1972年、19歳の時、「キャロル」として、シングル「ルイジアンナ」でレコードデビューすると、たたちまちブレイクし、1973年にはシングル「ファンキー・モンキー・ベイビー」が大ヒットを記録した、内海利勝(うちうみ としかつ)さん。
そんな内海利勝さんは、1975年、「キャロル」解散には、当時、まだ日本では珍しかったレゲエを取り入れたアルバム「GEMINI Part.1」をリリースしています。
今回は、内海利勝さんの、若い頃(キャロル時代)から現在までの代表曲やアルバムほか経歴をデビューから時系列でまとめてみました。
「内海利勝の生い立ちは?幼少期はピアノ!大学で矢沢永吉に熱心に誘われていた!」からの続き
内海利勝は大学在学中に、矢沢永吉、ジョニー大倉らと「キャロル」を結成
内海利勝さんは、1972年6月、矢沢永吉さんに熱心に誘われ、矢沢永吉さんともう1人の3人で音楽活動を開始したそうですが、
矢沢永吉さんは、かねてから、川崎駅近くのイトウ楽器店に自ら書いた貼り紙でメンバーを募集をしており、その後、この貼り紙を見て連絡をしてきた、ジョニー大倉さんが加わり、同年7月には、内海利勝さんの友人だった今今井英雄さんが加わると、
最初のメンバーだったもう1人の人は矢沢永吉さんの意向で脱退となり、4人でロックバンド「キャロル」を結成したのだそうです。
ちなみに、ジョニー大倉さんは、内海利勝さんの第一印象について、
すらりとした長身で、おとなしそうな彼は、ジョージ ・ハリスンを彷彿とさせるハンサムな湘南ボーイ 。いかにも真面目な大学生。標準的な家庭で何不自由なく育ちました、そんなさわやかな雰囲気を見て、僕とは住む世界の違う人間(だと思った)。
と、語っています。
内海利勝は19歳の時に「キャロル」として横浜・伊勢佐木町のディスコ「ピーナツ」でステージデビュー
その後、「キャロル」は、1972年8月には、横浜・伊勢佐木町のディスコ「ピーナツ」でビートルズのコピーバンドとして初演奏すると、
その後は、横浜・川崎・蒲田など京浜地区のディスコやナイトクラブなどで演奏活動を続けたそうです。
内海利勝は19歳の時に「キャロル」としてのデビュー曲「ルイジアンナ/最後の恋人」でブレイク
そんな中、「キャロル」は、1972年10月には、矢沢永吉さんの尽力により、フジテレビ「リブ・ヤング」に初のテレビ生出演を果たすと、
この時の演奏がミッキー・カーチスさんの目に留まったそうで、1972年12月20日には、ミッキー・カーチスさんプロデュースのもと、ファーストシングル「ルイジアンナ/最後の恋人」でデビューすると、
革ジャンにリーゼントというスタイルでストレートなロックンロールを歌う姿で、たちまちブレイクを果たしたのでした。
「ルイジアンナ/最後の恋人」
内海利勝が19歳~20歳の時には「キャロル」は「ヘイ・タクシー」「やりきれない気持ち」「ファンキー・モンキー・ベイビー」などが大ヒット
すると、「キャロル」は「ルイジアンナ/最後の恋人」のヒットをきっかけに、
その後も、
- 1973年1月25日には、「ヘイ・タクシー/恋の救急車」
- 1973年2月25日には、「やりきれない気持ち(シングルバージョン)/ホープ 」
- 1973年3月25日には、「レディ・セブンティーン/愛の叫び」
- 1973年4月25日には、「彼女は彼のもの/憎いあの娘」
- 1973年5月25日には、「0時5分の最終列車/二人だけ」
- 1973年6月25日には、「ファンキー・モンキー・ベイビー/コーヒー・ショップの女の娘」
と、1972年12月から1973年6月までの7ヶ月間、連続でシングルをリリースすると、社会現象を巻き起こすほどのヒットとなったのでした。
「ファンキー・モンキー・ベイビー/コーヒー・ショップの女の娘」
ちなみに、内海利勝さんは、「キャロル」在籍時には、「泣いてるあの娘」「夢の中だけ」「娘(クーニャン)」「悪魔の贈り物」などの楽曲を作詞作曲しています。
内海利勝は22歳の時にアルバム「GEMINI Part.1」でソロデビュー
ただ、そんな「キャロル」も、人気絶頂だった1975年に解散。
内海利勝さんは、「キャロル」解散から半年後の1975年9月、アルバム「GEMINI Part.1」でソロデビューを果たしているのですが、
このアルバムは、イギリスのレゲエバンドである「The Cimarons」を迎えて製作された日本語によるレゲエ作品だったそうで、
内海利勝さんは、レゲエに取り組んだ理由について、
ソロアルバムの構想はCAROL時代からあったわけじゃないんですよ。ただ、自分なりの世界観を表現したいと思っていましたし、自分の曲をもっと書きたいという気持ちはあった。
ソロになってからは好きなようにやらせてもらおうとも考えていましたね。でも、みんなCAROL的なものを求めているわけじゃない?
俺がソロで最初にやったのはロックンロールじゃなかったし、当時CAROLの熱狂的ファンからは裏切り者と言われました(笑)。自分の中ではソロでやるにあたって、いろんな可能性を試してみたいという気持ちもあったんですよ
と、語っています。
内海利勝は「内海利勝&V-G-T」「THE MIRROR」「THE PLEASE」「Peach Blue」などのバンドで活動していた
その後、内海利勝さんは、ソロ活動と並行し、「内海利勝&V-G-T」「THE MIRROR」「THE PLEASE」「Peach Blue」など、様々なバンドで活動するほか、
内田裕也さん、宇崎竜童さん、原田芳雄さん、古市コータローさんなど、他のミュージシャンのレコーディングやライブにも参加し、ギタープレイを披露しています。
内海利勝は59歳の時に矢沢永吉と37年ぶりの共演を果たしていた
そんな内海利勝さんは、2012年9月1日、59歳の時には、矢沢永吉さんのデビュー40周年記念公演にサプライズで登場しているのですが、
内海利勝さんと矢沢永吉さんの共演は、1975年4月に東京・日比谷野外音楽堂で行った「キャロル」解散ライブ以来、実に37年ぶりだったそうで、
内海利勝さんは、当時と同じ黒い革ジャン姿で登場し、矢沢永吉さんと共に、大ヒット作品「ファンキー・モンキー・ベイビー」と、デビュー曲「ルイジアンナ」をセッションしているのですが、
これには、矢沢永吉さんも、
ウッチャンと一緒にやれてホントうれしいです!
と、感無量の表情を浮かべていたといいます。
内海利勝のアルバム一覧
それでは、ここで、内海利勝さんの主なアルバムをご紹介しましょう。
- 1975年「GEMINI Part.1」
- 1976年「GEMINI Part.2」
- 1978年「FIRST」※内海利勝 & V.G.T. 名義
- 1997年「From Here.」
- 2004年「LOVE & PEACE」
- 2007年「STAMP OF DREAMS」
- 2015年「喜怒哀楽」※BACA-BACCA 名義
- 2018年「mujun」
などのアルバムをリリースしています。
1972年、ロックバンド「キャロル」のギタリストとして、ファーストシングル「ルイジアンナ」でデビューすると、革ジャンにリーゼントというスタイルで一斉を風靡し、1975年に「キャロル」解散後は、ブルース・ギターを通し、シン …