1960年、41歳の時、ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の舞台美術を務め、作曲家のいずみたくさんと出会うと、翌年には共に名曲「手のひらを太陽に」を制作するほか、

1969年、50歳の時、「アンパンマン」を発表すると、当初は大人から不評も、幼児読者からの熱烈な支持により、やがて注文が殺到すると、1988年、69歳の時には、アニメ化され、一躍、国民的キャラクターとなる大ヒットとなった、やなせたかしさん。

今回は、そんなやなせたかしさんの、若い頃(作詞家・漫画家時代)から他界されるまでの作品(著書、作詞作品)ほか経歴を時系列でご紹介します。

やなせたかし

「やなせたかしの若い頃(会社員時代から独立してフリーの漫画家になるまで)は?」からの続き

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やなせたかしは41歳の時に「見上げてごらん夜の星を」でいずみたくと知り合っていた

フリーの漫画家として独立するも、ストーリー性のある長編漫画や劇画が流行り始めたことから、4コマ漫画のような仕事は徐々に減少していったというやなせたかしさんですが、

1960年、やなせたかしさんの自宅に、突然、永六輔さんが訪ねてきて、

ミュージカルの舞台装置をやなせさんにお願いしたい

と、初対面にもかかわらず、突然、切り出されたそうで、

やなせたかしさんは、舞台装置の経験もなく、ミュージカルもよく知らなかったことから、あっけにとられていたそうですが、

永六輔さんは、

それじゃお願いします

と言って、さっと帰っていったそうで、

こうして、やなせたかしさんは、永六輔さん演出のミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の舞台美術を務めることになったそうです。

(この現場では、同じくミュージカル初体験だった作曲家のいずみたくさんと知り合ったそうで、以降、いずみたくさんとは、長きに渡って交流することになります)

やなせたかしは42歳の時にいずみたくとの共作「手のひらを太陽に」を作詞していた

そんなやなせたかしさんは、ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」が上演された翌年の1961年、42歳の時には、日本教育テレビ(現・テレビ朝日)の「ニュースショー」で構成を務めていたそうで、「今月の歌」の作詞をすることになり、「手のひらを太陽に」という歌詞を書いたそうですが、

番組側から、「知っている作曲家は?」と聞かれたことから、ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」で知り合ったいずみたくさんに「手のひらを太陽に」の作曲を依頼したそうで、曲が完成し、宮城まり子さんの歌唱で発表されると、

この「手のひらを太陽に」は、1962年には、NHK「みんなのうた」で取り上げられ、瞬く間にお茶の間に広く知れ渡るようになったそうで、1969年には、小学校の音楽の教科書にも掲載されるまでになり、やなせたかしさんの代表曲となったのでした。

「手のひらを太陽に(宮城まり子)」

やなせたかしが50歳の時に発表した当初の「アンパンマン」は顔が普通の人間だった

こうして、一躍、人気作詞家となったやなせたかしさんですが、肝心の漫画の方では、代表作がなく悩んでいたそうで、

そんな中、1969年、50歳の時には、「こどもの絵本」シリーズの一つとして、雑誌「PHP」誌10月号で「アンパンマン」を初めて掲載したそうです。

ただ、この時のアンパンマンは、大人向けの童話で、顔も普通の人間だったそうです。

(空腹の人のところにパンを届けるというテーマは、現在の「アンパンマン」と同じだったそうです)

初代アンパンマン
初代アンパンマン。

そして、1973年には、幼児雑誌「キンダーおはなしえほん」(フレーベル館)に、(1969年に初掲載された)大人向けの「アンパンマン」を子供向けに発展させた、顔があんぱんのヒーローが登場する「アンパンマン」を掲載したそうですが、

編集者や保護者など大人の読者からは、「(幼児には)内容が難しすぎる」と理解を得られず、当初はほとんど注目されなかったそうです。

(主人公が空腹の者に自分の顔をちぎって与えるという、それまでのヒーロー像を覆す斬新さはあったものの、貧困に苦しむ人々を助けるという内容が、幼児には難しいと考えられたそうです)

あんぱんまん
顔があんぱんの「アンパンマン」。

ただ、その一方、0歳から3歳の幼児読者からは熱烈な支持を受けていたそうで、この幼児層からの熱い支持を信じて描き続けると、徐々に、幼稚園や保育所から「アンパンマン」の注文が来るようになり、ついには注文が殺到するようになったそうで、

その後、1988年には、「それいけ!アンパンマン」としてアニメ化され、月曜夕方5時という放送時間帯にもかかわらず7%の高視聴率を叩き出し、「アンパンマン」は、一躍、大人気作品へと飛躍を遂げたのでした。

「それいけ!アンパンマン」
アニメ「それいけ!アンパンマン」より。最終的に「アンパンマン」は幼児に近い二頭身となりました。

(やなせたかしさんは、アニメ「アンパンマン」の音楽も、テーマソング「アンパンマンのマーチ」ほか数多く作詞しています)

やなせたかしは54歳の時にいずみたくと「0歳から99歳までの童謡」シリーズをスタートしていた

ところで、やなせたかしさんは、作曲家のいずみたくさんとタッグを組んで数多くの曲(作詞)を作り続けたそうで、

「0歳から99歳までの童謡」シリーズは、1973年からいずみたくさんが他界される1992年まで、やなせたかしさんが編集長を務める月刊誌「詩とメルヘン」に掲載し続けているのですが、

タイトルに「0歳から99歳まで」とあるのは、やなせたかしさんが、童謡を子どものためだけのものとせず、年齢による区別や制限を設けたくないと考えていたからだそうで、

いずみたくさんも、この考えに共感し、

商業的なことは一切考慮せず、ただ良い歌を作る

と、共通の思いで2人で作品を作り続けたといいます。

やなせたかしは92歳にして東日本大震災でポスターを制作するなどの支援していた

その後も、やなせたかしさんは、精力的に活動していたのですが、2011年頃(やなせたかしさん92歳)には、視力が悪くなり、一旦は、これを理由に、漫画家からの引退を考えたそうですが、

同年、東日本大震災が起こったことをきっかけに、引退を撤回すると、被災地に送るため、ポスター制作など多数の支援活動を行ったそうです。

やなせたかし

やなせたかしは94歳で死去

しかし、そんなやなせたかしさんも、2012年頃から膀胱ガンを患うと、その後、肝臓にも転移したそうで、

2013年8月、体調を崩して入院すると、2ヶ月後の10月13日午前3時8分、東京都文京区本郷の順天堂大学医学部附属順天堂医院で、心不全により、94歳で他界されたのでした。

やなせたかしの作品(著書)

それでは、最後に、やなせたかしさんの作品をご紹介しましょう。

著書では、

やなせたかしの作品(「それいけ!アンパンマン」の作詞)

作詞(「それいけ!アンパンマン」関連の楽曲)では、

(「それいけ!アンパンマン」関連の楽曲は、ほとんどの作品でやなせたかしさんが作詞を手掛けています)

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やなせたかしの作品(その他の作詞)

その他の作詞では、

  • 1962年「手のひらを太陽に」(日本の歌百選)
  • 1964年「誰だって一人じゃない」(歌:いしだあゆみ※テレビドラマ「ハロー・CQ」主題歌
    「誰だって一人じゃない」
    「誰だって一人じゃない」
  • 1965年「クラブ君の冒険」 ※ピー・プロダクション パイロットフィルム主題歌
  • 1967年「勇気のうた」
  • 1968年「ひざっこぞうマーチ」
  • 1968年「おかあさんの顔」
  • 1969年「長崎めがね橋」
  • 1969年「ラッパと少年」
  • 1970年「しっぽはぐぐんと」(歌:大山のぶ代※テレビアニメ「のらくろ」オープニングテーマ
    「しっぽはぐぐんと」
    「しっぽはぐぐんと」
  • 1970年「アイアイ・ミコちゃん」(歌:天地総子)※テレビアニメ「のらくろ」エンディングテーマ
  • 1971年「さびしいカシの木」
  • 1975年「夕やけに拍手」(第42回NHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲)
  • 1976年「天使のパンツ」
  • 1981年「マンガのマーチ」(歌:子門真人
  • 1981年「まんぱく音頭」(歌:子門真人)
  • 1985年「花と草と風と」(第52回NHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲)
  • 1995年「合唱による10のメルヘン『愛する歌』」(1995年11月、木下牧子作曲版刊行年)
  • 2007年 新宿区四谷子ども園 園歌「光のこども」
  • 2011年「ぼくらは仲間」(第78回NHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲)

ほか、

年代は不明ですが、

  • 「美しの丘」(歌:島崎由理)
  • 「しろいうま」
  • 新宿区立新宿養護学校 校歌「ひまわりの歌」
  • 東京都世田谷区立松丘幼稚園 園歌「ぼくらのうた」
  • 「ナマコの行進曲(マーチ)」
  • 「光る海の城」
  • 「星の炎に」
  • 「ザザザーン・ポートピア」
  • 男声合唱のための組曲「人生ばんざい!」
  • 「ばら色のクジラ」
  • 「星の木の下で」
  • 「美良布保育園の歌」(歌:岡崎裕美、竹田えり、山野さと子 – ビューティー3名義)
  • 「うなぎ小唄」
  • 「ムシのついた女」(歌:ボーカル・ショップ)
  • 「しあわせよカタツムリにのって」
  • 「ロマンチストの豚」
  • 「海と涙と私と」
  • 「きんいろの太陽がもえる朝に」
  • 「ユレル」

など数多くの作詞をされています。

「やなせたかしは弟の戦死と自身の戦争体験により正義を考え直していた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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