1969年6月、実業家の新田信一さんと離婚すると、その後は、恋に仕事にと自由を謳歌していたという、安井かずみ(やすい かずみ)さんですが、1977年には、ミュージシャンの加藤和彦さんと再婚しています。
今回は、安井かずみさんの2番目の夫・加藤和彦さんとの、馴れ初め、結婚生活、子供についてご紹介します。
「安井かずみの前夫(最初の夫)との馴れ初めは?離婚理由は?」からの続き
安井かずみの2番目の夫・加藤和彦との馴れ初めは?
安井かずみさんは、1977年4月、ミュージシャンで8歳年下の加藤和彦さんと再婚しています。
実は、安井かずみさんは、1975年12月、エッセイ集「TOKYO人形」出版記念パーティを開いた際に、出席していた加藤和彦さんと知り合ったそうですが、
加藤和彦さんは、前月の11月に福井ミカさんと離婚し、失意の時を過ごしていたそうで、
その話を聞いた安井かずみさんが、「しめた」と思って、加藤和彦さんに、
明日、電話してください
と、囁(ささや)き、
このことがきっかけで、安井かずみさんと加藤和彦さんは交際を始めたのだそうです。
安井かずみが加藤和彦を気に入った理由とは?
ちなみに、安井かずみさんが、加藤和彦さんのことを気に入ったのは、
- 超売れっ子
- 身長が185センチあり、おしゃれが様になった
- カラフルなアフロヘアが前衛的だった
- やさしい
- 声がいい
- 料理の腕前がプロ並み
というところだったといいます。
(安井かずみさんは、ヨーロッパの貴族とも交流があったことから、自身の彼氏には背が高いということが絶対条件だったそうです)
安井かずみは加藤和彦と同棲を経て結婚していた
さておき、安井かずみさんと加藤和彦さんは、1976年に入ってすぐ、安井かずみさんのアパートで同棲を始めると、同年12月には、加藤和彦さんが安井かずみさんにプロポーズしたそうで、
1977年4月、渋谷の本多記念教会で結婚式を挙げています。
(安井かずみさんは、友人のコシノジュンコさんがデザインしたウェディングドレスを着たそうです)
安井かずみは2番目の夫・加藤和彦の前で可愛い女性を演じていた
そんな安井かずみさんと加藤和彦さんは、結婚後、仕事でもコンビを組んでいるのですが、
安井かずみさんは、他の作曲家と組むことはなくなり、作詞作品は全て加藤和彦さんの曲に捧げられたそうで、加藤和彦さんの9枚のソロアルバムで、作詞を担当しています(作曲は加藤和彦さん)。
また、安井かずみさんは、自宅で行われたインタビューの際には、ぴったりと加藤和彦さんに寄り添っていたそうで、
安井かずみさんと文化学院の同級生で、ファッションデザイナーの稲葉賀恵さんは、
加藤さんはZUZU(安井かずみさん)のことをすごく尊敬していました。とても大事にしていた。ZUZUも、どこからあんな声が出るのかと思うような可愛い声出して、甘えてた
作家の林真理子さんも、
安井さんは、女は男の腕の中で幸せになるということを信じていた人です。恋愛においては、一世代前の女の人なんでしょう
と、語っており、
安井かずみさんは、加藤和彦さんの前では、可愛い女性として振る舞っていたといいます。
さらに、安井かずみさんは、夕食は、服を着替えて夫婦2人でとることを望み、好物だったというたらこは、加藤和彦さんが嫌うという理由で一切口にしなくなったほか、ファッションも加藤和彦さんに合わせて保守的になり、趣味もゴルフやテニスに変わったといいます。
(加藤和彦さんも、本来、紅茶が好きなところ、朝食の時にはコーヒーを飲むなど、安井かずみさんの好みに合わせていたそうです)
安井かずみと加藤和彦は理想の夫婦を演じていた
そんな中、安井かずみさんは、加藤和彦さんから、誕生日にはポルシェ、クリスマスにはカルチェの500万円のイヤリングをプレゼントされるほか、
2人で世界中を旅行し、マウイ島カパルアの別荘を衝動買いするなど、生活は豪奢(ごうしゃ)を極め、自他ともに認める理想的な夫婦となっていたのですが・・・
安井かずみさんは、妹の順子さんにだけ、
表向きはそうやっているけれど、そんなもんじゃないのよ
と、本音をもらしていたそうで、
2人は、人々が憧れるような完璧な夫婦であるために、理想とする絵の中に収まるよう演じていたのだそうです。
安井かずみと加藤和彦の夫婦関係は共依存的な危うさを含んだものだった
ちなみに、結婚当初は、キャリアも経済的にも格上だった、安井かずみさんが主導権を握っていたこともあり、加藤和彦さんが安井かずみさんのわがままを全て聞いていたそうですが、
(安井かずみさんは、年齢もキャリアも下の加藤和彦さんが自身の友人たちと交流することを嫌っていたことから、次第に、友人たちと疎遠になっていったそうですが、加藤和彦さんもまた、ザ・フォーク・クルセダーズ時代の仲間と疎遠になっていったそうです)
安井かずみさんも、そんな夫を気遣い、表向きは、加藤和彦さんを”マエストロ”などと呼び、立てていたといいます。
ただ、実際には、安井かずみさんは、加藤和彦さんを、自身の理想の男性になるようにコントロールしていたそうで、加藤和彦さんも、まるで自分を捨てるかのように、気の強い安井かずみさんに従っていたそうで、
そのような2人の夫婦関係は、共依存的な危うさを含みつつ、なんとか均衡を保っているような状態だったといいます。
安井かずみは加藤和彦が浮気する度にビクビクしていた
また、結婚して数年経った頃には、加藤和彦さんの浮気が発覚し、安井かずみさんは大変ショックを受けたそうですが、
優しい性格でモテた加藤和彦さんは、その後、何度も恋人ができたそうで(いつも女性からのアプローチだったそうですが)、
安井かずみさんは、加藤和彦さんが少しでもほかの女性に気が移りそうになると、途端に立場が逆転し、安井かずみさんは、加藤和彦さんの顔色をうかがい、萎縮するようになったといいます。
安井かずみは加藤和彦の献身的な看病の末に静かに息を引き取っていた
そんな中、1993年1月半ば、安井かずみさんは、肺ガンが発覚し、余命宣告されているのですが、
(安井かずみさん本人には、そのことは知らされず、「悪性腫瘍」と告げられ、抗ガン剤での治療を開始したそうです)
安井かずみさんは、入院中、自分の視界から加藤和彦さんが見えなくなることを許さなかったそうで、
加藤和彦さんは、ご飯も食べに行けず、結局、仕事を全てキャンセルし、全てを投げうって看病したといいます。
また、加藤和彦さんは、闘病中の安井かずみさんのために、マウイ島のカパルアの別荘を改装するほか、安井かずみさんの「こうしたい、ああしたい」という欲求に、大金をかけ、全て答えたといいます。
そして、安井かずみさんの容態が悪化すると、安井かずみさんの希望で、夫婦そろって洗礼を受けてクリスチャンとなり、加藤和彦さんは、牧師になるのではと思われるほどの勢いでキリスト教の勉強をしたそうですが、
1994年、3月17日、加藤和彦さんが祈りの言葉を捧げる中、安井かずみさんは静かに息を引き取ったのだそうです。
安井かずみの子供は?
新田信一さん、加藤和彦さん、と2人の男性と結婚した安井かずみさんですが、子供はいません。
安井かずみさんが、なぜ子供を持たなかったのか、その理由は不明ですが、
友人でジャーナリストの大宅映子さんによると、
安井かずみさんのジュエリーを羨ましがった時、安井かずみさんに、
あなたには娘が2人もいるじゃないの!
と、言われたそうで、
安井かずみさんは、本当は子供が欲しかったのかもしれません。
さて、いかがでしたでしょうか。
安井かずみさんの、
- 安井かずみの生い立ちは?幼少期は?学生時代から華やかな生活をしていた!
- 安井かずみのプロフィール
- 安井かずみは幼い頃から自己主張の強い勝ち気な女の子だった
- 安井かずみは中学・高校時代は読書好きな寡黙な少女だった
- 安井かずみは高校時代は画家を目指していた
- 安井かずみは学生時代から華やかな生活をしていた
- 【画像】安井かずみの若い頃から死去までの代表作(作詞,著書)や経歴は?
- 安井かずみは21歳の時にエルヴィス・プレスリーのヒット曲「GIブルース」で訳詞家デビュー
- 安井かずみは20代後半頃「花はどこへ行った」「ヘイ・ポーラ」「レモンのキッス」「アイドルを探せ」「ドナドナ」などの訳詞を手掛けていた
- 安井かずみは25歳の時に園まりに提供した「何も云わないで」が大ヒット
- 安井かずみは26歳の時に伊東ゆかりに提供した「おしゃべりな真珠」で「第7回日本レコード大賞作詞賞」を受賞
- 安井かずみは27歳の時に訳詞「ドナ・ドナ」で一気に知名度を高めていた
- 安井かずみは28歳の時に「青空のある限り」、29歳の時に「恋のしずく」が大ヒット
- 安井かずみは32歳~35歳の時に「経験」「わたしの城下町」「激しい恋」「危険なふたり」「よろしく哀愁」などヒットを連発
- 安井かずみは38歳頃からは2番目の夫・加藤和彦の作曲作品の作詞に専念するようになっていた
- 安井かずみの著書
- 安井かずみは肺ガンにより55歳で他界
- 「安井かずみの死因は肺ガン!闘病生活から死去までの経緯は?」
- 安井かずみは左胸痛で検査を受け末期の肺ガンと判明するも悪性腫瘍だと告げられていた
- 安井かずみは副作用に耐えながら抗ガン剤の治療を続けていた
- 安井かずみは抗ガン剤の効果で痛みが消え自宅で療養生活を送っていた
- 安井かずみは妹の順子に頻繁に会いたがるようになっていた
- 安井かずみは放射線治療のため入退院を繰り返していた
- 安井かずみの死因は肺ガン
- 安井かずみと沢田研二の関係は?「危険なふたり」は願望の表れだった?
- 安井かずみと沢田研二の出会いは?
- 安井かずみと沢田研二は交際していた?
- 安井かずみが沢田研二に提供した「危険なふたり」は沢田研二との願望を歌った曲だった?
- 安井かずみが沢田研二に夢中なのは周知の事実だった
- 安井かずみは沢田研二を絶賛していた
- 安井かずみの沢田研二への提供作品(ザ・タイガース時代)
- 安井かずみの沢田研二への提供作品(ソロ時代)
- 安井かずみの前夫(最初の夫)との馴れ初めは?離婚理由は?
- 安井かずみの前夫(最初の夫)新田信一との馴れ初めは?
- 安井かずみの前夫(最初の夫)新田信一は大富豪の息子なうえマルチリンガルでルックスも良かった
- 安井かずみは前夫(最初の夫)新田信一と同棲を経て結婚していた
- 安井かずみが仕事を再開すると前夫(最初の夫)新田信一とギクシャクするようになっていた
- 安井かずみは前夫(最初の夫)新田信一とニューヨークに移住するも生活に馴染めず家出していた
- 安井かずみと前夫(最初の夫)新田信一の離婚理由は?
- 安井かずみの2番目の夫・加藤和彦との馴れ初めは?結婚生活は?子供は?
- 安井かずみの2番目の夫・加藤和彦との馴れ初めは?
- 安井かずみが加藤和彦を気に入った理由とは?
- 安井かずみは加藤和彦と同棲を経て結婚していた
- 安井かずみは2番目の夫・加藤和彦の前で可愛い女性を演じていた
- 安井かずみと加藤和彦は理想の夫婦を演じていた
- 安井かずみと加藤和彦の夫婦関係は共依存的な危うさを含んだものだった
- 安井かずみは加藤和彦が浮気する度にビクビクしていた
- 安井かずみは加藤和彦の献身的な看病の末に静かに息を引き取っていた
- 安井かずみの子供は?
について、ご紹介しました。
ひょんなことで訳詞家としてデビューすると、その後、作詞家への道を切り開き、抜群の語学力と独特の感性で才能を開花させ、「わたしの城下町」「危険なふたり」「よろしく哀愁」など数々のヒット曲を生み出し、生涯約4,000曲に及ぶ詞を残すなど、名作詞家として不動の地位を確立した安井かずみさん。
闘病の末、55歳という若さで他界されましたが、安井かずみさんが遺した言葉の数々は、これからも、多くの歌の中で輝き続けることでしょう。
幼い頃から、お母さんも手を焼くほど、自己主張が強く、弁が立ち、個性豊かな学生が集まる文化学院油絵科時代も、周囲から姉御肌の存在として慕われていたという、安井かずみ(やすい かずみ)さんですが、 今回は、そんな安井かずみさ …