1975年に福井ミカさんと離婚すると、1977年には安井かずみさんと再婚した、加藤和彦(かとう かずひこ)さんですが、安井かずみさんが1994年に他界されると、その一周忌を待たずに、オペラ歌手の中丸三千繪さんと結婚しています。

今回は、加藤和彦さんの、3番目の妻・中丸三千繪さんとの、馴れ初め、結婚に至った経緯、あまりにも早い結婚の理由についてご紹介します。

加藤和彦

「加藤和彦の2番目の妻・安井かずみとの馴れ初めは?死別していた!」からの続き

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加藤和彦の前妻(3番目の妻)はオペラ歌手の中丸三千繪

加藤和彦さんは、1995年2月、オペラ歌手の中丸三千繪さんと3度目の結婚をしています。

中丸三千繪
加藤和彦さんの3番目の妻の中丸三千繪さん。

中丸三千繪さんとは、1991年、2番目の妻・安井かずみさんとイタリア旅行中、空港で旧知のスタッフに紹介されたことがきっかけで知り合ったそうですが、

この時はまだ、安井かずみさんが婚姻中(存命中)だったため、中丸三千繪さんとは何もなかったそうです。

加藤和彦は前妻(2番目の妻)安井かずみが他界して間もなく中丸三千繪と交際をスタートさせていた

その後、安井かずみさんが1994年3月に他界されているのですが、

それから2ヶ月ほどした5月頃、加藤和彦さんがイタリア料理点「キャンティ」で食事をしていると、

中丸三千繪さんに、

イタリアでお会いした中丸です。今度、コンサートに来てね

と、声をかけられたそうで、

これをきっかけに、加藤和彦さんは、安井かずみさんが他界されて間もないにもかかわらず、中丸三千繪さんと交際するようになったのだそうです。

ちなみに、加藤和彦さんは、安井かずみさんが他界された後、それまでスーツだった服装がジーンズに変わり、仕事も手がつかず、半ば抜け殻のようになっていたそうですが、

中丸三千繪さんとの新しい恋で、急速に元気を取り戻していったといいます。

加藤和彦は前妻(2番目の妻)安井かずみの散骨式後すぐに中丸三千繪のもとに駆けつけていた

また、加藤和彦さんは、この年(1994年)の8月、マウイ島カパルアで、安井かずみさんの散骨式を行っているのですが、

鎖骨式が終わると、すぐに中丸三千繪さんのもとに駆けつけ、中丸三千繪さんのコンサートツアーについて回り、中丸三千繪さんのステージの時間に合わせて料理を作るなど、甲斐甲斐しく尽くしたといいます。

(このような加藤和彦さんの振る舞いは、安井かずみさんと親しかった者たちの怒りを買ったそうですが、加藤和彦さんは、中丸三千繪さんとの関係を公にするために、写真週刊誌「フライデー」に中丸三千繪さんとのツーショット写真をイタリアで撮らせたといいます)

加藤和彦は前妻(2番目の妻)安井かずみの一周忌を待たずに中丸三千繪と入籍していた

しかも、加藤和彦さんは、前妻(2番目の妻)・安井かずみさんと暮らしていた六本木の邸宅から、安井かずみさんの、靴、バッグ、アルバム、家具、2人で集めた食器をゴミとして処分するほか、家に飾られていた金子國義の絵も、すべてギャラリーに売り出すと、

この年(1994年)の9月には、中丸三千繪さんと暮らすために、家を全面的に改築し、安井かずみさんの一周忌を待たずに、1995年2月、中丸三千繪さんと入籍したのだそうです。

(加藤和彦さんは、安井かずみさんの写真は一枚も残さなかったそうです)

ちなみに、加藤和彦さんは、親しい人たちに、

比べられるとみっちゃん(中丸三千繪さん)が可哀想だから、ZUZU(安井かずみさん)のことは一切言わないで

みっちゃんと仲良くしてあげて

などと、頼んでいたといいます。

加藤和彦が3番目の妻・中丸三千繪との結婚を急いだ理由とは?

そんな加藤和彦さんの、中丸三千繪さんとの早過ぎる結婚には、安井かずみさんと親しくしていた人たちは大きなショックを受け、

安井かずみさんの友人だった、ジャーナリストの大宅映子さんは、

和彦さんの再婚には驚きました。日本中の女たちを羨ましがらせた結婚生活は、ZUZUが生涯をかけてつくり上げた作品といっていい。

それがあっさり他の女性にとって代わられることは、誇り高い彼女には耐えられないことだとわかりますから。ZUZUが亡くなってから、私たちも和彦さんとのお付き合いは一切なくなりました。

それでも、彼女の徹底した美学に最後まで付き合い、献身的に看病し、看取った彼は見事だったと思う

と、語っているのですが、

芸能プロモーターの渡邊美佐さんは、

(加藤和彦さんから中丸三千繪さんに)会ってくれと頼まれて、会いました。私もびっくりしたのですが、加藤さんがずっとZUZUに尽くしていた姿を見ているので、責めたり、怒ったりする気になれない。

こういうこともあるかと自分に言い聞かせた。その後も驚くようなことが結構続きました。ある日、『僕、アメリカ人になっちゃった』と言ってきたり。

中丸さんの籍に入って、KAZUHIKO・KATO・NAKAMURAという長い名前になっちゃったというの。気持ちの切りかえが早くて、常に”一所懸命”。彼はそういう人でした

作家の玉村豊男さんは、

才能のある強い女性が現れたら、すべてをなげうって献身するのが、加藤さんの恋愛スタイル。ZUZUにあれだけ尽くして、きちんと送った。ポッカリ胸に穴が空いたところに、また新たな気持ちが生まれた。

中丸に尽くしているのも、それはそれで立派な人生だと思う。それでも加藤さんは、やっぱりZUZUが一番合っていた。ZUZUとの17年間で、完全に加藤和彦が出来上がってしまった。

あの時間が最高の時代だった。最高のパートナーで、完全に一体となってしまったので、そこから抜け出せなかった

と、理解を示しており、

加藤和彦さんが、中丸三千繪さんとの結婚を急いだのは、公私ともにパートナーだった安井かずみさんを失った喪失感があまりにも大きく、安井かずみさんとの思い出を振り切り、新しい人生の一歩を踏み出すために必要なことだったのかもしれませんね。

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加藤和彦と3番目の妻・中丸三千繪の結婚生活は2年で破綻し5年で離婚していた

そんな加藤和彦さんは、中丸三千繪さんとは、結局、5年後の2000年に離婚。

しかも、結婚生活は、実質2年で破綻していたといいます。

「加藤和彦の子供は?遺影を抱いていたのは内縁の妻だった!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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