2001年4月18日、「霧情」で演歌歌手デビューすると、2009年にリリースした10枚目のシングル「風蓮湖」がロングヒットを記録するほか、2014年3月5日にリリースした15枚目のシングル「恋の手本」もヒットとなった、山内惠介(やまうち けいすけ)さん。
今回は、そんな山内惠介さんの、若い頃からの代表曲や経歴をデビューから時系列でまとめてみました。
「山内惠介の生い立ちは?幼少期から演歌を歌い高1でスカウトされ高2で単身上京していた!」からの続き
山内惠介は17歳の時に「霧情」で演歌歌手デビュー
1999年、高校1年生(16歳)の時、福岡県で行われたカラオケ大会で優勝し、ゲスト審査員だった作曲家の水森英夫さんにスカウトされた山内惠介さんは、
その後、月1回のペースで東京でレッスンを受け、翌2000年11月、高校2年生の時に単身上京すると、早くも、翌年2001年4月18日、17歳の時には、ファーストシングル「霧情」で演歌歌手デビューを果たしています。
「霧情」
山内惠介は低迷時はブレイクした氷川きよしと比較されていた
そんな山内惠介さんは、歌、礼儀作法など、何も学ばず、下積みもなく、トントン拍子でのデビューだったことから、これから歌もヒットして、テレビにもいっぱい出て、紅白にも出場するんだろうな、と当たり前のように思っていたそうですが・・・
1年、2年、3年と経ってもヒットはせず、しかも、4年目からは、新曲を出してもテレビや雑誌に出る機会がグンと減り、キャンペーンが終わればすっかり暇になってしまい、歌う場所もなくなっていったのだそうです。
そんな中、山内惠介さんは、師匠で作曲家の水森英夫さんに、コンビニエンスストアやスターバックスコーヒーでアルバイトをしたいと言ったり、最終的には、歌をやめてしまいたいとまで、訴えたそうですが、
水森英夫さんには、
惠介はデビューしているんだから、ほかの仕事をすることはできないんだよ。歌手活動の中で己を磨く方法を見つけなければいけない。お客様に芸を磨いてもらいなさい
と、諭されたといいます。
実は、山内惠介さんは、幼い頃から、美空ひばりさんに憧れて歌っていたため、自然と美空ひばりさんのような歌い方になっていたそうで、発声も節回しも美空ひばりさんになってしまい、自分の個性(歌い方)を見つけるのがとても大変だったのだそうです。
また、山内惠介さんよりもデビューが1年早い氷川きよしさんが、4年の下積後にデビューしていきなりブレイクしたため、それに続けと、山内惠介さんのデビューも決まったそうですが、
当初は、大ベテランが多い演歌界において、若手の登場として注目を浴びたものの、自身の個性を出す歌い方を見つけるのに時間を要したこともあり、パッとせず、氷川きよしさんと比較され続けたのだそうです。
山内惠介は26歳の時に「風蓮湖」がロングヒット
それでも、山内惠介さんは、くじけずに地道に活動を続け、次第に自分らしい歌い方を見つけて行くと、2009年9月23日、26歳の時にリリースした10枚目のシングル「風蓮湖」が、
この曲を通して旅をしているような気分になる
と、北海道を中心に注目を集め、ついに、オリコンチャートで50週に渡ってランクインするロングヒットを記録。
実は、山内惠介さんは、何度も北海道に足を運び、地元の人々とも熱心に交流を重ねるほか、色をつけずに歌の世界観をストレートに表現する素直な歌い方を心がけていたそうで、その優しく包み込む歌声がファンの心を掴んだのでした。
ちなみに、山内惠介さんは、低迷期について、
不思議なもので、どんなにつらい状況にあっても、やっぱり歌いたい気持ちは強いし、歌っている時にはものすごく幸せを感じるんですよね。
当時住んでいた家の近くの公園で、よく声出しをしていました。いつも月をスポットライト代わりにして歌の練習をしていたこともあって、僕は今でも月が大好きです。
と、語っています。
(山内惠介さんは、翌年2010年には北海道根室市の「味覚観光大使」にも任命されています)
山内惠介は26歳の時に北川大介、竹島宏と共に「イケメン3」を結成
また、山内惠介さんは、2009年には、「NHK歌謡コンサート」で、北川大介さん、竹島宏さんと共にイケメン演歌歌手トリオ「イケメン3」を結成しています。
「イケメン3」。(左から)北川大介さん、竹島宏さん、山内惠介さん。
山内惠介は20代後半には「霧情」「白樺の誓い」「涙くれないか」「釧路空港」をリリース
その後も、山内惠介さんは、
- 2010年7月14日(27歳)「霧情」
- 2011年2月9日(27歳)「白樺の誓い」
- 2012年5月30日(28歳)「涙くれないか」
- 2013年3月20日(29歳)「釧路空港」
と、次々とシングルをリリースしています。
山内惠介は30歳の時に「恋の手本」がオリコンチャート9位を獲得する大ヒット
すると、2014年3月5日、30歳の時にリリースした15枚目のシングル「恋の手本」がオリコンチャート9位を獲得する大ヒットとなり、デビュー13年目で初のトップ10入りを果たしたのでした。
「恋の手本」
山内惠介は現在は?41歳の時に「紅の蝶」が日本レコード大賞の優秀作品賞を受賞
そんな山内惠介さんは、その後も、
- 2015年2月18日(31歳)「スポットライト」
- 2016年3月23日(32歳)「流転の波止場」
- 2017年3月29日(33歳)「愛が信じられないなら」
- 2018年3月28日(34歳)「さらせ冬の嵐」
- 2019年3月6日(35歳)「唇スカーレット」
- 2020年3月11日(36歳)「残照」
- 2021年2月24日(37歳)「古傷」
- 2022年3月2日(38歳)「誰に愛されても」
- 2023年3月1日(39歳)「こころ万華鏡」
- 2024年2月28日(40歳)「紅の蝶」
を、リリースすると、
2024年には、「NHK紅白歌合戦」に10年連続・10回目の出場を果たすほか、この年発売された「紅の蝶」が「第66回 輝く!日本レコード大賞」の優秀作品賞を受賞するなど、快進撃を続けています。
「山内惠介の妻は?結婚してる?過去の交際相手は社長令嬢?」に続く
2001年、「霧情」で歌手デビュー後、10年に渡って低迷するも、2009年、10枚目のシングル「風蓮湖」で大ブレイクを果たした、山内惠介(やまうち けいすけ)さん。 そんな山内惠介さんのプライベートはどのようなものだった …