1971年、21歳の時に、洪栄龍(こう えいりゅう)さん、松吉久雄さん、矢島俊郎さんと共にバンド「乱魔堂」を結成すると、解散後は、バンド「フライ」での活動を経て、
1974年1月には、ロックバンド「キャロル」にオーディションで加入した、サミーこと、猿山幸夫(さるやま ゆきお)さん。
今回は、猿山幸夫さんの若い頃から現在までの経歴を、「キャロル」加入&脱退も交えてご紹介します。
猿山幸夫のプロフィール
猿山幸夫さんは、1950年~1951年生まれ、
東京都出身です。
(生年月日などプロフィールが一切公開されておらず、学歴なども不明)
猿山幸夫はバンド「乱魔堂」としてアルバム「乱魔堂」でデビューするもわずか2年で解散していた
猿山幸夫さんは、バンド「ブラインド・レモン・ジェファーソン」での活動を経て、1971年1月、21歳の時に、洪栄龍(こう えいりゅう)さん、松吉久雄さん、矢島俊郎さんと共にバンド「乱魔堂」を結成すると、
カントリーロックとブルースロックを融合させたサウンドで、ライブを中心に精力的に活動し、1972年8月1日には、アルバム「乱魔堂」でデビューしているのですが、わずか2年足らずの1972年12月に解散しています。
ちなみに、猿山幸夫さんは、「乱魔堂」結成の経緯について、
ぼくは洪さんとは古いつきあいで、5~6年にはなるかな。ギターが好きで、松吉君とオリジナルをやってたけど、自分では足りないものを感じてた。
松吉君と相談して、3人でやろうじゃないかと決めたのが今年の1月。さっそく洪さんがぼくの家に居候(いそうろう)することになって、そこを中心にあっという間に何かが始まったという感じですね。
と、語っています。
「乱魔堂」
猿山幸夫は新バンド「フライ」を結成していた
猿山幸夫さんは、「乱魔堂」解散後の1973年1月には、松吉久雄さん、矢島敏郎さん、大野久雄さんと共に新バンド「フライ」を結成すると、同年1月20日にはデビューライブを開催し、以降、ライブを中心に精力的に活動を続けていたのですが、
(この年の7月頃までは活動していたことが確認できるものの)いつ頃かは不明ですが、解散したようです。
猿山幸夫はオーディションで「キャロル」に加入していた
そんな猿山幸夫さんは、1974年1月には、「キャロル」にオーディションを受けて合格し、ギターとして加入しているのですが、
実は、1973年11月25日、「キャロル」のギタリストだったジョニー大倉さんが小樽公演から帰京する途中で失踪してしまったことから、
矢沢永吉さんは、行方が分からなくなったジョニー大倉さんの帰りを待ちながら、内海利勝さん、ユウ岡崎さんと共に3人で活動を続けていたそうですが、
やがて、ジョニー大倉さんに見切りをつけ、オーディションを行い、猿山幸夫さんを新メンバーとして迎え入れたのでした。
猿山幸夫はシングル「涙のテディ・ボーイ」発売に合わせて「キャロル」のメンバーとして活動を開始していた
こうして、「キャロル」に加入した猿山幸夫さんは、1974年2月5日、シングル「涙のテディ・ボーイ」発売に合わせて活動を開始し、素人参加型の情報バラエティ番組「ぎんざNOW!」にも出演すると、ジョニー大倉さんに代わり「新メンバー・サミー」として紹介され、
当時の雑誌には、
昨年の秋頃からジョニー・大倉が病気で3人で演奏していたキャロルだが、2月からジョニーに代わって、サイドに新メンバーとしてサミー(猿山幸夫さん)が加入。新生なったキャロル、新曲「涙のテディ・ボーイ」で再度キャロル旋風を起こすか!
と、紹介されたのですが・・・
「涙のテディ・ボーイ」
猿山幸夫はジョニー大倉の復帰に伴い「キャロル」からの脱退を余儀なくされていた
1974年2月中旬頃、ジョニー大倉さんが精神病院で見つかると、ジョニー大倉さんが「キャロル」のメンバーとスタッフに詫びを入れたことで、「キャロル」に復帰することになり、
猿山幸夫さんは、わずか1ヶ月足らずで、「キャロル」から脱退することを余儀なくされてしまったのでした。
(当初、矢沢永吉さんは、失踪したジョニー大倉さんに対し、プロ意識が欠如していると怒りをあらわにしていたのですが、やはり、「キャロル」には、ジョニー大倉さんが必要だと判断し、ジョニー大倉さんが詫びを入れたこともあり、復帰を許したのだそうです)
猿山幸夫は「キャロル」脱退後はジョニー大倉のバンド「ジョニー&ダーリン」にベースとして参加していた
猿山幸夫さんが、「キャロル」脱退後、どのような活動をしていたのか不明ですが、
1976年頃には、ジョニー大倉さんが結成したバンド「ジョニー&ダーリン」にベースとして参加しています。
(「キャロル」は1975年に解散)
猿山幸夫は2005年には「乱魔堂」再結成ライブに参加していた
そんな猿山幸夫さんは、その後、長い間、情報がなく、2005年9月に「乱魔堂」が再結成された際には、再結成ライブに参加していたようですが、
その後は情報が一切なく、現在どうされているのかは不明です。
猿山幸夫の参加作品(アルバム・シングル)
最後に、猿山幸夫さんが参加した主なアルバムとシングルをご紹介しましょう。
- 乱魔堂として(アルバム)
- 1972年「乱魔堂」
- 1989年「1971 SUMMER」※1971年8月に開催された第3回全日本フォークジャンボリーにおけるライブ録音
- 2006年「1972春一番」※disc-5
- 1972年「乱魔堂」
- キャロルとして(シングル)
- 1974年「涙のテディ・ボーイ」
などに参加しています。