1970年代、ロックバンド「キャロル」で大ブレイクすると、「キャロル」解散後は、ソロ活動のかたわら、俳優としても活躍した、ジョニー大倉(じょにー おおくら)さん。
そんなジョニー大倉さんは、2013年5月、61歳の時には、肺ガンが判明し、余命2週間と宣告されるも、その後、治療の甲斐あり、2014年4月には、復活ライブを敢行するまでに回復するのですが、2014年11月19日、肺炎により62歳で他界されています。
今回は、ジョニー大倉さんの、ガン闘病生活、復活ライブの様子など、息子のケニー大倉さんの証言を交えながらご紹介します。
「ジョニー大倉の妻との馴れ初めは?息子はケニー大倉と大倉弘也!娘は?」からの続き
ジョニー大倉は肺ガンが判明し”余命2週間”と宣告されていた
ジョニー大倉さんは、2013年5月、健康診断を受けた際、肺ガンが判明し、余命2週間と宣告されたそうです。
息子のケニー大倉さんによると、ケニー大倉さんとお母さん(ジョニー大倉さんの妻)の眞理子さんは医師に呼ばれ、そこで、肺のレントゲン写真を見せられたそうですが、
なんと15個もガンがあり、大きさは最大で15センチもあったそうで、素人目にも「もう助からない」と思うほどだったそうです。
そして、この時、医師から、
2週間しか生きられない
と、告げられたそうで、
ジョニー大倉さん本人に言うかどうかじっくり考えている猶予もなく、結局、医師から伝えてもらったそうですが、ジョニー大倉さんは、動揺したそぶりも見せず、ただじっと遠くを見つめていたといいます。
それでも、その後、(ジョニー大倉さんの妻)の眞理子さんと「絶対に治るから闘おう」と話していたといいます。
ジョニー大倉は抗ガン剤治療で4ヶ月後に退院できるまで回復していた
その後、ジョニー大倉さんは、1クール5日間の抗ガン剤治療を4回繰り返すと、治療の甲斐があり、ガンが縮小し、4ヶ月後には、退院できるまでに回復したそうです。
(第4クールくらいから少しかっ血があり、髪の毛も抜け始めたそうですが、リーゼントがトレードマークだったジョニー大倉さんは、抜けかけの髪の毛を自らの手で取っていたそうで、その姿を見て、ケニー大倉さんは、「病気と闘う覚悟をしたんだな」と感じたそうです)
ちなみに、ケニー大倉さんは、闘病中のお父さんの様子について、
抗がん剤治療では体力が落ちることが多いようですが、おやじは元気でしたね。「あれが食べたい」「あれを持ってきてくれ」とわがままも多かった。
若い頃から大酒飲みでやんちゃで、あまり家にいない父親でしたから、僕は両親がけんかするところばかりを見てきました。それが病気になってから、おやじはおふくろに甘えきって、まるで恋人時代に戻ったようでした。
と、語っています。
ジョニー大倉さんとケニー大倉さん。
ジョニー大倉は復活ライブを敢行していた
そんなジョニー大倉さんは、2014年4月13日には復活ライブを敢行しているのですが、
実は、ジョニー大倉さんは、杖なしでは立って歩けない状態だったそうで、元気な姿をファンに見せようと、立って、力強く7曲を歌い上げたといいます。
復活ライブで7曲を熱唱したジョニー大倉さん。
また、前日の4月12日には、眞理子さんが看病疲れのせいか、心筋梗塞で倒れ、入院したそうで、ジョニー大倉さんは、ライブの中止を考えたそうですが、
4月13日は「キャロル」が解散した日で、毎年この日に行うライブはジョニー大倉さんのライフワークとなっていたことから、ギリギリまで迷った末に予定通り開催したのだそうです。
ジョニー大倉は病状が徐々に悪化していた
しかし、その後、ジョニー大倉さんの容体は徐々に悪化し、8月には再入院。
そして、その後、酸素ボンベが手放せなくなると、体力が衰えていたせいで、副作用の強い抗ガン剤はもう使えなくなったそうです。
また、病室の壁にカレンダーを貼り、
ケンイチはどこでライブなんだ
と、よく聞いていたそうですが、
腕時計もつけたままだったそうで、ケニー大倉さんは、本当はカレンダーで一日一日自分が生きていることを確認し、一秒一秒刻まれる時間の流れから離れたくなかったのでは、と思っているそうです。
(ジョニー大倉さんは、9月6日には、「バースデーライブ」を開催し、ファンに向けたメッセージ映像を公開しているのですが、これがファンに向けた最後の映像となっています)
ジョニー大倉は死の前日に息子のケニー大倉と初めて握手をしていた
やがて、ジョニー大倉さんは、話しかけても、苦しそうに「うん」と答えるのがやっとという状態になったそうで、
11月18日午後、ケニー大倉さんが、
じゃあ、ライブに行ってくるから
と、言うと、
ジョニー大倉さんは、黙って手を差し出してきて、握手をしたそうです。
(ケニー大倉さんは、お父さんとこれまで握手をしたことがなかったそうで、「ケンイチ頼むな」と言われたような気がしたそうです)
ジョニー大倉の死因は肺炎
そして、その翌日の2014年11月19日、ジョニー大倉さんは、肺炎により、62歳で他界されているのですが、
ケニー大倉さんは、仕事の移動中だったため、死に目に会えず、夜に駆けつけると、そこには、ステージ衣装を着てメイクもした”ジョニー大倉”がいたといいます。
(本人の希望で、全て用意してあったのだそうです)
ちなみに、ケニー大倉さんは、若い頃はお父さんに反発ばかりしていたそうですが、お父さんの他界後、感じていることとして、
ずっと、おやじを嫌っていた。小さい頃、かわいがってもらった記憶はない。たまに帰るとどなる。ミュージシャンのジョニー大倉は大好きだけど、おやじの大倉洋一には反発してきた。その気持ちは、病気になっても続いていたんです。
でも、入院中のある時、突然「お前にはすまなかった」と。おやじ、ずっと気にしていたのか……。その一言で、わだかまりが消えました。
病気をきっかけに、兄弟、親戚が集まるようになり、いつしか会うこともなくなっていた家族がまた一つになった。おやじは自分の命に替えて、家族に絆を取り戻したんじゃないか。そんな気がします。
と、語っています。
矢沢永吉さんと共にロックバンド「キャロル」で一斉を風靡すると、ソロとなった後は、俳優業でも才能を発揮した、ジョニー大倉(じょにー おおくら)さんですが、 荷役の親方だったお父さんとその愛人で在日韓国人だったお母さんのもと …