1976年10月から、小田和正さん率いる「オフコース」のサポートメンバーを務めるようになると、1979年8月1日には、「オフコース」の正式メンバーとなった、清水仁(しみず ひとし)さん。

そんな清水仁さんは、1986年、35歳の時には、「オフコース」での活動のかたわら、シングル「上を向いて歩こう」でソロデビューを果たすと、同年には、ファーストアルバム「ONE」もリリースしています。

今回は、清水仁さんの若い頃(「オフコース」のサポートメンバー時代)から現在までの、主な活動や経歴を時系列でご紹介します。

清水仁

「清水仁のオフコース加入前はザ・バッド・ボーイズで人気を博していた!」からの続き

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清水仁は25歳の時に「オフコース」のサポートメンバーとなっていた

1976年、25歳の時に、「ザ・バッド・ボーイズ」を解散した清水仁さんは、同年10月から、小田和正さん率いる「オフコース」のサポートメンバーになったそうですが、

当初は、難しい音楽理論の話をする小田和正さんと鈴木康博さんを見て、そのレベルの高さについていけないと思い、毎日辞めることばかり考えていたといいます。

ただ、小田和正さんと鈴木康博さんはとても面倒見がよかったそうで、徐々に「オフコース」に溶け込んでいったのだそうです。

(清水仁さんは、「オフコース」のライブ演奏はサポートしていたものの、「ザ・バッド・ボーイズ」の契約上の問題でレコーディングには参加できず、1976年11月5日にリリースされたアルバム「SONG IS LOVE」には参加していません)

清水仁は26歳の時に「こころは気紛れ/あなたがいれば」で初めて「オフコース」のレコーディングに参加

そして、清水仁さんは、1977年、「オフコース」の通算10枚目のシングル「こころは気紛れ/あなたがいれば」(1977年2月5日リリース)で、初めて「オフコース」のレコーディングに参加しています。

「こころは気紛れ/あなたがいれば」
「こころは気紛れ/あなたがいれば」

清水仁は26歳の時に「秋の気配/恋人よ そのままで」で本当の「オフコース」の一員になれた気がしていた

そんな清水仁さんは、1977年8月5日にリリースされた「オフコース」の通算11枚目のシングル「秋の気配/恋人よ そのままで」のレコーディングについて、

このレコーディングがまた大変やった。なにしろバッド・ボーイズのときと、レコーディングのやり方がぜんぜん違うわけ。以前は、アレンジなんかも決まってて、そのとおり演奏すればよかったの。

なのにオフコースは、コードだけしか決まってなくて、スタジオに来て、ああしよう、こうしようなの。もう俺、つらくて泣きそうになったわ。

あるときも小田ちゃんに“仁、この8小節なんか考えてよ”って言われて、ドキッとした。なにもわからんのに8小節、俺に任されたみたいな感じなわけ。これはヤバかった。もうねぇ、ワラをもつかむ思いで、ウワァーツと考えて、ドキドキしながらやったわ

と、語っているのですが、

この時、ようやく、「オフコース」の一員になれた気がしたといいます。

「秋の気配」
「秋の気配/恋人よ そのままで」

清水仁は27歳の時に「あなたのすべて/海を見つめて」で初めてレコードジャケットに登場

そして、清水仁さんは、1978年7月8日にリリースしたオフコースの通算14枚目のシングル「あなたのすべて/海を見つめて」で、初めて、レコードジャケットに登場しています。

「あなたのすべて/海を見つめて」
「あなたのすべて/海を見つめて」

清水仁は28歳の時に「オフコース」の正式メンバーに

こうして、清水仁さんは、1979年8月1日、正式に「オフコース」のメンバーとなると、以降、「オフコース」の一員として活躍したのでした。

(「オフコース」は、1982年、鈴木康博さんの脱退により、一時活動を休止するも、1984年に活動を再開しています)

清水仁は35歳の時にシングル「上を向いて歩こう」でソロデビューしアルバム「ONE」ではボーカルも

また、清水仁さんは、「オフコース」の活動と並行して、1986年9月29日、シングル「上を向いて歩こう」でソロデビューを果たすと、

「上を向いて歩こう」
「上を向いて歩こう」

同年10月22日には、ファーストアルバム「ONE」をリリースし、「オフコース」加入以降、初めてボーカルとしての歌声を披露しています。

「ONE」
「ONE」

清水仁は36歳の時に「Tiny Pretty Girl」で「オフコース」で初めて作曲とボーカルを担当していた

そんな清水仁さんは、活動再開後の「オフコース」でも、ボーカルを担当するようになったそうで、

1987年3月28日にリリースした「オフコース」のアルバム「as close as possible」の収録曲「Tiny Pretty Girl」で、初めて作曲(クレジット上は松尾一彦さんとの共作)とリードボーカル(松尾一彦さんとのツインボーカル)を担当すると、

1988年6月9日にリリースした次作「Still a long way to go」の収録曲「逢いたい」では、初めて単独で自作曲を提供しています。

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清水仁の現在は「Acoustic Beatles Club(A.B.C)」でライブ活動

しかし、そんな「オフコース」も1989年には解散。

その後、清水仁さんは、吉田拓郎さんのバックなどで活動すると、1993年にはソロ活動を再開し、主に東京のライブハウスを中心にライブ活動を行っていたそうですが、

1999年3月には、元「オフコース」の大間ジローさん、松尾一彦さんと共に「Acoustic Beatles Club(A.B.C)」を結成し、ビートルズのカバーを中心に演奏するようになると、

2000年、アルバム「ABC Vol.1 – A.B.C.」をリリースして以降は、オリジナル曲も演奏するようになったそうで、

その後も、

と、合計3枚のアルバムをリリースし、

現在は、主に「A.B.C.」として、ライブ活動を展開しているそうです。

「Acoustic Beatles Club(A.B.C)」

お読みいただきありがとうございました

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