1973年、24歳の時、「ペドロ&カプリシャス」のヴォーカルとして「ジョニィへの伝言」でレコードデビューすると、たちまちヒットを記録し、その後も、「五番街のマリーへ」「陽かげりの街」などを次々とヒットさせ、1978年、29歳の時にソロに転身してからも、「for you・・・」「桃色吐息」「はがゆい唇」「遥かな人へ」「ごめんね・・・」など、ヒットを連発させた、髙橋真梨子(たかはし まりこ)さん。
今回は、そんな髙橋真梨子さんの、若い頃からの代表曲(ヒット曲)や経歴をデビューから時系列でまとめてみました。
「髙橋真梨子の生い立ちは?幼少期に父親が両足切断!母親は不倫し両親が離婚していた!」からの続き
髙橋真梨子は17歳の時に「スクールメイツ」の一員として芸能界デビューするも20歳を前に故郷・博多に帰っていた
1965年、高校1年生(16歳)の時、中学時代から学校に内緒で歌っていた中洲のナイトクラブでスカウトされ、上京して渡辺プロダクションと契約した髙橋真梨子さんは、
1966年、17歳の時には、バックダンサー・コーラスグループ「スクールメイツ」の一員として芸能界デビューを果たし、さらには、「スクールメイツ」から、「スカーレット」というコーラス・グループにも加入したそうですが、
当時の髙橋真梨子さん。
トントン拍子だったにもかかわらず、アイドル路線を突き進もうとする事務所との方向性の違いを感じて、むしろ、虚しさを感じるようになったそうで、
自分の望みは歌手になること。アイドルではない
と、高校卒業後には渡辺プロダクションを脱退し、故郷・博多に戻ったそうです。
「スクールメイツ」時代の髙橋真梨子さん(左から4人目)。左端は園まりさん、左から2人目は伊東ゆかりさん。
髙橋真梨子は23歳の時に「ペドロ&カプリシャス」のペドロ梅村に誘われて再び上京していた
こうして、髙橋真梨子さんは、再び、博多のライブハウスやディスコ、米軍クラブで歌うようになったそうですが、
1972年、23歳の時、中洲のナイトクラブで歌っていたところ「ペドロ&カプリシャス」のペドロ梅村さんにスカウトされ、再び上京したそうで、「ペドロ&カプリシャス」の2代目ヴォーカリストとなったのだそうです。
18歳頃、博多で活動していた時の髙橋真梨子さん。
髙橋真梨子は24歳の時にレコードデビューした「ジョニィへの伝言」が大ヒット
そして、1973年3月10日、24歳の時には、「ペドロ&カプリシャス」の2代目ヴォーカル「高橋まり」として、「ジョニィへの伝言」でレコードデビューすると、発売当初は全く売れなかったため、髙橋真梨子さんは福岡に戻ろうと思っていたそうですが、
1973年夏が過ぎる頃から少しずつ売れ始めたそうで、累計売上50万枚近くとなる大ヒットを記録したのでした。
「ジョニィへの伝言」
髙橋真梨子が24歳の時には5枚目のシングル「五番街のマリーへ」が大ヒット
そして、1973年10月25日にリリースした5枚目のシングル「五番街のマリーへ」も同様に50万枚近い大ヒットとなります。
「五番街のマリーへ」
髙橋真梨子が26歳の時には9枚目のシングル「陽かげりの街」がヒット
さらに、1975年10月10日にリリースした、9枚目のシングル「陽かげりの街」もヒットとなったのでした。
「陽かげりの街」
髙橋真梨子は29歳の時に「あなたの空を翔びたい」でソロデビュー
その後、髙橋真梨子さんは、1978年には、ヘンリー広瀬さんと共に「ペドロ&カプリシャス」を脱退し、「髙橋真梨子」としてソロ歌手として活動を始めると、
同年11月、29歳の時には、「あなたの空を翔びたい」でソロデビューを果たしています。
「あなたの空を翔びたい」
髙橋真梨子は32歳の時にリリースした8枚目のシングル「for you・・・」がロングヒット
そして、1982年3月5日、8枚目のシングル「for you・・・」をリリースすると、「第11回東京音楽祭世界大会」で金賞を受賞するほか、ロングヒットとなったのでした。
「for you・・・」
髙橋真梨子は35歳の時に10枚目のシングル「桃色吐息」がソロ初の大ヒット
その後、髙橋真梨子さんは、1984年5月21日にリリースした10枚目のシングル「桃色吐息」がソロデビュー後7年目にして、50万枚を売り上げる初の大ヒットとなり、
「桃色吐息」
同年9月21日に発売された、「桃色吐息」を収録した9枚目のアルバム「Triad」も、それまで髙橋真梨子さんのソロアルバムで最高セールスだった「Dear」の16万枚を大きく上回る50万枚を売り上げる大ヒットを記録し、髙橋真梨子さんは、その人気を不動のものにしたのでした。
ちなみに、このアルバム「Triad」は「第26回日本レコード大賞第1回アルバム大賞」を受賞しています。
髙橋真梨子が43歳、44歳の時には「はがゆい唇」「遥かな人へ」「ごめんね・・・」が次々とヒット
その後も、髙橋真梨子さんは、
- 1992年5月16日(43歳)「はがゆい唇」
「はがゆい唇」 - 1994年2月2日(44歳)「遥かな人へ」
「遥かな人へ」 - 1996年6月21日(47歳)「ごめんね・・・」
「ごめんね・・・」
など、次々とヒットを飛ばし、実力派女性歌手としての地位を確立しています。
髙橋真梨子は現在(70代)も引退はしておらず現役で活動中
そんな髙橋真梨子さんは、ライフワークとして、1979年、30歳の時から、毎年全国ツアーを行っていたのですが、2023年1月、73歳の時には、
各地を回るのは体力的に厳しい
との理由から、40年以上続けてきたツアーを休止しています。
このことで、ファンは、髙橋真梨子さんが引退するのではと不安になったそうですが・・・
その後、髙橋真梨子さんは、2023年5月に急性腎盂(じんう)炎を患い、1週間入院したそうで、このことで人生を見つめ直し、多くのファンからの「もう1度ステージに立って」との後押しもあり、2024年10月から全国ツアー「EPILOGUE」(全国9都市21公演)を開催したそうで、
髙橋真梨子さんは、取材に対し、
私はお客さまがいなかったら歌わない。お客さまが来てくださるからこそ歌える。そのことにすごく感謝をしているの
と、語っており、
引退はしておらず、現役で活動を続けています。
「髙橋真梨子の夫・ヘンリー広瀬との馴れ初めは?結婚後は献身的にサポートされていた!子供は?」に続く
1966年、17歳の時に、バックダンサー・コーラスグループ「スクールメイツ」の一員として芸能界デビューを果たすと、以降、50年以上という長きに渡り、音楽活動を続けている、髙橋真梨子(たかはし まりこ)さん。 そんな髙橋真 …