「およげ!たいやきくん」が爆発的なヒットを記録していた
そんな子門真人さんは、1975年、31歳の時には、幼児向け教育番組「ひらけ!ポンキッキ」内で、「およげ!たいやきくん」を発表すると、オリコンチャートで史上初のシングルチャート初登場1位、11週連続1位と、爆発的なヒットを記録。
翌年の1976年、32歳の時には、「第9回全日本有線放送大賞 特別賞」「第5回FNS歌謡祭 最優秀ヒット賞」を受賞したのでした。
「およげ!たいやきくん」より。
また、テレビに出演した時の、アフロヘア、髭(ひげ)、メガネのスタイルで、子門真人さんは、一躍、有名人となったのでした。
テレビ番組で「およげ!たいやきくん」を歌唱する子門真人さん。
「およげ!たいやきくん」を印税契約していなかった
ちなみに、「およげ!たいやきくん」は、現在までに、(オリコンでカウントされていない売上も含めると)500万枚以上売り上げているそうですが、
子門真人さんは、まさか、この曲がメガヒットするとは思わず、レコーディング時、レコード会社から、印税契約か買い取り契約かを聞かれ、印税契約ではなく、買い取り契約を選んでいたそうで、受け取ったのは、たった5万円だけだったそうです。
(楽曲の場合、通常は「印税制」か「買い取り」の2種類に大きく分かれるそうで、「印税制」はその作品の売り上げから、何%かを収入として受ける形となり、作品が売れ続ける限り 永続的に収入として入り続けるそうですが、一方、「買い取り」はというと、一定のお金をもらっておしまいだそうです)
ただ、その後、レコード会社から100万円と白いギターが1本贈られたそうです。
子門真人は32歳の時には「ホネホネロック」が大ヒット
そんな子門真人さんは、1976年、32歳の時にも、同じく、幼児向け教育番組「ひらけ!ポンキッキ」内で発表された「ホネホネロック」が60万枚を売り上げる大ヒットを記録しています。
「ホネホネロック」より。
この「ホネホネロック」は、エフェクトの利いたエレキギターの音をバックに、「およげ!たいやきくん」とは全く毛色の違った、子門真人さんの雄叫びを含む豪快で伸びのある歌声が、特に男の子の間で人気を博し、売上を大きく伸ばしたそうです。
子門真人が34歳の時に発売した「スターウォーズのテーマ」は隠れた「迷曲」?
ちなみに、子門真人さんは、1978年、34歳の時には、「スターウォーズのテーマ~カンテナバンド~」を発表しているのですが、この曲は現在、隠れた「迷曲」となっているといいます。
というのも、この曲は、子門真人さんが、誰もが知っている「スターウォーズのテーマ」を、軽快なディスコサウンドに日本語の歌詞を乗せて、「およげ!たいやきくん」などのアニメソングや特撮ドラマ風に歌い上げていて、マニアの間で人気が高いそうで、
(歌詞には映画の内容が反映されていないそうです(笑))
1999年には、マニア御用達のPヴァインレコードから、この「スターウォーズのテーマ~カンテナバンド~」を収録したオムニバスアルバムが発売されているのです。
「スターウォーズのテーマ~カンテナバンド~」より。
子門真人は36歳の時に芸能界を引退していた
そんな子門真人さんは、1980年、36歳の時には、西友ストアー主催のミュージカル、西友ファミリー劇場の「翔べイカロスの翼」に主演しているのですが、
このことがきっかけで、1982年、38歳の時には、SPN(現・I&S BBDO)に課長待遇で入社し、芸能界を引退しています。
子門真人は43歳の時にはフリーの歌手として芸能活動を再開していた
そして、SPNでは西友ファミリー劇場のミュージカルのプロデュースを担当していたそうですが、1986年、42歳の時、SPNを退職すると、同年には、芸能界に復帰し、1987年、43歳の時には、フリーの歌手として活動を再開。
すると、この年(1987年)、「ひらけ!ポンキッキ」の「動く図鑑コーナー」の挿入歌「はたらくくるま2」が幼児たちの間で人気を博したのでした。
「はたらくくるま2」より。
子門真人は51歳の時にバラエティ番組「あの人は今!?」に出演するもモザイク処理されていた
ただ、1993年、49歳の時には、再び芸能界を引退。
1995年、51歳の時には、バラエティ番組「あの人は今!?」に出演するも、子門真人さんは撮影を拒否しており、番組ではすべてモザイク処理された形での出演で、子門真人さんの姿や肉声は放送されませんでした。
子門真人の現在は消息不明
以降、子門真人さんは、公式にマスメディアへの露出はしておらず、
2019年、75歳の時、「歌のゴールデンヒット」で、子門真人さんが紹介された際には、司会の堺正章さんが、
もしも子門さんがこの番組をご覧になっていたら是非スタッフにご連絡をいただければ
と、呼びかけているのですが、
その後、子門真人さんからの連絡はなく、消息不明となっているといいます。
「子門真人の現在は消息不明!理由はおよげたいやきくんの印税と人間嫌い?」に続く
1975年、幼児向け教育番組「ひらけ!ポンキッキ」内で流れた「およげ!たいやきくん」が500万枚以上を売上げる大ヒットとなるほか、「ガッチャマン」「キカイダー」などの主題歌も歌い、「アニメソングの帝王」として高く評価され …