1968年、16歳の時、「ピンキーとキラーズ」として、「恋の季節」をリリースすると、日本初のダブルミリオンセラーを記録し、17週連続オリコン1位という快挙を達成した、今陽子(こん ようこ)さんですが、

幼い頃は、音楽が好きだった両親の影響を受けて洋楽に親しむなど、音楽に恵まれた環境で育ったそうですが、中学1年生の時には、宝塚歌劇団に憧れていたといいます。

今回は、今陽子さんの幼少期(生い立ち)から、作曲家のいずみたくさんに師事するまでをご紹介します。

今陽子

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今陽子のプロフィール

今陽子さんは、1951年11月1日生まれ、
愛知県横須賀町(現・東海市)の出身、

身長168センチ、

学歴は、
金城学院中学校卒業、

趣味は、演劇、ミュージカル鑑賞、ニューヨーク旅行、

特技は、パーカッション(コンガ)、ダンス(タップ・ジャズ・ディスコ)、日本舞踊(坂東流)、ものまね、カラオケ、

本名は、「今津陽子(いまづ ようこ)です。

ちなみに、お父さんは、POP広告コンサルタントとして活躍した今津次朗さんだそうですが、若い頃は、ギターやハーモニカが得意でバンドを組んで活動していたそうで、

お母さんも、若い頃、コロムビア全国歌謡コンクールで優勝した経験を持ち、父親が結成したバンドの専属歌手を務めていたそうです。

今陽子は幼い頃から音楽好きな両親の影響で洋楽を聴くことが好きだった

今陽子さんは、2人きょうだい(弟が1人)の長女として誕生すると、音楽好きだった両親の影響で、幼い頃から音楽に親しんでいたそうで、

特に、バーブラ・ストライサンド、ライザ・ミネリ、ベット・ミドラー、ビートルズ、エルヴィス・プレスリーなどの、洋楽(ジャズやポップス)を聴くことが好きだったそうです。

今陽子
七五三の時の今陽子さんと家族。

今陽子は中学1年生の時に宝塚歌劇団に憧れていた

また、今陽子さんは、1964年、中学校に入学すると、中学1年生の時、宝塚歌劇団に憧れたそうで、

男役をやりたい、那智わたるさんみたいになりたい

と、真剣に考え、

中学卒業後には宝塚音楽学校を受験しようと考えていたといいます。

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今陽子は中学1年生の時にスカウトされて芸能界入りしていた

そんな今陽子さんですが、お父さんが、POP広告の仕事をしながら、愛知県で歌謡ショーがあった際には、時々、司会も行っていたことから、

(お父さんは、おしゃべりがうまかったそうで、歌謡ショーの司会を頼まれていたのだそうです)

今陽子さんも、お父さんに楽屋に連れて行ってもらい、石原裕次郎さんや島倉千代子さんらにかわいがってもらっていたそうで、

そんな中、中学1年生の時、コンサートで名古屋に来ていたいしだあゆみさんの楽屋で、年齢の近いいしだあゆみさんとおしゃべりに興じていると、いしだあゆみさんのマネージャーにスカウトされ、

お父さんには、芸能界入りを猛反対されるも、お母さんは、自分の叶えられなかった夢を娘に託したいと考え、お父さんを説得してくれたことから、

今陽子さんは、中学2年生の時、作曲家・いずみたくさんが設立し、いしだあゆみさんが所属していた芸能事務所「オールスタッフプロダクション(現・オールスタッフ)」に所属することになり、単身で東京に移り住んだのだそうです。

「【画像】今陽子の若い頃は?デビューから現在までの代表曲や経歴は?」に続く

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