「スーパー歌舞伎II」など、舞台を中心に、テレビドラマ、映画と幅広く活動していた、石橋正高(いしばし まさたか)さんですが、2007年7月、27歳年上の小柳ルミ子さんとの交際・婚約が報じられ、一躍、脚光を浴びました。
今回は、石橋正高さんと小柳ルミ子さんの、馴れ初め、破局理由などについてご紹介します。

「石橋正高の若い頃(デビュー)から現在までの出演舞台ドラマ映画CMは?」からの続き
石橋正高と小柳ルミ子の馴れ初めは?
石橋正高さんは、2006年4月、舞台「清水の次郎長外伝〜恋女房お蝶の奮闘記〜」での共演がきっかけで、小柳ルミ子さんと知り合うと、
舞台期間中は、共演者同士の食事会の後、小柳ルミ子さんを車で自宅に送るなど、芸能界の大先輩と後輩の関係から信頼を深めていき、交際を開始したといいます。
ちなみに、石橋正高さんと小柳ルミ子さんは、稽古中も仲睦まじい様子だったそうで、小柳ルミ子さんは、石橋正高さんを「たかちゃん」と呼ぶほか、
取材に対し、
私の胸にポーンとスコーンと飛び込んで来たのがI(石橋正高さん)だったんですよ
と、語っています。
また、石橋正高さんは、小柳ルミ子さんが前夫・大澄賢也さんと暮らしていた邸宅で同棲していたそうで、
小柳ルミ子さんは、
(石橋正高さんは)前夫のことなんて気にせず、私にぞっこんだったんです
と、語っており、
交際は順調だったようです。
石橋正高は小柳ルミ子と婚約が報じられるも翌日に小柳ルミ子が完全否定
そんな中、2007年7月、石橋正高さんが28歳の時には、小柳ルミ子さん(当時55歳)との婚約が報じられ、
- 石橋正高さんが、「一生ついていきたい」と周囲に語るなど、小柳ルミ子さんに夢中だった
- すでに小柳ルミ子さんに指輪をプレゼントしていた(婚約)
- 2006年12月12日に他界された小柳ルミ子さんのお母さんの喪が明ける2007年12月末に再婚する予定
という内容だったのですが・・・
この報道の翌日には、小柳ルミ子さんが、マスコミに対しFAXで石橋正高さんとの再婚を完全否定。
そして、大阪・新歌舞伎座で「小林旭・特別公演」に出演中だった石橋正高さんはというと、待機する報道陣から逃げるように劇場を後にしたといいます。
(この時、石橋正高さんと小柳ルミ子さんはすでに破局していたそうです)
石橋正高と小柳ルミ子の破局理由
それでは、考えられている3つの破局理由をご紹介しましょう。
理由1:石橋正高の両親が結婚に猛反対
石橋正高さんと小柳ルミ子さんは、同棲生活を送り、いつ結婚してもおかしくない状態だったそうですが、石橋正高さんの両親が2人の交際に激怒していたそうで、
石橋正高さんのお母さんは取材に訪れたマスコミに対して、
なんで息子の結婚をマスコミを通じて知らなければいけないのですか。そういう話だったらきちんとあいさつがあるはず
と、不信感を抱いていたといいます。
理由2:小柳ルミ子は元夫・大澄賢也に未練があった?
小柳ルミ子さんは、この頃、ほかにもアプローチされている俳優がおり、大変モテていたそうですが、
前夫・大澄賢也さんへの未練が残っており、大澄賢也さんとの復縁を望んでいたといいます。
理由3:小柳ルミ子が「彼に甘えられることに疲れた」と告白していた
小柳ルミ子さんは、2006年9月頃から、
彼が自分の足で歩こうとしない。このまま私と一緒にいていいのか
と、悩み始め、周囲に相談して、同居を解消していたそうで、
いつまでも甘えられて疲れた
と、語っていたともいいます。
そして、2007年11月には、
なんとなく私が連絡しなかった
悪い女ですね、すいません
と、語っており、
完全に吹っ切れた様子だったといいます。
婚約報道は石橋正高の“売名リーク”によるものだった?
ちなみに、この婚約報道は、翌日に小柳ルミ子さんが再婚を否定したことから、誤報だったことが判明したのですが、
婚約報道は、石橋正高さんのリークだったと考えられています。
「石橋正高は市川猿之助の遺書のM?歌舞伎界が激怒した裏切行為とは?」に続く
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2007年7月、小柳ルミ子さんとの婚約が発表され、一躍、注目を浴びるも、実は、この時すでに破局しており、自らリークしたと言われている、石橋正高(いしばし まさたか)さんですが、 それから16年後の2023年、四代目市川猿 …







