日本でその名を知らない人はいないと言ってもいいほど、ロック界の大御所として現在も活躍中の、矢沢永吉(やざわ えいきち)さん。今回は、そんな矢沢永吉さんの奥さんについて調べてみました。
「矢沢永吉の素顔を娘・矢沢洋子が語る!ほかの5人の子どもは?」からの続き
最初の嫁は?
矢沢永吉さんは、1972年、22歳の時、当時、銀行員だったすみ子さんと結婚されています。
当時、矢沢永吉さんは、ロックバンド「ヤマト」で絶大な人気を博しており、4日に1度、女性を変えるほどのモテぶりだったのですが、ディスコ「グルッペ」で演奏していたところ、お客として来ていたすみ子さんと出会われると、矢沢永吉さんは、すみ子さんに一目惚れされたそうで、
矢沢永吉さんは、その時のことを、自著「成りあがり」で、
ディスコに来たマブイ女 それが女房だった
結婚前提でつきあってくれ 出会ったその夜に言った 同棲が始まった
と、明かされています♪
そして、知り合われて2ヶ月後、すみ子さんが実家を出て、お二人はアパートを借りて同棲を開始すると、同年中には、矢沢永吉さんは、すみ子さんに仕事をやめさせ、結婚されたのでした。
ちなみに、当時、まだ駆け出しのミュージシャンだった矢沢永吉さんには、結婚式を挙げたり、結婚指輪を購入するほどの経済的な余裕はなく、矢沢永吉さんのお母さんが、すみ子さんに結婚指輪を贈られたのですが、
矢沢永吉さんは、同年10月、初めて「リブ・ヤング」に出演が決定した際には、衣装の皮ジャンとブーツを買うため、その結婚指輪を一時的に質屋に入れていたこともあったそうです。
前妻との離婚原因は?
その後、お二人の間には3人の子どもが誕生し、幸せな日々を送られているかと思われていたのですが、結婚から17年後の1989年(矢沢永吉さん39歳)には離婚。
翌年の1990年には、矢沢永吉さんは、早くも、アメリカ人とのクォーターでモデルのマリアさんと再婚し、アメリカ・カリフォルニア州のサンタバーバラで結婚式を挙げられています。
ちなみに、離婚の原因ですが、すみ子さんが、「仕事を家庭に持ち込まないで」というタイプだったのに対し、マリアさんは、仕事の悩みや愚痴もすべて聞いてくれ、時には、矢沢永吉さんに媚びることなく助言をしてくれることもあったことから、矢沢永吉さんは、そんなマリアさんに惹かれていったようで、1985年にマリアさんとの間に女の子が誕生したのをきっかけに、すみ子さんとの離婚に踏み切ったようです。
現在の嫁の励ましで巨額の借金を完済していた
というのも、矢沢永吉さんは、1998年、元側近による巨額横領&詐欺事件で35億円もの借金を背負わされたうえ、世間からの好奇の目に耐えかね、マリアさんと3人の子どもを連れて、アメリカに移住されているのですが、
巨額な借金を背負ってしまったうえ、信頼していた人間に裏切られたショックで、酒浸りになっていた矢沢永吉さんに、
マリアさんは、
お酒もいっぱい飲んだでしょ?飽きたよね?たしかに大変な額だけど、矢沢永吉が本気を出したら返せないお金じゃないから
と、言ってくれ、
矢沢永吉さんが、
マジで?
と、思わず3回も聞き直すと、
マリアさんは、
マジで!
と答えられたそうで、
そんなマリアさんの言葉に、矢沢永吉さんは、
これは映画だと思えばいいや
と、主人公が追い込まれるピンチのシーンだと思えばいい、と発想を切り替えることができたそうで、
そこから、矢沢永吉さんは、ライブやテレビ出演など、それまで以上に精力的に仕事をこなし、わずか6年で35億円もの借金を完済されていたのでした。
前妻への慰謝料は?
ちなみに、前妻・すみ子さんへの慰謝料は、ポルシェ3台分(4500~6000万円くらい?)と言われているのですが、
矢沢永吉さんは、インタビューで、
女房(すみ子さん)や子どもたちにずっと後悔しています。夢と健康とパワーだけで走った時に、すごい大きな力で僕を受け止めてくれたのは女房ですよ。僕はすごく女房に感謝している。その時、何かわからないけれど、僕自身の中で新しい矢沢永吉ができていたんだよね。
できれば、僕は何度も何度も戻りたいと思った。いま振り返ったら、まだ川崎に住んでいた時、すごい人間らしさがあったね。キャロルを作る前に女房と二人でアパートに住んでいてね。どさんこラーメンに行くのが唯一の楽しみで・・・
それで浮島というところが川崎にあってね。そこへ二人でボンゴに乗って夜景を見に行って帰ってくる。その時、長男がお腹に入っていたね。あの時代・・・この前も女房と話してたんですけど、あの時代が結婚して最高の時だったね。悲しい話だけど・・・
と、すみ子さんへの思いを語っておられ、
すみ子さんには、慰謝料を払われただけでなく、現在も、矢沢永吉さんの経営する会社の役員に入れられているほか、すみ子さんとの間に誕生したお子さんも、矢沢永吉さんのライブDVDを制作している会社におられるようです。
さて、いかがでしたでしょうか。
矢沢永吉さんの、
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- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名は?韓国人?
- 母親は蒸発、父親は他界
- 幼少期は極貧生活
- 生活保護を受けていた
- 「誰よりも金持ちになってやる」と思ったエピソード
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- 卒業証書を破り捨てる
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- 木原敏雄(リードギター)が加入
- 新バンド「イーセット」⇒「ヤマト」結成
- 非凡な才能
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- 新バンド「ヤマト」が人気を博すも・・・
- メンバーが全員辞め「ヤマト」解散
- ジョニー大倉との出会い
- 「キャロル」結成
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- 矢沢永吉のデビューはミッキーカーチスがプロデュース!内田裕也もオファー?
- ミッキーカーチスからオファー
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- 娘の矢沢洋子がミッキーカーチスと?
- 娘・矢沢洋子から見た矢沢永吉とは?
- 矢沢永吉の現在の嫁は?前妻との離婚理由は?慰謝料は?
- 最初の嫁は?
- 前妻との離婚原因は?
- 現在の嫁の励ましで巨額の借金を完済していた
- 前妻への慰謝料は?
について、まとめてみました。
幼少期のどん底の環境から、悔しさをバネに、強い意志の力で、見事、ロック界の頂点にまで上り詰め、その後も、「キャロル」のメンバーだったジョニー大倉さんとの軋轢(あつれき)、巨額の詐欺事件に巻き込まれるなど、幾多の逆境にも見舞われるも、ことごとく、「ピンチはチャンス」を地で実践してこられた矢沢永吉さん。
大勢の熱狂的なファンに支えられ、ずっと第一線で活躍されているのも納得ですね。
1970年代に「キャロル」のメンバーとして人気を博して以来、半世紀に渡り、音楽活動を続けられている、矢沢永吉(やざわ えいきち)さん。今回は、そんな矢沢さんの、生い立ち、幼少期についてご紹介します。 Sponsored …