1970年、フォークグループ「かぐや姫」でデビューすると、1973年9月20日に発売したシングル「神田川」が160万枚を売り上げる大ヒットを記録し、たちまち、人気シンガーソングライターの地位を不動のものにした、南こうせつ(みなみ こうせつ)さん。

そんな南こうせつさんは、幼い頃から歌が上手で、近所の人が集まって宴会があると、三橋美智也さんの「哀愁列車」や、藤山一郎さんの「丘を越えて」などを歌い、拍手喝采を浴びていたといいます。

今回は、南こうせつさんの生い立ち(幼少期から高校時代まで)をご紹介します。

南こうせつ

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南こうせつのプロフィール

南こうせつさんは、1949年2月13日生まれ、
大分県大分市(旧・大分郡竹中村)の出身、

身長163センチ、

血液型はAB型、

学歴は、
大分市立竹中小学校
⇒大分市立竹中中学校
⇒大分県立大分舞鶴高等学校
⇒明治学院大学社会学部中退

趣味は、釣り、果物や野菜の栽培、ガーデニング、

本名は、「南高節」(読み方同じ)で、愛称は「おいちゃん」です。

南こうせつが幼い頃は豊かな自然の中でのびのびと育っていた

南こうせつさんは、曹洞宗勝光寺の僧侶だったお父さんのもと、3人きょうだい(兄2人姉1人)の末っ子として誕生すると、幼い頃は、家の前に大きな川が流れていたことから、その河川敷で鬼ごっこをしたり野球をするなど、豊かな自然の中でのびのびと育ったそうです。

また、度々、僧侶のお父さんに連れられて一緒に葬式に行き、小坊主として衣を着て、(ふりがなを振ってもらった)お経を読んだそうです。

ちなみに、当時は、暗くなるまで遊んでいると、あたり一面に月見草の花が咲いて、まるでライトアップされたディズニーランドのような風景が広がっていたほか、

薪(まき)でご飯を炊いてお風呂を沸かしていたことから、どの家も煙突から煙が上がっていて、まるで日本昔話のような風景だったそうで、今でも忘れられないそうです。

南こうせつは幼い頃から歌を歌うことが上手かった

また、南こうせつさんは、幼い頃から歌を歌うことが好きで、しかも上手だったそうで、近所の人たちが集まって宴会が始まると、そのうち、

こうせつちゃん、歌ってよ

と、リクエストされたそうで、

当時、南こうせつさんがファンだったという、三橋美智也さんの「哀愁列車」や、藤山一郎さんの「丘を越えて」などを歌うと、拍手喝采されたそうです。

南こうせつは小学4,5年生の時に洋楽に夢中になっていた

幼い頃、三橋美智也さんのファンだったという南こうせつさんですが、小学校4、5年生の頃、ラジオで、初めて、ポール・アンカ、エルビス・プレスリー、ニール・セダカ、リッキー・ネルソン、コニー・フランシスなどの洋楽を聴くと、かっこよくて本音をぶちまける洋楽にすっかり夢中になったそうで、

中でも特に、ロックンロールに衝撃を受けたそうで、「ダイアナ」という歌の、

君は僕より年上とまわりの人は言うけれど なんてったって構わない

という直接的な歌詞に、子供心にも自由になって解放された気分になったそうです。

南こうせつは中学時代はフォークソングに夢中になっていた

そんなある日のこと、ヒットチャートの中に、キングストン・トリオの「花はどこへ行った」、ボブ・ディランの「風に吹かれて」など、今まで聴いたことがないような音楽が流れてきて、人から、それは反戦や人種差別反対の歌で”フォークソング”だということを知ると、

南こうせつさんは、今度は、

「おまえを抱きたい」とかロックンロールを歌っている場合じゃない

と、思ったのだそうです。

(この体験が音楽の原点となったそうです)

南こうせつは中学3年生の時に初めてギターを弾いて音の大きさに衝撃を受けていた

そんな中、南こうせつさんは、中学3年生の時、隣の病院の息子がギターを買ったという噂を聞き、早速、訪ねて行って、ギターというものを初めて見せてもらうと、

5弦、6弦を弾くと、音がドウーンと響き、その音の大きさに「これがギターか」と衝撃を受けたそうです。

(エルビス・プレスリーが金髪の美女に向かってギターを弾いていたシーンを思い出し、ギターを持てばモテるぞ、と子供心に思ったそうです)

また、南こうせつさんは、中学1年生の時にウクレレを弾いていたことから、和音が分かったそうで、ウクレレは弦が4本なのに対し、ギターは弦が6本だったそうですが、試しに弾かせてもらうと、

習っていないのに、なんで弾けるの?

と、周りのみんなが驚いたのだそうです。

南こうせつは高校1年生の時にエレキバンドを始めるもフォークソングに心惹かれていた

その後、南こうせつさんは、高校1年生の時、日本中にエレキブームが巻き起こったことから、友達とエレキバンドをやろうということになり、練習を始めたそうですが、

(エレキギターは値段が高くて買えず、お金持ちの息子から借り、ドラムセットも買えなかったことから、スネアドラムとシンバルだけ、アンプは工業高校に行っている友人に大きな音に改造してもらったそうです)

エレキバンドをやりながらも、(ハーモニーが美しい)フォークソングに心惹かれたそうで、やはり、フォークソングを歌おうと思い、お小遣いをためてフォークギターを買い、手が痛くなるまで練習をしたのだそうです。

また、合唱部にも入部し、ハーモニーの練習もしたのだそうです。

(音楽のクラブは合唱部しかなかったのだそうです)

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南こうせつは高校3年生の時に伊勢正三と「ヤング・フォーク・スリー」を結成

そんな南こうせつさんは、高校3年生の時、(合唱部は女子が多いため)新入生の男子を勧誘していると、ギターが弾けて音楽好きな1年生がいるという噂を聞きつけたそうで、勧誘に行くと、

その新入生(後に「かぐや姫」(第2期)のメンバーとなる伊勢正三さん)もフォークソングが好きで、合唱部に入部してくれたそうで、

その後、南こうせつさんは、伊勢正三さんともう一人、釘宮誠司さんの3人で、「ヤング・フォーク・スリー」というトリオを結成し、ピーター、ポール&マリーの「虹と共に消えた恋」などをコピーして演奏したのだそうです。

「【画像】南こうせつの若い頃は?デビューから現在までの代表曲や経歴を時系列まとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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