1972年7月、矢沢永吉さん、内海利勝さん、ジョニー大倉さんに、ロックバンド「キャロル」のドラマーとして迎え入れられた、今井英雄(いまい ひでお)さんですが、デビュー前の1972年10月頃には、「キャロル」を脱退したといいます。

今回は、そんな今井英雄さんの若い頃、そして、なぜ、デビュー前に「キャロル」を脱退したのかについてご紹介します。

今井英雄

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今井英雄と今井茂利(今井茂利)は別人

ネット上では、今井英雄さんを今井茂利(正しくは今井茂淑)さんと勘違いし、「キャロル」結成時のドラマーは今井茂淑さんだとしている記述が多く見受けられますが、

今井茂淑さんは、「神無月」、「ハート・オブ・サタデイ・ナイト」、初期の「ダンガンブラザース」などのバンドに在籍したドラマーで、「キャロル」に在籍したことはありません。

(今井茂淑さんは、その後、ミュージシャンから一転、家具職人となられています)

ちなみに、今井英雄さんの生年月日などプロフィールは一切公開されていないため、年齢や出身地は不明です。

今井英雄は矢沢永吉、内海利勝、ジョニー大倉とロックバンド「キャロル」を結成していた

内海利勝さんの友人だった今井英雄さんは、大学在学中の1972年7月、矢沢永吉さん、内海利勝さん、ジョニー大倉さんに迎え入れられる形で「キャロル」を結成すると、

その後、矢沢永吉さんがバンド「ヤマト」で活動していた時代に練習で使っていた横浜市立大学の講堂で練習を始めたそうです。

(今井英雄さんは、矢沢永吉さんのバンド「ヤマト」の後期にドラマーとして参加していたそうです)

今井英雄は「キャロル」として伊勢佐木町のディスコ「ピーナツ」でステージデビュー

そして、1972年8月には、矢沢永吉さんの友人により紹介された横浜・伊勢佐木町のディスコ「ピーナツ」で、ビートルズのコピーバンドとして初ステージを踏むと、その後は、横浜・川崎・蒲田など京浜地区のディスコやナイトクラブなどに精力的に出演したそうです。

今井英雄がデビュー前に「キャロル」を脱退した理由とは?

そんな中、1972年10月、「キャロル」は、フジテレビ「リブ・ヤング」に初のテレビ生出演を果たすと、その時の演奏をテレビで観ていたミッキー・カーチスさんに見出され、

「日本フォノグラム」(現在のユニバーサルミュージック)と専属契約を結び、ミッキー・カーチスさんプロデュースのもと、ついにデビューが決まったのですが・・・

「キャロル」のデビューが本格的に動き出した矢先の、デビュー曲「ルイジアンナ」のレコーディング直前、まだ大学生だった今井英雄さんは、「キャロル」を脱退したい旨をメンバーに申し出たといいます。

というのも、ジョニー大倉さんによると、今井英雄さんは、もともと、プロになる願望はなく、レコード会社と契約したのは、本気で音楽がしたかったからではなく、自分が抜けたことで他のメンバーに迷惑がかかることを懸念したことによるものだったといいます。

ちなみに、「キャロル」は、1972年12月25日、シングル「ルイジアンナ」でデビューすると、篠山紀信さん撮影によるグラビアが、週刊「プレイボーイ」誌に毎週3ページに渡り連載されているのですが、

第1回目のグラビア撮影の際には、今井英雄さんだけカメラに背中を向け、今井英雄さんの革ジャンの背中にジョニー大倉さんが「CAROL」と書いたといいます。

(今井英雄さん脱退後、同年11月には、岡崎ユウさんが新メンバーとして「キャロル」に加入しています)

今井英雄

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今井英雄は「キャロル」脱退後「吉野大作バンド」に参加するもその後は消息不明

そんな今井英雄さんは、「キャロル」脱退後は、一時期「吉野大作バンド」にドラマーとして参加していたことがあったようですが、

その後の情報は一切ありませんので、現在は、一般人として暮らしている可能性が高そうです。

お読みいただきありがとうございました

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