様々なアーティストやアイドルに数多くの楽曲を提供し、その数、約4000曲と言われている、安井かずみ(やすい かずみ)さんは、「危険なふたり」「追憶」「勝手にしやがれ」など、沢田研二さんの初期の頃の楽曲の作詞も数多く手掛けているのですが、
そんな安井かずみさんと沢田研二さんには、交際していたという噂があります。
今回は、安井かずみさんと沢田研二さんの関係についてご紹介します。
「安井かずみの死因は肺ガン!闘病生活から死去までの経緯は?」からの続き
安井かずみと沢田研二の出会いは?
安井かずみさんと沢田研二さんの具体的な出会いは不明ですが、安井かずみさんは、1960年代後半から1970年代初頭にかけて、「ザ・タイガース」をはじめとするグループ・サウンズの楽曲の歌詞も手掛けていることから、仕事を通じて、沢田研二さんと交流するようになったと考えられています。
安井かずみと沢田研二は交際していた?
そんな安井かずみさんと沢田研二さんの交際が噂されたことがあったのですが、公には確認されていません。
ただ、安井かずみさんが沢田研二さんにかなり熱を上げていたのは事実のようで、
安井かずみさんは、
欲しいものは何でも手に入れる
恋人でもなんでも
と、豪語していたといいます。
(その一方で、沢田研二さんは思い通りにならなかったとも言われています)
安井かずみが沢田研二に提供した「危険なふたり」は沢田研二との願望を歌った曲だった?
そんな中で、安井かずみさんが沢田研二さんに歌わせたのが、「危険なふたり」という、年上の女性(安井かずみさん)と年下のかわいい男性(沢田研二さん)の関係を綴った曲で、
当初は違うタイトルだったものを、作曲家の加瀬邦彦さんにタイトルを変えてほしいと頼まれた安井かずみさんが、仕事帰り、沢田研二さんを助手席に乗せて車を運転していた時、「危険なふたり」というタイトルを思いついたといいますが、
加瀬邦彦さんは、
あの詞はZUZU(安井かずみさん)が自分をテーマに書いたような気がするんだよね。
♪年上の女 美しすぎる♪ なんて、図々しいよな。 ♪それでも愛している♪ なんて、これは絶対自分がそうされたい願望だよね。レコーディングの時に、ジュリーにそう言うと、彼は「そうですかね」と笑っていた。
ZUZUはずっとジュリーに片思いしていたからね。恋人にはなれないとわかっていて、一緒にご飯食べたり、買い物できたらそれでいいと思ってたんじゃない?僕とジュリーの仕事も心から楽しんでやっていたよ
と、語っています。
(この頃、沢田研二さんは、ザ・ピーナッツの伊藤エミさんと交際中(後に結婚)だったそうです)
「危険なふたり」
1967年、「ザ・タイガース」のヴォーカルとして「僕のマリー」で歌手デビューして以来、数多くのヒット曲を連発し、ミュージシャンとして揺るがぬ地位を築いた、沢田研二(さわだ けんじ)さんですが、プライベートでは、双子の女性 …
安井かずみが沢田研二に夢中なのは周知の事実だった
また、安井かずみさんは、1986年、吉田拓郎さんのアルバム「サマルカンド・ブルー」で、全曲、作詞を担当し、そのレコーディングの際、吉田拓郎さんに、
あなたはライオンなんだからもっと雄々しく
もっとセクシーに
と、何度も歌い方に注文をつけていたそうですが、
吉田拓郎さんは、後に、このことについて、
ZUZU(安井かずみさん)に言われて、セクシーに雄々しくやったつもりだけれど、歌いながら、俺を沢田研二と間違えてるんじゃないかと思った
と、語っており、
安井かずみさんが沢田研二さんに夢中だったのは、周知の事実だったようです。
安井かずみは沢田研二を絶賛していた
実際、安井かずみさんは、1973年頃、ラジオ番組に出演した際、
あらゆるジャンルの曲を聴き、たくさんの歌手の作詞を手掛けるが、その結晶をすべてジュリーの曲の時に出そうと思っている
と、語っているほか、
雑誌のインタビューなどでも、
(沢田研二さんの楽曲の作詞は)世界に出しても恥ずかしくないものを書いている
と、言ってはばからず、かなり熱を入れていたことが分かります。
また、沢田研二さんの魅力について、
ジュリーの魅力…なぜ?素敵だから…勿論素敵です。多くの人々が感じて知っている彼の魅力のすべてが当てはまります。そして、ほんとは神様って不公平じゃないかと思う時があります。
彼の持っている頭の良さや、感性のカンの鋭さ…などです。例えば…ここにフランス語の詩があります。10年もフランス語を習っている私が読めるのは当たり前、でも、彼はほんの2回繰り返しただけでペラペラ読んでしまうのです。
日本の芸能界には<根性がある>何とも苦しげな言葉がありますが、ジュリーのは根性じゃなくて、謙虚にスラスラというのですから、やはり普通の人より優れている…としか考えられません。
と、絶賛しています。
一方、沢田研二さんはというと、安井かずみさんについて、公の場でほとんど何も語っていないため、安井かずみさんをどのように思っていたかは不明ですが、
安井かずみさんの出棺の際には、棺の前を担いでおり、男女の関係ではなくとも、特別な思いがあったことは伺えます。
安井かずみの沢田研二への提供作品(ザ・タイガース時代)
それでは、最後に、安井かずみさんが沢田研二さんに作詞を提供した主な楽曲を、「ザ・タイガース」時代も含めて、ご紹介しましょう。
「ザ・タイガース」時代では、
- 1967年「モナリザの微笑」
- 1967年「シーサイド・バウンド」
- 1968年「花の首飾り」
- 1968年「銀河のロマンス」
- 1968年「青い鳥」
- 1969年「美しき愛の掟」
- 1969年「君だけに愛を」
- 1970年「シー・シー・シー」
安井かずみの沢田研二への提供作品(ソロ時代)
沢田研二さんのソロ時代では、
- 1971年「許されない愛」
- 1972年「危険なふたり」
- 1973年「胸いっぱいの悲しみ」
- 1973年「あなたへの愛」
- 1973年「淋しい想い出 – Love’s Gone」
- 1974年「追憶」
- 1974年「巴里にひとり」
「巴里にひとり」 - 1974年「恋は邪魔もの」
- 1974年「遠い旅」
- 1975年「時の過ぎゆくままに」
- 1976年「コバルトの季節の中で」
- 1977年「勝手にしやがれ」
「勝手にしやがれ」 - 1978年「LOVE (抱きしめたい)」
- 1979年「カサブランカ・ダンディ」
- 1979年「OH! ギャル」
- 1980年「TOKIO」
- 1986年「魅せられた夜」
- 1986年「あなただけでいい」
「あなただけでいい」
ほか、数多くの作詞を提供しています。
「安井かずみの前夫(最初の夫)との馴れ初めは?離婚理由は?」に続く
1960年代から1980年代にかけて、当時はまだ珍しかった女性作詞家として、昭和の歌謡界に数々の名曲を残すほか、その洗練された私生活が度々メディアでも取り上げられるなど、時代の先端を行くファッションアイコンとしても注目を …