1972年、ロックバンド「キャロル」としてデビュー以来、40年以上もの間、第一線を走り続けている、スーパースター、矢沢永吉(やざわ えいきち)さん。今回は、愛娘の矢沢洋子さんのインタビューから垣間見れた矢沢さんの素顔をご紹介します。

「矢沢永吉の現在の嫁は?前妻との離婚理由は?慰謝料は?」からの続き

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子どもは?

矢沢さんには、全員で6人のお子さんがいらっしゃいます。

まず、前妻のすみ子さんとの間に3人のお子さん(2男1女)が誕生しており、長男は栄一郎さん、次男は寛十郎さん、長女は綾子さんというそうで、

そのうちの一人は矢沢さんのライブDVD制作会社におられ、綾子さんについては、歯科医をされているとファンの間で噂が広まったことがあるそうですが、真偽は不明です。

また、現在の奥さんであるマリアさんとの間にも、3人のお子さん(2男1女)が誕生しており、長女は、現在、歌手として活動されている矢沢洋子さんです。


矢沢洋子さん。

娘の矢沢洋子がミッキーカーチスと?

ちなみに、矢沢洋子さんは、12歳から18歳までアメリカ・ロサンゼルスで過ごし、帰国後は上智大学文学部ドイツ文学科に入学。2008年には、上智大学を卒業されると、同年、ボーカルとギターのユニットでデビュー。2014年には、バンド「PIGGY BANK」を結成されているのですが、

2016年1月には、矢沢さんを見い出しデビューさせたミッキーカーチスさんが、洋子さんのバンド「PIGGY BANKS」のレコーディングに参加されています。


ミッキーカーチスさんと矢沢洋子さん。

洋子さんがツイッターで、

本日ピギーバンクスrec大詰め。ミックス前最終日でした。なんとゲストにミッキーカーチスさん!。そうです、父のキャロル時代のプロデューサーでもあったミッキーさんに、40年以上たってから、娘もお世話になるというまさかのミラクル!

と、その喜びをツイートすると、

ミッキーさんも、

今日は矢沢洋子ちゃんと一緒だった!明るくて可愛い子だったよ!お父さんがよろしくと言ってたと!

と、矢沢さんからお礼があったことを明かされていました。

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娘・矢沢洋子から見た矢沢永吉とは?

ところで、「スーパースター矢沢永吉」の娘であることで、普通では味わえないいい経験もされている反面、嫌な経験もされているであろう洋子さんですが、

洋子さんいわく、

父の存在を一度も嫌だと思ったことはない

のだとか。

洋子さんによると、矢沢さんは、

父は365日24時間、ロックンローラーだったと思います。家でダラダラしていることはほとんどありませんでしたし、どんなシーンで父を見ても「矢沢永吉だ!」と思われるような立ち居振る舞いでした。

と、家でも自分を律していたほか、

洋子さんに対しても、

幼いころから「どんなときでも低姿勢でいなさい」と言われていました。やはり「矢沢永吉の娘」という看板がついている限り、どこで誰に見られているかもわからない。だから、基本的な礼儀や挨拶にはすごく厳しかったと思います。

言葉遣いも指摘されたこともあり、母とのケンカで汚い言葉を使ったときはすごく怒られましたね。

あと、お金には厳しかったと思います。芸能人の子どもってぜいたくな暮らしをしている印象だと思いますが、私が高校生のときのお小遣いは月5000円くらい。

と、きちんとしつけをされている反面、

休日は自転車の乗り方を教えてもらったり、かっこいいクルマや船に乗せてもらったりしていましたね。

私が12歳のときに一家でアメリカのロサンゼルスに引っ越したんですけど、アメリカってクルマがないと生活ができないんですよ。だから、父が学校までクルマで送ってくれることもありました。

アメリカの高校って夏休みが3カ月くらいあったので、家族で日本に一時帰国していたんです。そのとき、短期アルバイトとして目黒駅前の飲食店で働いていて、そこに父が来店しました。

大学生になったときは、お弁当のテイクアウトの電話番をやっていたんですが、そのときにもお客さんとして電話をかけてきたんですよ。私がちゃんと働いているのかチェックしたかったんですって(笑)。

と、優しいお父さんだったそうで、

洋子さんが、音楽の道に進もうと決めた時も、特に反対もされず、

目標があるのなら、それに対しては誠実に向き合いなさい

と言われたとのこと。

そして、69歳になっても、毎朝ジムに通って2時間のステージをちゃんとできる体を維持するほか、常人の何倍も努力をしている矢沢さんの姿を知っている洋子さんは、

年をとってもずっと矢沢永吉でいる。その姿勢は憧れであり目標でもありますね。

とおっしゃっていました。

なんて、素晴らしい親子なんだ!!

さて、いかがでしたでしょうか。

矢沢さんの、

について、まとめてみました。

幼少期のどん底の環境から、悔しさをバネに、強い意志の力で、見事、ロック界の頂点にまで上り詰め、その後も、「キャロル」のメンバーだったジョニー大倉さんとの軋轢、巨額の詐欺事件に巻き込まれるなど、幾多の逆境にも見舞われるも、ことごとく、「ピンチはチャンス」を地で実践してこられた矢沢さん。

大勢の熱狂的なファンに支えられ、ずっと第一線で活躍されているのも納得ですね。

「矢沢永吉は韓国人?幼少期は極貧で生活保護を受けていた!」

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