中学生の時から漫画を描き続け、描いた作品は500を超えるという、里中満智子(さとなか まちこ)さんですが、その間、次々に病に襲われ、壮絶な闘病生活を送っていたといいます。

今回は、里中満智子さんの闘病を時系列でご紹介します。

里中満智子

「【画像】里中満智子の若い頃から現在までの漫画作品や著書は?受賞歴は?」からの続き

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里中満智子は20代後半に腎盂炎を患っていた

里中満智子さんは、20代後半の頃、熱が出て震えが止まらなくなり、病院に行くと、「腎盂炎(じんうえん)」と診断されたそうです。

ちなみに、「腎盂炎」は、主に尿道から細菌が入ったことが原因で起こるそうで、本来、侵入した細菌は、排尿によって体外へと排出されるそうですが、免疫力が低下していると、細菌が腎臓に達し、感染と炎症を起こしてしまうのだそうです。

里中満智子さんは、この頃、すでに、売れっ子の漫画家だったため、多い時で連載8本を抱え、睡眠時間は毎日1~2時間だったそうで、そんな日々の中、疲れにより、免疫力が低下していたのかもしれません。

里中満智子は27歳の時に生理日以外に出血が止まらず激痛に襲われるようになっていた

また、里中満智子さんは、初潮の頃から、生理痛と生理不順がひどく、中学生の時には、生理が来ると、立っているだけでお腹が痛くなり、とても体育などできる状態ではなかったそうですが、

大人になってからも、生理がしょっちゅう来て、出血量も多く、生理痛がとてもひどかったといいます。

ただ、痛いのは当たり前だと思い、特に、何も対策をせず、我慢していたそうですが、27歳の時、生理の日でもないのに出血が止まらず、また、のたうち回るほどの激痛に襲われるようになったそうで、いくつかの病院を受診したそうですが、

どこの病院に行っても、

睡眠時間が短いからホルモンバランスが崩れているのでしょう。眠れば治ります

と、言われたそうで、

里中満智子さんも、そう思うようにし、特に何もせずに仕事を続けていたのだそうです。

里中満智子は29歳の時に「卵巣嚢腫」と診断され卵巣(片方)摘出手術を受けていた

ただ、ある病院で、「子宮外妊娠」と言われたそうで、里中満智子さんには、そのような心当たりがなかったことから、この際、徹底的に調べてもらおうと決意したそうで、

29歳の時、東京の山王病院を受診すると、卵巣の片方が腫れていることが分かり、「卵巣嚢腫」と診断されたそうで、

(知らない病名だったそうですが、原因が分かり、ショックを受けるよりもほっとしたそうです)

すぐに、(卵巣を片方)摘出手術を受けると、手術は無事に成功。

すると、手術の翌月からの生理が本当に楽になり、生理が1週間で終わったことがとても嬉しかったそうで、

里中満智子さんは、

『早く手を打てば、楽になれる』ということです。私の祖母は父系、母系とも30代で婦人科系の病気で亡くなっていました。父の母は子宮頸がんでした。

おばあちゃんのころは、治療法も少なかったんだろうと思うと、自分は恵まれていると思いました

と、語っています。

里中満智子は31歳の時に子宮頸ガンと診断されていた

以降、しばらくの間は、気分良く仕事に打ち込むことができていたそうですが・・・

それから2年ほど経った31歳の時、身体がだるく、微熱が続き、(ダイエットをしていないにもかかわらず)痩せてきて、寝汗もかくようになるなど、再び不調を感じたそうで、

(漫画家として仕事をする中で、医療や病気に関する知識もあったことから、「ガンか結核ではないか」と感じたそうです)

また、調子に乗って仕事をしすぎたのかもしれないと、再び、山王病院の婦人科に行き、

医師に、

がんか結核だと思います

と、自ら告げ、子宮頸ガンの細胞診をすると、

それから1週間後には、「子宮頸ガン」でステージはⅠa期(ごく初期の段階)だと診断されたのだそうです。

(当時は、患者にガンは告知しないのが一般的だったため、医師は気を遣いながら、なるべく「ガン」という言葉を使わずに、告知したそうです)

里中満智子はガンの部位のみを切り取る「円錐切除術」を受けていた

そして、医師には、子宮の全摘出を勧められたそうですが(当時は卵巣も一緒に全摘出したそうです)、

幼い頃から子供を持つことに憧れていたという里中満智子さんは、ガンの告知よりも、子供が産めなくなることがショックだったそうで、

20歳の時に一度結婚したものの、子供に恵まれないうちに離婚し、その後、仕事一筋だったことを後悔したといいます。

そんな病院からの帰り道、書店に立ち寄ると、(ガンの告知が珍しい時代だったため)「ガン闘病記」というコーナーがあり、里中満智子さんは、ここで、ガンを克服した人の体験談を読み、励まされたそうですが、

一方、積極的な夢を持つことが、生きる意欲につながることも分かったそうで、「いつか子どもを持つこと」に希望を抱くと、子宮を残したいと思い、子宮全摘出ではなく、子宮を温存する円錐切除(ガン細胞だけを切除)を医師に願い出たそうで、

里中満智子さんは、

自分の中でも想像が広がっていきます。子どもに向かって『お母さんはがんだったんだよ』などと話している将来の自分を描くことは、“気持ちのビタミン剤”になりました

と、語っています。

こうして、里中満智子さんは、ガンの部位のみを切り取る「円錐切除術」を選択し、手術に臨むと、手術は無事に成功し、術後の経過も順調で、予定していた抗ガン剤と放射線による治療も取りやめとなり、1週間で退院することができたのだそうです。

しかし、退院の際、医師に、

手術はとてもうまくいきました。あとは、こまめに念入りな検査を受け続けてください

と、言われたそうで、

この言葉に、里中満智子さんは、ハッとしたといいます。

というのも、医師の「検査を続けてください」という言葉は、里中満智子さんの命がまだ予断を許さない状況であることを示しており、

子宮を残してもらって子どもを産んだとしても、それが私のいのちと引き換えでは子どもに対して無責任だ、と改めて思いました

と、子供を望む気持ち以上に、親として命を繋ぐことの責任の重さを痛感したのだそうです。

里中満智子は退院後は睡眠時間を増やし仕事を減らしていた

そんな里中満智子さんは、退院後は、より健康に気を使うようになったそうで、

(食生活については、お父さんが栄養士だったことから、もともと、バランスよく食べていたそうです)

睡眠時間をたくさんとるようにし、午前1時から3時には寝るようにすること、6時間は睡眠をとることを目標にするほか、仕事も減らしていったそうで、

ガンなので・・・

と言うと、たいていの編集者は深追いせずに許してくれたそうです。

また、里中満智子さんは、仕事に対する意識も変わったそうで、それまでは、漠然と平均寿命まで生きることを前提に、自身の創作活動の設計図を描いていたそうですが、

病気をしてからは、自分の描きたいものを描いていこうと、より具体的に考えるようになったのだそうです。

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里中満智子は子宮筋腫、子宮と卵巣の癒着、膵臓に腫瘍など様々な病気を患っていた

ただ、その後も、里中満智子さんは、ガンの再発はないものの、ガン以外の不調に見舞われ続けたそうで、41歳の時には、子宮筋腫に見舞われ、筋腫の摘出手術を受けると、

更年期が近づいた頃には、子宮が腫れ、卵巣と癒着したことから、せっかく残した子宮と卵巣を全摘出することになってしまったといいます。

そして、67歳頃(「天上の虹」が終盤に差し掛かった頃)には、膵(すい)臓の膵管に腫瘍が見つかり、膵臓を5分の1ほど残して摘出手術をするほか、

2024年(76歳)時点でも、めまいや動悸に悩まされているそうで、仕事はかなり減らしているものの、健康には程遠い状態だといいます。

「里中満智子は丸山ワクチンをやなせたかしの妻(末期ガン)に勧めていた?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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