結婚を3回、離婚を2回、死別を1回している、加藤和彦(かとう かずひこ)さんですが、最初の妻は、「サディスティック・ミカ・バンド」のボーカル・福井ミカさんです。
今回は、加藤和彦さんと福井ミカさんの、馴れ初め、結婚に至った経緯、結婚後の夫婦関係についてご紹介します。
「加藤和彦の死因は自殺!理由は?遺書を友人らに郵送していた!」からの続き
加藤和彦の前妻(最初の妻)福井ミカとの馴れ初めは?
加藤和彦さんは、1970年7月、福井ミカさんと結婚しています。
加藤和彦さんは、大学生の時、「ザ・フォーク・クルセダーズ」として活動しており、京都の若者の間で人気を博していたのですが、
そんな中、高校2年生だった福井ミカさんに、
フォークデュオを組むので、ギターを教えて欲しい
と、頼まれたことがきっかけで、福井ミカさんと知り合ったといいます。
(福井ミカさんが、同級生とフォークデュオを組むことになった際、加藤和彦さんにギターのレッスンをしてもらおうと思い立ち、「ザ・フォーク・クルセダーズ」が出演するコンサートに行って、本番前に楽屋を訪ねたのだそうです)
加藤和彦は地道な努力で福井ミカとの交際にこぎつけていた
こうして、加藤和彦さんは、福井ミカさんと福井ミカさんの同級生にギターのレッスンを始めたそうですが、なかなか2人が上達しなかったことから、
加藤和彦さんは、
この先何年、あなたたちにギターを教えてもコンサートには間に合いそうにないから、とりあえず歌の練習をしましょう
と、言って、福井ミカさんのフォークデュオ「ミカ&トンコ」のバックでギターを弾くことになったそうですが・・・
実は、既にこの時、加藤和彦さんは、福井ミカさんを好きになっており、これをきっかけに、福井ミカさんの家を頻繁に訪れるようになったそうで、
当時、福井ミカさんには、彼氏がいたそうですが、加藤和彦さんは、レコードや音楽雑誌を届けたり、外国人ミュージシャンの来日コンサートチケットを買ったり、福井ミカさんの誕生日にはお手製の大きなシュークリームをプレゼントするほか、
やがては、福井ミカさんの家で食事も作るようになり、福井ミカさんが不在の時も、せっせと福井ミカさんの家に通うと、
ついに、出会って約半年後に交際にこぎつけたのだそうです。
(内気でとても優しい性格だった加藤和彦さんは、交際中、福井ミカさんがどんなわがままを言っても「ノー」とは一切言わなかったのだそうです)
加藤和彦は福井ミカに条件付きでプロポーズを承諾されていた
さておき、その後、加藤和彦さんは、1967年には、1年間限定で「ザ・フォーク・クルセダーズ」でプロとして音楽活動を始めると、「帰って来たヨッパライ」が爆発的なヒットを記録し、仕事に追われる忙しい毎日となっているのですが、
それでも、スケジュールの合間を縫って、福井ミカさんに会うために京都に通い続け、大学生になっていた福井ミカさんにプロポーズすると、
福井ミカさんは、
- 料理や洗濯などの家事は一切しない
- (親戚がうるさいという理由で)結婚式は外国で挙げる
ことを条件に、プロポーズを受け入れてくれたのだそうです。
(福井ミカさんは、女の幸せは結婚ではないと考えていたそうですが、その一方で、親の束縛から逃げ出したいとも思っており、それには結婚しかないと思ったのだそうです)
加藤和彦と福井ミカはバンクーバーの教会で結婚式を挙げていた
こうして、加藤和彦さんと福井ミカさんの結婚が決まると、加藤和彦さんの音楽仲間だった杉田二郎さんや谷村新司さんら総勢20名ほどが、カナダとの音楽交流のツアーを組んでくれたそうで、
加藤和彦さんと福井ミカさんは、これを新婚旅行とし、1970年7月、バンクーバーの教会で結婚式を挙げたのだそうです。
(結婚式では、加藤和彦さんは、感激のあまり、誓いの言葉がうまく言えなかったといいます)
加藤和彦は福井ミカと結婚後は一切の炊事と家事を引き受けていた
ちなみに、結婚後は、約束通り、加藤和彦さんが、一切の炊事と家事を引き受けていたそうで、
福井ミカさんは、
トノバン(加藤和彦さんのこと)は常に新しい分野に挑戦している人だった。単なる新しいものが好きではなく、何でも物事を突き詰めてゆく姿勢が私は好きだった。
私のワガママを何でも聞いてくれたし、結婚の約束通り、家事のすべてをやってくれた。私は皿洗いひとつしなかった
と、語っています。
「加藤和彦の最初の妻・福井ミカとの離婚理由は?吉田拓郎に慰められていた!」に続く
「ザ・フォーク・クルセダーズ」として活躍していた大学生の時、ギターを教えてほしいと頼まれたことがきっかけで福井ミカさんと知り合い、1970年7月に結婚すると、福井ミカさんにベタ惚れだったことから、結婚後は、一切の家事や炊 …