16歳で漫画家デビューして以来、歴史ロマンの金字塔「天上の虹」ほか数々の名作を世に送り出してきた、里中満智子(さとなか まちこ)さん。
そんな里中満智子さんは、幼い頃に、手塚治虫さんの漫画「とんから谷物語」を読んで絵の美しさと物語の面白さに惹かれると、小学4、5年生の時には、「鉄腕アトム」を行動の指針にするほど、手塚治虫さんの世界観に影響を受けたそうで、
中学生の時には、先生や親など周囲の大人たちの猛反対の中、独学で漫画を描き、出版社に送るようになったといいます。
今回は、里中満智子さんの生い立ち(幼少期~中学時代)をご紹介します。

里中満智子のプロフィール
里中満智子さんは、1948年1月24日生まれ、
大阪府大阪市都島区の出身、
学歴は、
大阪市立桜宮高等学校中退
ちなみに、「里中満智子」は本名です。
里中満智子が幼い頃に初めて出会った漫画はキツネを主人公にした漫画だった
里中満智子さんは、2人姉妹の長女として誕生すると、まだ物心がつく前の幼い頃、お母さんが買ってくれた本の中に、キツネを主人公にした漫画があったそうですが、
それが、里中満智子さんと漫画の最初の出会いだったそうで、里中満智子さんは、セリフを覚え、妹さんに読み聞かせていたといいます。
里中満智子は小学校に入る頃に手塚治虫の「とんから谷物語」を読み絵の美しさと物語の面白さに惹かれていた
そんな里中満智子さんは、小学校に入る頃には、本屋さんで手に取った雑誌の中に、手塚治虫さんの「とんから谷物語」という漫画を見つけ、絵の美しさと物語の面白さに惹かれたそうで、
以降、手塚治虫さんの作品だけでなく、ちばてつやさん、石ノ森章太郎さんの作品も読むようになったそうです。
また、本も好きだったことから、学校の図書館で、少年少女世界名作文学全集、ギリシア神話、図鑑を読んでいたそうで、少しでも時間があれば読書をする、読書少女だったそうです。
里中満智子は小学生の時には貸本屋に通うようになり本さえあれば幸せだった
その後、里中満智子さんは、貸本屋さんに通うようになったそうで、お年玉やお小遣いで貯めたお金で、せっせと漫画本や雑誌を買ったり、借りたりしては、自分の本棚に大好きな漫画を並べて、毎日、眺めていたそうで、
里中満智子さんは、
「子どもは外で遊びなさい」とよく言われましたが、毎日ずっと本を読んでいられたらなあ、と思っていました。
と、語っており、
本さえあれば、幸せだったといいます。
(この頃になると、わたなべまさこさん、水野英子さんの作品など、少女漫画にも親しむようになったそうです)
里中満智子が小学4、5年生の時には「鉄腕アトム」が行動の指針になっていた
そんな里中満智子さんは、小学4、5年生になると、
自分の行動規範は鉄腕アトムにある
と、思うようになったそうで、
何か嫌なことや面倒なことなど、誰もが避けたがるような役割を任された時はいつも、
アトムだったらどうする?
と、自分に問いかけていたといいます。
特に、それを実感したのが、学校のトイレ掃除の時間だったそうで、
「誰も見ていないのだからサボってしまいたい」という誘惑にかられても、
アトムだったらサボらずやったはず
と、思い直すことで、自分を律して最後まで取り組むことができたのだそうです。
里中満智子が小学生の時は漫画は大人たちから”悪”とみなされていた
ところが、当時は、漫画が”悪”とみなされていた時代だったことから、親や学校の先生など大人たちから、
漫画なんか読んじゃダメだ
漫画なんて読んでいたらロクな人間にならない
と、言われたそうで、
里中満智子さんが大好きだった「鉄腕アトム」も、
ロボットが感情を持つなど科学的にありえない。子どもが間違った科学知識を信じたらどうするのだ
ロボット同士が戦って壊れるというのは残酷だ
子どもの脳が発達する時期には難しい文章を読んで脳を鍛えるべき。だから漫画を見せてはダメ
などと、バカにされ、鉄腕アトムを子供たちから取り上げようという動きがあったほか、
お母さんからも理解してもらえず、テストで1問間違えるごとに、漫画を1冊捨てると宣言されてしまったのだそうです。
里中満智子は小学生の時に漫画が大人たちによって滅ぼされてしまうと強い危機感を抱いていた
そんな中、里中満智子さんは、このような大人たちの理屈を、子供心に、非科学的でバカバカしく思うも、理屈で説明することができず、大人には反論できなかったそうですが、
これは戦わなきゃいけない
という気持ちで、手塚治虫さん、石ノ森章太郎さん、ちばてつやさんの大切な本を秘密の本棚に隠し、本気で「アトムのように生きたい」と思ったといいます。
また、里中満智子さんは、漫画こそ、歴史の変遷や人間社会の仕組みを学ぶための「最高の教科書(バイブル)」だと考えていたことから、
このままでは大人たちによって漫画が滅ぼされてしまう
と、強い危機感を抱き、
子供ながらに、社会正義に燃え、漫画を守りたいと考えるようになったのだそうです。
里中満智子は中学校時代に将来は漫画家になろうと決意していた
そして、中学生になった里中満智子さんは、将来の進路を考えた時、自分にとって何が大切かを真剣に考えた結果、
漫画家になりたい
と、思ったといいます。
というのも、里中満智子さんの世代は団塊の世代で、子供の数がとても多く、高校に入るのも大学に入るのも就職するのも「狭き門」だと、競争をあおられていたそうで、
小学生の頃は、よく、同級生の女の子と、
私たちの半数は、きっとお嫁に行けないね
と、話していたほか、
学校では、「女の人も働く時代だ」と言われていたそうですが、かといって、女性が就ける職業は、教師、看護師、薬剤師などしかなく、限られていたことから、将来のことを考えた時、浮かんできたのが「漫画家」だったそうで、
もともと、絵を描くのは得意だったため、男性でも女性でも通じるようなペンネームにすれば、男女の枠を超えて、活躍できるのではないかと考えたのだそうです。
里中満智子は中学生の時に漫画家になる夢を大人たちから猛反対されていた
しかし、中学校の進路指導の先生に、
漫画家になりたい
と、伝えると、
お前、大丈夫か?
頭がおかしくなったのか?目を覚ませ
と、呆れられ、
お母さんにも、
漫画家になる娘に出す学費はない
交通費も出さない
と、カンカンに怒られ、
聞こえよがしに、
お父さん、満智子はもう産まなかった子だと思いましょう
と、突き放されたのだそうです。
里中満智子は中学生の時に担任の女性教師にだけ漫画家になることを応援されていた
そんな中、中学1年生の時、担任だった女性の先生に、
里中さんが漫画家になりたいと言って先生方が困っているみたいだけど、漫画家ってどうやってなるの?
と、聞かれたそうで、
里中満智子さんが、
一生懸命描いて投稿するしかないんです。だから、高校生活を満喫したら東京へ行って、押し掛けでアシスタントになろうと思っています。
と、答えると、
先生は、
私は漫画の世界を知らないから何もアドバイスできなくてごめんなさい。でもあなたの夢が叶うといいわね
と、言ってくれたそうで、
里中満智子さんは、先生が、「アドバイスはできないけれど頑張って」と正直な言葉で応援してくれたことに、ほっとし、この時、
将来、何かでこの先生に喜んでもらえたらうれしいな
と、思ったのだそうです。
(その先生とは今でも連絡を取り合っているそうです)
里中満智子は中学時代から独学で漫画を描き出版社に送るようになっていた
こうして、里中満智子さんは、手引書を参考に見よう見まねで漫画を描き始めると、当時は、ちゃんとした窓口がなかったことから、いろいろな出版社に送ったそうで、
編集者から返事が届くことを励みにせっせと漫画を描き続けたのだそうです。
「里中満智子の若い頃は?高校生で漫画家デビュー!中退して単身上京していた!」に続く
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