高知新聞社での会社員時代に知り合い、一目惚れしたという暢さんと、1949年、30歳の時に結婚し、幸せな日々を送っていたという、やなせたかしさんですが、
それまで病気をすることもなく健康だった妻の暢さんが、突然、体調を崩し、余命3ヶ月と宣告されたといいます。
今回は、やなせたかしさんの妻・暢さんが、余命3ヶ月と宣告され、その後、丸山ワクチンを使用し、5年延命したことなどについて、ご紹介します。

「やなせたかしの妻との馴れ初めは?結婚に至った経緯は?夫婦仲は?」からの続き
やなせたかしの妻・暢は乳ガンと診断されていた
1988年秋、やなせたかしさんの「アンパンマン」のアニメ化がスタートする頃、妻の暢(のぶ)さんは、胸に異物と痛みを感じたそうですが、それまで病気とは無縁だったこともあり、病院へ行くのを1日延ばしにしていたそうで、
1ヶ月後、ようやく東京女子医大病院を受診すると、乳ガンと診断され、即日入院となったそうです。
(それ以前にも兆候はあったようで、暢さんは、腎臓結石で入院していたやなせたかしさんの退院を迎えに行った際にも、38度の熱が出て気分が悪かったそうですが、心配をかけまいと、言わなかったといいます)
やなせたかしは妻・暢が余命3ヶ月と宣告されていた
そして、同年12月には、暢さんは両乳房を切除する手術を受けたそうですが・・・
手術後、やなせたかしさんは、担当医から別室に呼ばれ、
肝臓にも転移しています。お気の毒ですが、奥様の命は長く保ってあと3カ月です
と、告げられたといいます。
また、手術後、暢さんには、
私、駄目かもしれない。覚悟はできているから本当のことを教えてね。整理しておかないと、あなたじゃ解らないから
と、言われたそうですが、
やなせたかしさんは、本当のことを言えなかったそうです。
(やなせたかしさんは、自分が先に死ぬと思い、最期を看取ってもらえるとばかり思っていたことから、自分が亡くなった後のことを考え、住んでいたマンションの半分を暢さんにするなど生前贈与をしていたそうですが、常に自分よりも健康だった暢さんが、まさか病魔に冒され、ましてや死ぬことについては一度も考えたことがなかったそうで、愕然としたそうです)
やなせたかしは里中満智子に声をかけられ妻・暢のことを相談していた
そんな中、やなせたかしさんは、周りの漫画仲間など誰にも暢さんの病気のことを打ち明けないまま、毎日、不安の中、暗い気持ちで仕事を続けていたそうですが、
そんなある日、所属していた日本漫画家協会の理事会に出席し、うわの空で会議を終えて、早く帰ろうと急いで外に出ると、
理事会に出席していた漫画家の里中満智子さんが追いかけてきて、
やなせ先生、何かありましたか?
と、声をかけてくれ、
(やなせたかしさんは、暢さんの病気のことは、一切、誰にも言っていなかったそうですが、里中満智子さんはやなせたかしさんの異変に気付き、声をかけてくれたのでした)
よかったら、私に話してください
と、言ってくれたそうで、
(里中満智子さんは、少女漫画界では若い頃から超売れっ子で、漫画界のマドンナ的存在だったことから、やなせたかしさんにとっては、別世界の人という位置づけで、それまでも、顔を合わせれば話をする程度で、特に親しい間柄ではなかったそうです)
やなせたかしさんが、堰(せき)を切ったように、妻がガンで余命3ヶ月と宣告されたこと、そのため夜も眠れないこと、どうすれば良いのかわからないこと、妻がいなければ自分は生きていけないことなど、不安を打ち明けると、
里中満智子さんは、実は、自身も子宮ガンだったこと、闘病の詳細についても、手術が嫌で(子宮を温存したくて)、漢方や食事療法など、良いと言われることは全て試し、丸山ワクチンを打ち続けたところ、7年目に医師から「もう大丈夫でしょう」と言われたことを教えてくれたそうで、
できる限りのことをやってみたらいかがですか。どうか元気を出してください
と言って、急いで自宅に帰り、
何枚ものA4用紙に、自身が受けた治療や食生活の改善について書き、FAXを送ってくれたのだそうです。
やなせたかしの妻・暢は丸山ワクチンを打って歩けるようになっていた
すると、やなせたかしさんは、暢さんの為にまだやれることがあると思い、気力が湧いてきたそうで、
さっそく、日本医科大学付属病院へ行って丸山ワクチンを入手し、主治医に注射してほしいと頼むと、主治医には、気休め程度にしかならないと言われたそうですが、
少しでも可能性があるならやってみると決めていたことから、
かまいません。藁(わら)にでもすがりたいのです
と、医師を説得し、
丸山ワクチンを打つと、打ち始めて1ヶ月ほどした頃、暢さんは歩けるようになったそうで、
12月末には退院し、入院していた東京女子医大病院から自宅のあるマンションまでの徒歩30分を、車に乗らずに歩いて帰ることができたのだそうです。
やなせたかしの妻・暢は丸山ワクチンで余命3ヶ月から5年延命していた
その後、やなせたかしさんは、暢さんに寄り添うように、穏やかな日々を送ったそうで、暢さんもまた、やなせたかしさんとの穏やかな日々に小さな幸せを見出すように過ごしていたそうですが、
それから5年後の、1993年11月には、ついに暢さんは75歳で他界されています。
実は、暢さんは、丸山ワクチンを打つことをやめてしまったそうで、やなせたかしさんが、もう一度打つように勧めても、
丸山ワクチンと東京女子医大とどっちを信じるかといえば、私はやっぱり女子医大を信じるわ
と言って、聞き入れなかったそうで、
やなせたかしさんは、
ぼくは現在の抗がん剤はどうも信用できない。あんなに副作用の強いクスリが身体にいいわけがない。癌はもし治っても、抗がん剤で死ぬとぼくは思った。しかし、カミさんを翻意させることはできなかった
と、語っています。
それでも、やなせたかしさんは、余命3ヶ月と宣告された暢さんが5年も生存できたことについて、
後に、里中満智子さんに、
ガンがわかってからの5年が、結婚してから夫婦でいちばん充実した時間だったよ
と、語っていたといいます。
やなせたかしの子供は?
ちなみに、やなせたかしさんと妻・暢さんの間に子供はいませんが、
やなせたかしさんは、
アンパンマンがぼくらの子供だ
アンパンマンは、暢と2人で育てた”子供”のようなもの
と、語っており、
実際の子供には恵まれなかったものの、暢さんとの生活の中で誕生したアンパンマンを大切にしていたそうで、
暢さんの病床にも、アンパンマンのタオルを積み重ね、看護師や見舞いに訪れた人に配っていたといいます。

やなせたかしさんと妻の暢さん。
さて、いかがでしたでしょうか。
やなせたかしさんの、
- やなせたかしは幼少期に父親が他界し母親の再婚で伯父夫婦に預けられていた!
- やなせたかしのプロフィール
- やなせたかしの本名は?
- やなせたかしの父方の実家は江戸時代から300年続く庄屋で由緒ある家柄だった
- やなせたかしは4歳頃に父親の転勤先の上海に渡っていた
- やなせたかしは5歳の時に父親が急死していた
- やなせたかしは7歳の時に母親の再婚により伯父夫婦に預けられていた
- やなせたかしは小学校2年生の時には転校先の小学校で絵がうまいことがクラス中に知れ渡っていた
- やなせたかしの生い立ちは?伯父夫妻に可愛がられるも自殺未遂&家出していた!
- やなせたかしは旧制中学時代には漫画投稿コーナーに投稿するようになっていた
- やなせたかしは旧制中学時代には自殺未遂していた
- やなせたかしは旧制中学時代には家出をしたこともあった
- やなせたかしは旧制中学時代、絵を描くことで暗い気持ちを乗り越えていた
- やなせたかしは伯父から医師を勧められるも絵に関係する学校に進みたいと思っていた
- やなせたかしは18歳の時に東京高等工芸学校工芸図案科(現・千葉大学工学部)に入学していた
- やなせたかしの若い頃(会社員時代から独立してフリーの漫画家になるまで)は?
- やなせたかしは21歳の時に田辺三菱製薬の宣伝部に就職
- やなせたかしは21歳の時に太平洋戦争のため徴兵されていた
- やなせたかしは27歳の時に復員すると高知新聞社に入社していた
- やなせたかしは28歳の時に後に妻となる同僚・小松暢を追って上京していた
- やなせたかしは28歳頃に三越百貨店宣伝部に入社しグラフィックデザイナーとして勤務していた
- やなせたかしは34歳の時に三越百貨店を退職しフリーの漫画家となっていた
- やなせたかしはフリーの漫画家として独立後は「困った時のやなせさん」と呼ばれるほど何でも器用にこなせるクリエイターだった
- やなせたかしは35歳の時にはニッポンビール(現・サッポロビール)の広告に四コマ漫画「ビールの王さま」を連載していた
- 【画像】やなせたかしの若い頃(作詞家・漫画家時代)から死去までの作品は?
- やなせたかしは41歳の時に「見上げてごらん夜の星を」でいずみたくと知り合っていた
- やなせたかしは42歳の時にいずみたくとの共作「手のひらを太陽に」を作詞していた
- やなせたかしが50歳の時に発表した当初の「アンパンマン」は顔が普通の人間だった
- やなせたかしは54歳の時にいずみたくと「0歳から99歳までの童謡」シリーズをスタートしていた
- やなせたかしは92歳にして東日本大震災でポスターを制作するなどの支援していた
- やなせたかしは94歳で死去
- やなせたかしの作品(著書)
- やなせたかしの作品(「それいけ!アンパンマン」の作詞)
- やなせたかしの作品(その他の作詞)
- やなせたかしは弟の戦死と自身の戦争体験により正義を考え直していた!
- やなせたかしが5歳の時に弟・千尋は父親の急死により伯父の養子となっていた
- やなせたかしは弟・千尋にコンプレックスを抱いていた
- 養子となった弟・千尋と居候の自分の扱いの差を感じていた
- 養子として大事にされていた弟・千尋をうらやましく思っていた
- ハンサムな弟・千尋と自身をしばしば比較されていた
- 弟・千尋は中学生になると成績優秀でスポーツマンとなりそれまでの自身と逆転していた
- やなせたかしは弟・千尋とは仲が良かった
- やなせたかしの弟・千尋は22歳で戦死していた
- やなせたかしは戦争体験と弟・千尋の死が「正義とは何か」を考えるきっかけとなっていた
- やなせたかしは弟・千尋をモデルにアンパンマンの顔を描いていた
- やなせたかしは弟・千尋を生涯に渡り思い続けていた
- やなせたかしの記念館アンパンマンミュージアムは妻の死を乗り越え建設したものだった!
- やなせたかしは妻・暢が他界後はひどく落ち込むもアンパンマンの仕事で立ち直っていた
- やなせたかしは妻・暢の死去2年後に「香北町立やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム(現・香美市立やなせたかし記念館)」をオープンしていた
- 「香北町立やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム(現・香美市立やなせたかし記念館)」はオープン49日で来場者10万人を超えていた
- やなせたかしと妻・暢の墓地は「香北町立やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム(現・香美市立やなせたかし記念館)」から車で5分の場所
- やなせたかしの死因は?腎盂・膀胱・肝臓ガンや心臓病ほか闘病生活だった!
- やなせたかしは86歳の時に腎盂ガンが発覚していた
- やなせたかしは86歳から膀胱ガンの再発を繰り返していた
- やなせたかしは94歳の時に肝臓ガンが発覚していた
- やなせたかしは白内障、心臓病、膵炎、ヘルニア、緑内障、腸閉塞、など様々な病気を患っていた
- やなせたかしの死因は?
- やなせたかしの妻との馴れ初めは?結婚に至った経緯は?夫婦仲は?
- やなせたかしの妻・暢との馴れ初めは?
- やなせたかしの妻・暢は前夫とは死別していた
- やなせたかしは28歳の時に暢を追うように上京していた
- やなせたかしは暢とは上京後に同居を経て結婚していた
- やなせたかしは漫画家として独立する際、妻・暢に背中を押されていた
- やなせたかしと妻・暢の夫婦仲は?
- やなせたかしの妻・暢は決して弱音を吐かなかった
- やなせたかしの妻の死因は?余命3ヶ月から丸山ワクチンで5年延命していた!
- やなせたかしの妻・暢は乳ガンと診断されていた
- やなせたかしは妻・暢が余命3ヶ月と宣告されていた
- やなせたかしは里中満智子に声をかけられ妻・暢のことを相談していた
- やなせたかしの妻・暢は丸山ワクチンを打って歩けるようになっていた
- やなせたかしの妻・暢は丸山ワクチンで余命3ヶ月から5年延命していた
- やなせたかしの子供は?
について、ご紹介しました。
幼少期の寂しさ、戦争の過酷な体験、最愛の弟の戦死を乗り越え、「アンパンマン」という永遠のヒーローを生み出したやなせたかしさん。
「アンパンマン」を始めとした、優しさと正義の心を体現し続けたやなせたかしさんの作品の数々は、この先も、数多くの人々を元気づけ、長く読み継がれていくことでしょう。
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戦争の経験から、愛や正義を、漫画、童謡、デザインなど多岐にわたる分野で表現し、国民的アニメ「アンパンマン」や、長きに渡り歌い継がれている「手のひらを太陽に」を生み出した、やなせたかしさん。 そんなやなせたかしさんは、5歳 …







