1978年には、Char(チャー)さん、加部正義さんと共にバンド「ジョニー・ルイス&チャー」(後のピンククラウド)を結成すると、派手さはないものの、安定感のあるドラミングとドラムを叩きながら歌うことができるスキルに加え、その華やかなルックスで引っ張りだことなり、様々なバンドで活動した、ジョニー吉長(じょにー よしなが)さん。

そんなジョニー吉長さんは、アメリカ人のお父さんとアメリカ人と日本人のハーフのお母さんのもと、婚外子として誕生し、母子家庭で育ったそうですが、13歳の時には、お母さんまで蒸発し、養護施設に預けられたといいます。

今回は、ジョニー吉長さんの生い立ち(幼少期~バンド「チェックメイツ」解散)をご紹介します。

ジョニー吉長

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ジョニー吉長のプロフィール

ジョニー吉長さんは、1949年3月21日生まれ、

(ただ、1969年の「女性自身」(1969年11月8日号)では、当時の年齢は23歳と紹介されていたことから、実際には1946年生まれで、この後に、ジョニー吉長さんが、3歳若く年齢のサバを読み、そのまま生涯活動していたと考えられています)

福岡県小倉市(現北九州市小倉北区/小倉南区)の出身、

血液型はA型、

本名は「吉長信喜」(よしなが のぶき)、旧芸名は「ジョニー・レイズリー」「ジョニー・レイズ」「吉長信樹」

だそうです。

ジョニー吉長はハーフ?

ジョニー吉長さんのお父さんはドイツ系アメリカ人、お母さんは日本人とアメリカ人のハーフだそうで、厳密に言うと、ジョニー吉長さんは「クォーター」です。

ジョニー吉長さんを「ハーフ」と紹介している記事もありますが、ジョニー吉長さんの場合は、お父さんが、全てアメリカ人系(ドイツ系アメリカ人)、お母さんが半分日本人・半分アメリカ人という血筋になるため、このような場合は、日本では一般的に「クォーター」と呼ばれることが多いです。(日本人の血が4分の1(25%)入っているため)

ただ、片方の親が日本人、もう片方の親が外国にルーツを持つ場合は、その子供を、クォーターも含めてハーフと呼ぶこともあるとのことで(ミックスという呼び方もあるそうですが)、その意味ではハーフということになります。

ジョニー吉長は13歳の時に母子家庭にもかかわらず母親も蒸発し養護施設に預けられていた

ジョニー吉長さんは、日本に来ていた米兵のお父さんと日本人とアメリカ人のハーフのお母さんのもと、3ヶ月早産の未熟児で、非摘出子(婚外子)として誕生したそうで、母子家庭で育ったそうですが、

(お父さんは朝鮮戦争で戦死したという話も)

ジョニー吉長さんが13歳の時には、お母さんまで家を出て行き、行方が分からなくなってしまったそうで、ジョニー吉長さんは養護施設に預けられたといいます。

(そのため、ジョニー吉長さんは、物心ついた時から自身のアイデンティティについて悩み続けていたそうですが、悩み抜いた結果、自分は日本人なんだという思いをとても強くしたそうです)

ジョニー吉長は出生届を出されておらず無戸籍だった

また、ジョニー吉長さんは、お母さんが出生届を提出していなかったことから、無戸籍だったそうで、中学までは義務教育だったため学校に行くことができたそうですが、高校や専門学校などには行くことができなかったそうです。

そのため、後に、交際相手の飯野矢住代さんとの間に子供が誕生した際には、その赤ちゃんは、飯野矢住代さんの戸籍に入ったといいます。

(ただ、この赤ちゃんは生後24時間以内に亡くなったそうです)

そして、その後、ジョニー吉長さんは、金子マリさんと結婚しているのですが、その際には、金子マリさんの戸籍に入り、「金子」姓を名乗ったそうです。

(ただ、その後、離婚すると、吉長姓に戻ったそうです)

ジョニー吉長は16歳の時にブルースロックバンド「チェックメイツ」にボーカルとして参加していた

さておき、そんなジョニー吉長さんは、15歳の時には、養護施設を飛び出し、日雇い、バーテン、美容師修業などの職を転々としたそうで、

1965年、16歳の時、神戸に流れ着くと、ブルースバンドの付き人となり、このことがきっかけで、全員がハーフで構成されたブルースロックバンド「チェックメイツ」に、「ジョニー・レイズリー」名義でボーカルとして参加したそうです。

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ジョニー吉長は19歳の時に「チェックメイツ」として上京するも間もなく脱退して関西に戻っていた

そして、1968年、19歳の時には、上京し、「チェックメイツ」として関東で活動を開始したそうですが、

(理由は不明ですが)ジョニー吉長さんは、同年12月、浅草国際劇場でのライブをもって、「チェックメイツ」を脱退し、その後、関西に戻ったそうです。

(東京で「チェックメイツ」として活動中、後にバンドで一緒に活動することになる、ジョー山中さんと知り合ったそうです)

ちなみに、ジョニー吉長さんは、浅草国際劇場でのライブをもって「チェックメイツ」は解散したと語っているのですが、実際には、ジョニー吉長さんが脱退後も、「チェックメイツ」はメンバーチェンジをしながら活動を続けていたそうで、その後、自然消滅したといいます。

「【画像】ジョニー吉長の若い頃は?Charらとバンドほか映画やドラマにも出演!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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