1972年、ロックバンド「キャロル」として、ファーストシングル「ルイジアンナ」でレコードデビューし、その火花を散らすような激しいライブが若者から絶大な人気を博すと、
1975年、ソロ転向後も、破竹の快進撃を続け、レコード売上、観客動員数ともに、ロックスターとしての地位を不動のものにした、矢沢永吉(やざわ えいきち)さん。
今回は、そんな矢沢永吉さんの若い頃から現在までの活躍や経歴を、デビューから時系列でまとめてみました。
「矢沢永吉の生い立ちは?幼少期が悲惨!高卒後ロックシンガー目指し横浜で音楽活動開始!」からの続き
矢沢永吉は10代の時に木原敏雄、大森正治らとロックバンド「ヤマト」を結成
矢沢永吉さんは、10代の頃、バンド「ザ・ベース」を結成し、その後、自らスカウトして、木原敏雄さん、藤田潔さんが加入すると、
この2人と意気投合したことから、「ザ・ベース」は解散し、木原敏雄さん、藤田潔さんさんと共に、新バンド「イーセット」を結成しています。
また、それからほどなくして、他のバンドのドラマーだった、まだ15歳だった大森正治さんを引き抜くと、ドラマー交代をきっかけに、「イーセット」から「ヤマト」へとバンド名を変更しています。
(木原敏雄さんは、後に、矢沢永吉さんのソロ初期のバックバンド「NOBODY」のメンバーとしても活躍しています)
地元・広島に預けていたドラムセットを取りに戻るも、親戚から思いもよらない言葉を吐かれ、ドラムセットを奪い取られた、矢沢永吉(やざわ えいきち)さんですが、その悔しさをバネに、ロックシンガーへの道を邁進します。 「矢沢永吉 …
矢沢永吉は20代の時に「キャロル」を結成するもメンバーの不祥事、失踪などトラブルが続き、解散していた
22歳の時に「ヤマト」解散
こうして、新バンド「ヤマト」として再スタートを切った矢沢永吉さんは、1971年、21歳の時には、横浜駅西口にあるディスコ「グルッペ」でライブ活動を開始すると、たちまち人気を博し、以降、精力的に活動を続けるのですが、
そんな中、矢沢永吉さんが、虫歯が化膿したことが原因で体調を崩し、1ヶ月間「ヤマト」から離れると、矢沢永吉さんが不在の間、「ヤマト」のメンバーの結束力はみるみるうちに弱まって、次々とメンバーが脱退してしまい、
結局、1972年、矢沢永吉さんが22歳の時には、「ヤマト」は横浜市立大学講堂のライブを最後に解散し、矢沢永吉さんは、一人ぼっちになってしまったのでした。
22歳の時にジョニー大倉、内海利勝、今井英雄と共に「キャロル」結成
これからという時にメンバーが次々と脱退し、矢沢永吉さんはひどい挫折感を味わったそうですが、
なんとかこの状況を抜け出すため、新しいバンドを作ろうと、新メンバーを募集すると、ジョニー大倉さん、内海利勝さん、今井英雄さんが集まり、1972年6月に「キャロル」を結成します。
「キャロル」
23歳の時に「キャロル」としてファーストシングル「ルイジアンナ/最後の恋人」でレコードデビュー
すると、またしても、矢沢永吉さんは、破竹の快進撃を続け、1972年には、音楽番組「リブ・ヤング」に出演したことがきっかけで、
ミッキー・カーチスさんプロデュースの元、1972年12月20日、23歳の時、ファーストシングル「ルイジアンナ/最後の恋人」でレコードデビューを果たしたのでした。
バンド「ヤマト」ではメンバーが次々と辞めてしまい、たった一人になってしまった、矢沢永吉(やざわ えいきち)さんですが、新たなメンバーとともに、新バンド「キャロル」を結成すると、快進撃を続け、1972年、音楽番組「リブ・ヤ …
デビューシングル「ルイジアンナ/最後の恋人」
23歳の時は瞬く間にスターダムへと駆け上るもメンバーの不祥事や失踪などトラブル続きだった
ちなみに、矢沢永吉さん率いる「キャロル」は、その火花を散らすような激しいステージが、若い世代の圧倒的な支持を受け、瞬く間にスターダムへと駆け上ったのですが、人気とは裏腹に、バンド内は波乱に満ちていたそうで、
まず、ドラムの今井英雄さんがデビュー直前に脱退し、ユウ岡崎さんが加入するも、ユウ岡崎さんは、2枚目のシングル制作中に傷害事件を起こして逮捕され、バンドを離脱。
その後、ユウ岡崎さんの後釜には相原誠さんが加入するのですが、3枚目のシングル制作後にユウ岡崎さんが戻って来ると、なんと、矢沢永吉さんは、相原誠さんをクビにして、ユウ岡崎さんを「キャロル」に戻したほか、
(この仕打ちに、相原誠さんはひどく落胆したそうです)
1973年には、ジョニー大倉さんが失踪し、1974年2月中旬頃に、ジョニー大倉さんが精神病院で見つかり、「キャロル」に復帰するも、
この出来事で、バンド内のパワーバランスが変わり、これまで、バンドの中で、矢沢永吉さんと同等だったジョニー大倉さんの存在感が薄くなり、矢沢永吉さんの影響力が増したのでした。
1972年12月20日、ついに、「キャロル」として、シングル「ルイジアンナ/最後の恋人」でデビューすると、火花を散らすような激しいステージが若い世代に圧倒的支持を受け、瞬く間にスターダムへのし上がった、矢沢永吉(やざわ …
25歳の時に「キャロル」を解散
それでも、精力的に活動を続けていた矢沢永吉さんですが、1975年、人気絶頂の中、「キャロル」は解散。
ちなみに、解散の理由について、ジョニー大倉さんは、2013年、「週刊新潮」のインタビューで、矢沢永吉さんと確執があったことを明かしています。
対外的には「キャロル」として大ブレイクした、矢沢永吉(やざわ えいきち)さんですが、バンド内では、メンバーの不祥事や失踪ほか、数々のトラブルがあり、ついに、1975年、人気絶頂のさなか解散。今回は、その解散の原因について …
26歳の時にシングル「アイ・ラヴ・ユー、OK」」、アルバム「I LOVE YOU, OK」でソロデビュー
その後、矢沢永吉さんは、1975年9月21日、26歳の時、シングル「アイ・ラヴ・ユー、OK」」、アルバム「I LOVE YOU, OK」でソロデビューしています。
28歳の時に「時間よ止まれ」がミリオンセラーとなる大ヒット
そして、1978年3月21日、ソロ5枚目のシングル「時間よ止まれ」をリリースすると、ミリオンセラーとなる大ヒットを記録したのでした。
「時間よ止まれ」
矢沢永吉が30代の時はアメリカ西海岸に活動の拠点を置き海外で活動
そんな矢沢永吉さんは、1980年代(30代)には、CD売上、ライブの観客動員数共にロックスターとしての地位を不動のものにし、黄金時代を迎えると、アメリカ西海岸に活動の拠点を置いて、海外活動も展開し、
- 1981年9月25日「YAZAWA」
- 1982年2月10日「YAZAWA It’s Just Rock’n Roll」
- 1987年「FLASH IN JAPAN」
と、海外版のアルバムを発売しています。
矢沢永吉は40代の時に詐欺被害で35億円もの借金を抱えていた
しかし、矢沢永吉さんは、1998年、49歳の時には、詐欺被害に遭い、35億円もの借金を抱えてしまいます。
1975年、「キャロル」解散後はソロに転身し、その後、日本を代表するロック・ミュージシャンの地位を確立された、矢沢永吉(やざわ えいきち)さんですが、1998年、詐欺被害に遭い、なんと、35億円もの借金を抱えていたといい …
矢沢永吉の50代~現在(70代)は精力的にライブ活動
それでも、見事、35億円もの借金を完済した矢沢永吉さんは、50代から70代となった現在まで、
- 2007年(58歳)には、前人未到の武道館100回公演を敢行
- 2012年(63歳)には、デビュー40周年記念として自身初となるオールタイムベスト「ALL TIME BEST ALBUM」をリリース
- 2014年(65歳)には、バンド「Z’s」を結成(デビューライヴとなる全国ツアー、夏フェスなどのイベントに精力的に参加)
- 2017年(68歳)には、「TRAVELING BUS 2017」と称し、20ヶ所26公演のツアーを敢行(日本武道館公演回数142回として最多記録を更新)
- 2018年(69歳)には、アニバーサリーツアー「EIKICHI YAZAWA 69TH ANNIVERSARY TOUR 2018『STAY ROCK』」を敢行
- 2019年 (70歳)には、7年ぶりのニューアルバム「いつか、その日が来る日まで...」をリリース(オリコンランキング最年長アルバムランキング1位を記録)
- 2024年12月8日(75歳)には、大阪城ホールで「FIGHT ON」EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2024」公演を開催
など、精力的に活動し、年齢を感じさせないパワフルな歌声を披露し続けています。
1972年、ロックバンド「キャロル」でデビューすると、キャロル解散後の1975年には、「アイ・ラヴ・ユー、OK」でソロ・デビューし、 1978年に自伝「成りあがり」がベストセラーとなると、以降、熱狂的なファンを生み、半世 …