1968年に「ザ・フォーク・クルセダーズ」を解散し、翌1969年に「僕のおもちゃ箱」でソローデビューを果たすと、以降、ソロ活動をする中、1971年4月、北山修さんと連名で、「あの素晴しい愛をもう一度」をリリースすると、ロングヒットとなった、加藤和彦(かとう かずひこ)さん。

今回は、そんな加藤和彦さんの、若い頃(ソロ時代)の活動や経歴を時系列でご紹介します。

加藤和彦

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加藤和彦は22歳の時に「僕のおもちゃ箱」でソローデビュー

1968年、21歳の時、予定通り、1年で「ザ・フォーク・クルセダーズ」を解散した加藤和彦さんは、翌年からソロ活動をするべく東京に移住すると、その後、アメリカやイギリスにしばらく滞在して様々な音楽に触れたそうで、

帰国後、1969年4月10日、22歳の時には、「僕のおもちゃ箱」でソローデビューを果たしています。

「僕のおもちゃ箱」
「僕のおもちゃ箱」

加藤和彦は20代の時、泉谷しげる、吉田拓郎など他のミュージシャンに楽曲を提供し、作曲家としても活動

そんな加藤和彦さんは、その後も、ソロとして活動しつつ、泉谷しげるさんや吉田拓郎さんなど、他のミュージシャンに楽曲を提供して、作曲家としての地位も確立するほか、

  • キングストン・トリオのジョン・ステュワートにちなみ、「ジョン」というペンネームを使用し、ファンクラブ「クラブ・ジョン」を設立
  • 楽譜出版事業の開始

など、様々な活動を行っています。

加藤和彦は24歳の時に北山修とシングル「あの素晴しい愛をもう一度」をリリースしロングヒットなっていた

また、加藤和彦さんは、1971年4月5日には、北山修さんと連名で、シングル「あの素晴しい愛をもう一度」をリリースすると、

この曲は、オリコンの最高順位は10位ながら、長期間ランキングに残り、他のミュージシャンにソロやデュエットでカバーされるほか、

中学校の音楽の教科書にも掲載されて、合唱コンクールの定番曲となるなど、現在も歌い継がれている名曲となっています。

「あの素晴しい愛をもう一度」
「あの素晴しい愛をもう一度」

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「あの素晴しい愛をもう一度」はシモンズのデビュー曲の予定だった

ちなみに、北山修さんによると、当初、「あの素晴しい愛をもう一度」は、女性デュオ「シモンズ」のデビュー曲の予定だったそうで、

作曲した加藤和彦さんから曲をもらった北山修さんは、一晩で作詞し、出来上がった歌詞をすぐに加藤和彦さんの留守番電話に吹き込んだそうですが、

すぐに、加藤和彦さんから電話がかかってきて、

最高だよ最高

良い曲(歌詞)をどうもありがとう!

と、興奮気味に言われたそうで、

「シモンズ」に提供するのが惜しくなり、「あの素晴しい愛をもう一度」は、加藤和彦さんと北山修さんで歌うことになったのだそうです(笑)

(「シモンズ」には、別の曲「恋人もいないのに」を提供したそうです)

「【画像】加藤和彦の若い頃(サディスティック・ミカ・バンド)のアルバムや代表曲は?」に続く

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