1975年11月、福井ミカさんと離婚したことで、「サディスティック・ミカ・バンド」を解散し、公私ともにパートナーを失った、加藤和彦(かとう かずひこ)さんですが、その後、作詞家の安井かずみさんと再婚しています。

今回は、加藤和彦さんと2番目の妻・安井かずみさんの、馴れ初め、2人の共作作品(アルバム)、結婚後の夫婦関係についてご紹介します。

加藤和彦と安井かずみ

「加藤和彦の最初の妻・福井ミカとの離婚理由は?吉田拓郎に慰められていた!」からの続き

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加藤和彦の前妻(2番目の妻)安井かずみとの馴れ初めは?

加藤和彦さんは、1977年4月、作詞家で8歳年上の安井かずみさんと再婚しています。

加藤和彦さんは、1975年11月に福井ミカさんと離婚後、失意の中、過ごしていたそうですが、同年12月、安井かずみさんのエッセイ集「TOKYO人形」の出版記念パーティーに出席した際、

安井かずみさんに、

明日、電話してください

と、言われたそうで、

これがきっかけで、安井かずみさんと仲良くなり、交際に発展したそうです。

(実は、加藤和彦さんと安井かずみさんは、1970年代初めに出会っており、安井かずみさんが加藤和彦さんのことを気になっていたそうですが、この時、加藤和彦さんは、福井ミカさんと婚姻中だったため、安井かずみさんとは特に何もなかったのだそうです)

加藤和彦は安井かずみとは同棲を経て結婚していた

そして、1976年初めには、二人は、安井かずみさんのアパートで同棲を始めると、

同年12月、加藤和彦さんが安井かずみさんにプロポーズし、安井かずみさんがプロポーズを受け入れ、1977年4月、2人は結婚したのだそうです。

加藤和彦は2番目の妻・安井かずみと作詞・作曲のコンビを組み多数のソロアルバムをリリースしていた

また、加藤和彦さんは、仕事でも安井かずみさんとコンビを組み、「作詞・安井かずみ/作曲・加藤和彦」として、

と、数多くの自身のソロアルバムをリリースしています。

安井かずみは加藤和彦と結婚後は加藤和彦の作曲作品にのみ作詞していた

ちなみに、加藤和彦さんは、ヨーロッパ3部作と呼ばれる「パパ・ヘミングウェイ」「うたかたのオペラ」「ベル・エキセントリック」をリリースした後、

インタビューで、

フォークル(ザ・フォーク・クルセダーズ)、ソロ、サディスティック・ミカ・バンド。常にやりたいことをやってきた。で、再びソロになってZUZU(安井かずみさん)と出逢った。

彼女を理解し、愛していると、ふたりで何かやりたいねと話し合っている内に『パパ・ヘミングウェイ』の構想がまとまった。1作だけのつもりだったのが、やっている内に楽しくなって次の2作ができた。

あの3作は、ZUZUがいたから可能になったアルバムなんです。ぼくを新しい境地に導いてくれたZUZUには感謝しても感謝しきれません

と、語っているのですが、

このインタビューは、加藤和彦さんと安井かずみさんの自宅で行われ、インタビューの間、安井かずみさんは、ぴったりと加藤和彦さんに寄り添っていたそうで、

(そんな2人の様子はまるで絵のようだったそうです)

インタビューをした音楽評論家の岩田由記夫さんは、その時の加藤和彦さんと安井かずみさんについて、

安井かずみは加藤和彦より8歳年上、いわゆる姉さん女房なのだが、彼女は若々しく、そんな年の差はまったく感じられなかった。

ぼくが加藤和彦に質問し、彼が答える。すると安井かずみもウンウンと頷くのだが、話に割り込むことはなく、ただ加藤和彦を見守っていたのが、今でも鮮やかに記憶に残っている。

と、語っています。

(加藤和彦さんと結婚する前、安井かずみさんは作詞家として引っ張りだこだったのですが、結婚後、他の作曲家と組むことはなくなったそうで、安井かずみさんの作品は全て加藤和彦さんの曲に捧げられたのだそうです)

加藤和彦は2番目の妻・安井かずみの美学を尊重し理想の夫婦を演じていた

ただ、安井かずみさんは、(世間が望む)常に憧れの存在であり続けるため、

  • 内装・インテリアにこだわり尽くしたヨーロッパ調の豪奢な住居
  • 毎晩、着替えて夫婦2人で夕食
  • 2人の共作以外の仕事はしない
  • 週末には夫婦でゴルフやテニスに興じる
  • 夏や冬はマウイの別荘で過ごす

と、人々が憧れるような完璧な夫婦を演じることを、加藤和彦さんにも強制したといいます。

(また、2人は、様々な国に旅行に出かけ、最先端の文化をキャッチし、いつも、洗練されたファッションに身を包んでいたそうです)

加藤和彦と安井かずみはなんとか均衡を保っているような状態だった

そんな中、加藤和彦さんは、もともと優しい性格だったことや、結婚当初は、キャリアも経済的な面でも格上だった安井かずみさんの方が主導権を握っていたこともあり(今で言う”格差婚”だったそうです)、安井かずみさんのわがままを全て聞いていたそうですが、

(作曲家でありプロデューサーだった加藤和彦さんの収入は決して少なくなかったそうですが、安井かずみさんには、カラオケブームによる莫大な印税収入があったそうで、それには及ばなかったそうです)

その一方で、安井かずみさんは、そんな夫を気遣い、表向きは、加藤和彦さんを”マエストロ”などと呼び、立てるも、そのような2人の夫婦関係は、共依存的な危うさを含みつつ、なんとか均衡を保っているような状態だったといいます。

また、結婚して数年が経った頃、加藤和彦さんの浮気が発覚し、安井かずみさんは大変ショックを受けたそうですが、

優しい性格でモテた加藤和彦さんには、その後も、何度も恋人ができたそうで、安井かずみさんは、加藤和彦さんが少しでもほかの女性に気が移りそうになると、ひどく神経質になり、加藤和彦さんの顔色をうかがい、萎縮するようになったといいます。

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加藤和彦は2番目の妻・安井かずみとは死別していた

こうして、”理想の夫婦”を演じ続けた加藤和彦さんと安井かずみさん夫婦でしたが、

1993年1月半ば、安井かずみさんに肺ガンが発覚し、余命宣告されると、加藤和彦さんは、すべての仕事をキャンセルし、献身的に看病を続けるも、その甲斐なく、

1994年、3月17日、加藤和彦さんが祈りの言葉を捧げる中、安井かずみさんは静かに息を引き取ったのだそうです。

(加藤和彦さんは、安井かずみさんの闘病中、夫婦2人で洗礼を受け、キリスト教徒となっていたそうです)

「加藤和彦の3番目の妻・中丸三千繪との馴れ初めは?結婚を急いだ理由とは?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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