「金子マリ&バックス・バニー」「ジョニー、ルイス&チャー」(後に「ピンク・クラウド」)などでの切れ味鋭いドラミングでたちまち注目を集めた、ジョニー吉長(じょにー よしなが)さんですが、
50代~60代の時には、映画やテレビドラマにも出演し、俳優としても、”ダンディなイケメン”として幅広い年齢層の女性を中心に人気を博しました。
今回は、そんなジョニー吉長さんの、若い頃から他界されるまでのアルバムや出演作品ほか経歴を時系列でご紹介します。

「ジョニー吉長の生い立ちは?母子家庭で母親が蒸発し養護施設に預けられていた!」からの続き
ジョニー吉長は19歳の時にボーカルとして「カニバルス」に加入するもドラムに転向していた
1968年、19歳の時、ブルースロックバンド「チェックメイツ」として上京し、関東で活動するも、間もなく脱退して関西に戻ったというジョニー吉長さんですが、
すぐに(同年)、上京中に知り合っていたジョー山中さんに誘われて、再び上京し、ジョー山中さんが在籍していたバンド「カニバルス」にボーカルとして加入すると、
その後、ドラマーとケンカし、このドラマーが脱退したことで、やむなくドラムに転向したそうです。
ちなみに、ジョニー吉長さんは、最初から難なくドラムをプレイできたそうで、ドラマーのバーナード・パーディさんを手本にしてドラマーとしての研鑽を積んだそうですが、
後に、そのバーナード・パーディさんは、ジョニー吉長さんのことを、「最高のグルーヴ・ドラマー」と絶賛しています。
ジョニー吉長は23歳の時にバンド「イエロー」を結成していた
さておき、1972年には「カニバルス」が解散し、ジョニー吉長さんは、同年、バンド「イエロー」を結成しているのですが、当時、本場のR&Bバンドしか出演できなかった赤坂の「MUGEN」というクラブに、日本人のバンドとして唯一出演していたそうで、
2バンド制で、対バンにはアメリカから来日していたバンドが起用され、1日4ステージをこなしたそうです。
しかも、「MUGEN」でのライブ前には、新宿「ACB」で演奏し、「MUGEN」での仕事が終わった後には、六本木の「馬車倶楽部」で演奏と、1日12ステージもこなしていたのだそうです。
ちなみに、後に、バンド「ピンク・クラウド」で共に活動することになるChar(チャー)さんは、この頃のジョニー吉長さんについて、
(赤坂のMUGENで)フロアにいる大勢の黒人に対して「なんとしても踊らせてやる!」と勝負している姿に衝撃を受けた。俺以外の客は全員外国人。ある意味、「海外で勝負している日本のバンド」のようだったね。
と、語っています。
ジョニー吉長は24~25歳の時に左とん平の「ヘイ・ユウ・ブルース」や泉谷しげるの「黄金狂時代」のレコーディングに参加していた
また、ジョニー吉長さんは、1973年には、左とん平さんの「ヘイ・ユウ・ブルース」のレコーディングに参加するほか、
(「ヘイ・ユウ・ブルース」は、ジョニー吉長さんにとって人生初のレコーディングだったそうです)
1974年には、「イエロー」として、泉谷しげるさんのアルバム「黄金狂時代」のレコーディングにも参加したそうです。
(泉谷しげるさんのライブで、バックバンドとしても活動していたそうです)
ジョニー吉長は25歳の時に「イエロー」としてアルバム「yellow」「Vibration」をリリースしていた
そんなジョニー吉長さんは、「イエロー」として、1975年4月には「yellow」、同年12月には「Vibration」(LIVE盤で1975年8月の日比谷野音収録)と、2枚のアルバムをリリースしているのですが、
1976年には「イエロー」を解散すると、その後、渡米し、2年間に渡ってロサンゼルスで武者修行を行ったそうです。
(1975年には、赤坂の「MUGEN」での演奏を見て以来、ジョニー吉長さんとバンドを組みたいと思っていたというCharさんに、バンド結成を持ちかけられたことがあったそうですが、この時は、「LAに行くから」と断ったそうです)
ジョニー吉長は28歳の時にバンド「バックス・バニー」で活動していた
そして、1977年に帰国したジョニー吉長さんは、同年春頃、バンド「金子マリ&バックス・バニー」に加入して活動しているのですが、
メンバーの難波弘之さんは、
LAから帰国したジョニーが僕らのバックス・バニーに入ったのは77年の春ごろだったでしょうか。ジョニーがいたときはいろいろなライブをやりました。
三枝成彰先生から現代音楽の仕事も頼まれ、ジョニーが拒否したこともあった(笑)。現代音楽はなかなか人が入らないから、話題性を高めるためにロックバンドを起用した面もありましたね。
と、語っています。
ジョニー吉長は28歳の時に1stソロアルバム「ジョニー」をリリースしていた
また、ジョニー吉長さんは、「金子マリ&バックス・バニー」に在籍中、当時のドラマーとしては異例のファーストソロアルバム「ジョニー」をリリースしているのですが、
このアルバムには、山岸潤史さん、Charさん、鳴瀬喜博さん、金子マリさんといった豪華アーティストが参加しています。
ジョニー吉長は29歳の時にCharに誘われ「ジョニー、ルイス&チャー」を結成していた
さらに、ジョニー吉長さんは、「金子マリ&バックス・バニー」在籍中の1978年、Char(竹中尚人)さんに誘われ、ルイズルイス加部(加部正義)さんと3名で、バンド「ジョニー、ルイス&チャー(JOHNNY,LOUIS&CHAR)」(後に「ピンク・クラウド(PINK CLOUD)」に改名)を結成すると、
1978年11月3日に開催された「芸術祭奨励コンサート」でデビューを果たしています。
ちなみに、この直後、Charさんが覚醒剤取締法違反という嫌疑をかけられてしまい(不起訴)、早々に活動停止に追い込まれたのですが、
その後、嫌疑が晴れ、1979年5月頃から活動を再開すると、同年7月14日、日比谷野外音楽堂で無料のライヴ「Free Spirit」を開催し、完全復活を果たしています。
(無料ライブということもあり、雨天にもかかわらず全国からファンが殺到し、1万4000人という現在も破られていない日比谷野外音楽堂の動員記録を樹立したそうです)
そして、この時のライブ音源を収録したファーストアルバム「FREE SPIRIT」をリリースすると、ブルースをベースにした緊張感のあるアンサンブルで人気を博し、
その後も、
- 1980年5月「Trycycle」
- 1981年「OiRA」
と、アルバムをリリースしています。
ジョニー吉長は32歳~45歳の時に「ピンク・クラウド」として活動していた
また、「ジョニー、ルイス&チャー(JOHNNY,LOUIS&CHAR)」は、1982年には、「ピンク・クラウド(PINK CLOUD)」と改名すると、
以降、
- 1982年5月「KUTKLOUD」
- 1982年9月「CLOUD LAND -桃源郷-」
- 1983年「PINK CLOUD」
- 1984年11月「PLANT BLEND」
- 1985年7月「aLIVE」※日比谷野外音楽堂での無観客ライブ音源
- 1990年4月「INDEX」
- 1991年「BRAIN MASSAGE」※東京代々木第一体育館でのライブ音源
- 1994年8月「the period」
- 1994年12月「BOOTLEG」※未発表ライブ音源集で解散後にリリースされました
と、精力的にアルバムをリリースしていたのですが・・・
1994年9月16日、日本武道館公演をもって解散しています。
(ただ、2007年頃には再結成して活動を再開しています)

「ピンク・クラウド(PINK CLOUD)」(左から)ジョニー吉長さん、Charさん、ルイズルイス加部さん。
ジョニー吉長は51歳~62歳の時には「二千年の恋」「ラストシーン」などテレビドラマや映画にも出演していた
ちなみに、ジョニー吉長さんは、「ピンク・クラウド(PINK CLOUD)」で活動中にも、並行してソロ活動も行っており、解散後も、ソロ活動を継続していたのですが、
その一方で、2000年代からは、
俳優として、
- 2000年には、テレビドラマ「二千年の恋」※金城武さんの父親 役
- 2002年には、映画「ラストシーン」※銀幕時代のスター俳優 役
- 2010年には、映画「瞬 またたき」※入院中のミュージシャン 役
- 2011年には、NHKドラマ「ビターシュガー」※土方 役
などに出演するほか、
2002年8月には、大分のメガライブの総合プロデュース、2010年には、Yohji Yamamotoのファッションショーにモデルとして参加するなど多岐にわたって活動しており、
特に、俳優としては、その演技力の高さや圧倒的な存在感が絶賛されるほか、”ダンディなイケメン”として幅広い年齢層の女性を中心に人気を博しました。

ジョニー吉長の死因は?
しかし、そんなジョニー吉長さんも、2012年6月4日4時54分、東京都内の病院で、重症肺炎により、63歳で他界されています。
ジョニー吉長のソロアルバム
それでは、最後に、ジョニー吉長さんのソロアルバムをご紹介しましょう。
- 1977年「ジョニー」
- 1978年「ジョニー・セカンド」
- 1979年「ジョニー・オン・マイ・マインド」
- 1979年「スカイ・ジュース」※「ジョニー吉長&ジョギング・スタッフ」名義
- 1983年「Love Child」
- 1987年「Freedom」
- 1990年「J」
- 1992年「天」※本牧アポロ・シアターでのライヴ音源
- 1994年「JRSM(ジュラズム)」
- 2005年「Back on move」
- 2005年「Vintage」※ベストアルバム
をリリースしているのですが、
どのアルバムも、ドラミングの魅力だけでなくボーカルや作曲センスも光る内容となっています。
「ジョニー吉長の元カノ・飯野矢住代との馴れ初めは?同棲生活はヒモ同然だった?」に続く
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鋭さと繊細さを併せ持つドラミングに加え、ドラムを叩きながら歌うスタイルで、日本のロック史上唯一無二のミュージシャンと称されている、ジョニー吉長(じょにー よしなが)さん。 そんなジョニー吉長さんは、20歳の時には、196 …





























