タレント募集に応募して合格するも、ピンク映画の端役ばかりで嫌気がさし、今度は、浅草ストリップ劇場「浅草ロック座」に入って、深見千三郎さんに師事し、幕間芸人として修業を始めたという、ビートきよしさんは、
この浅草ストリップ劇場「浅草ロック座」で、将来、漫才コンビ「ツービート」で相方となるビートたけしさんと出会っていたといいます。
今回は、ビートきよしさんの若い頃(下積時代)、そして、ビートたけしさんとの出会いをご紹介します。

「ビートきよしの生い立ちは?高校中退で働きタレント募集に応募していた!」からの続き
ビートきよしは18歳の時に上京すると知らないうちにピンク(ポルノ)映画に出演させられていた
上京して「東京宝映」の二次審査(面接)を受けると、見事、合格し、晴れて「東京宝映」の養成所に入所したビートきよしさんは、すぐに、映画の仕事があるからすぐに行けと言われ、喜んで現場に向かったそうですが、
(この時、映画のタイトル、役名など何も聞かなかったそうです)
現場に到着し、対応してくれたスタッフに役どころを聞くと、「お客さんの役」と言われ、
ちょっと支度してくれ
と、言われたそうで、
支度と言われても、ビートきよしさんは、何も聞いて来なかったことから、
どうしたらいいんですか?
と、尋ねると、
着てるものを脱いでパンツ1丁になってくれ
と、言われたそうで、
ビートきよしさんは、一瞬「え?」となり、戸惑うも、言われるがままに、パンツ一丁になってそのスタッフの後をついていくと、8畳ぐらいの部屋まで案内されたのだそうです。
すると、その部屋の真ん中には、ダブルベッドがバーンと置いてあり、ベッドの周りには、監督、照明、音響のスタッフなど、20~30人いたそうですが、なんと、そのベッドの上には、裸の女性が寝ていたのだそうです。
つまり、ビートきよしさんは、風俗のお客さんの役だったのですが、まだ、18歳で、しかも、田舎出身のビートきよしさんは、女性と一緒に歩いたことも手を繋いだこともなかったことから、本当に震えてしまったそうで、
その後、「本番」と言われても、震えが止まらなかったそうです。
ただ、その相手役の女性が、
そんな震えなくて大丈夫よ、可愛がってあげるから
というセリフを言うと、それで、一発OKとなったそうで、
ビートきよしさんは、驚いて、
演技も何もしないでいいのかな
と、思ったそうですが、
だからこそ、良かったようで、以降、ピンク映画の仕事のオファーが次々と舞い込んで来たのだそうです(笑)
ビートきよしは18~19歳頃に浅草ストリップ劇場「浅草ロック座」に入って深見千三郎に弟子入りし幕間芸人として修業し始めていた
そんなビートきよしさんは、仕事はピンク映画の端役ばかりだったことから、まだ10代だったこともあり、裸になるのが嫌で、嫌々仕事をしていたといいます。
そんな中、「東京宝映」の養成所から浅草のストリップ劇場「浅草ロック座」に行った先輩から、
なんかあったら遊びに来いよ
と言われ、遊びに行くと、
お前、ここ入りたかったら入れてあげるよ
と、言われたそうで、
ビートきよしさんは、裸が嫌で、違うことをしたいと考えていたのに、ここでもまた裸、ということで、ためらったそうですが、
先輩には、
お前、ここから売れた人もいっぱいいるんだよ(長門勇さん、佐山俊二さん、渥美清さん、東八郎さんなど)
と、言われたそうで、
ビートきよしさんは、浅草に行けば、渥美清さんのようなスターになれると思い込み、ストリップ劇場「浅草ロック座」に入座して、深見千三郎さんに弟子入りし、幕間芸人として修業を開始したのだそうです。
ちなみに、深見千三郎さんは近寄れないぐらい怖かったそうで、
ビートきよしさんは、
僕らの時は教えてくれないんですよ。舞台出るじゃないですか、剣劇の芝居やって。舞台出ると舞台で怒るんですよ。本番中に「てめえ、バカ野郎、何やってんだこの野郎」で、「どうした?」って来るんですよ。
そんなん怒られて「どうした?」って言われたって、次セリフ出ていかないじゃないですか。そんなんだった。だから、すごい怖いっていうイメージがあって
と、語っています。
ビートきよしは22歳の時に浅草ストリップ劇場「フランス座」にエレベーター係として入ってきたビートたけしと出会っていた
ただ、1972年の初めには(ビートきよしさん22歳)、「浅草ロック座」を所有していた「東洋興業」の経営が傾き、「浅草ロック座」は人手に渡ってしまったそうで、
これをきっかけに、ビートきよしさんは、深見千三郎さんと共に「フランス座」に移籍し、「フランス座」で深見千三郎さんとコンビを組んでコントをやっていたそうですが、
この年の夏、ビートたけしさんが、エレベーター係として「フランス座」に入って来たそうで、
(一般的には、ストリップ劇場のエレベーター係は、年配の男性や女性がやるものだったそうで、まだ20歳そこそこのビートたけしさんがエレベーター係として入って来たことに、ビートきよしさんは、「変わっているヤツが来たもんだな」と思っていたそうです)
やがて、ビートたけしさんも、深見千三郎さんに誘われる形でコントをするようになり、ビートきよしさん、深見千三郎さん、ビートたけしさんの3人でステージに出るようになると、
そのうち、深見千三郎さんが、
お前ら2人でやれ。俺は出ないから、ちょっとやってみろ
と、言ったことから、
ビートきよしさんがツッコミ、ビートたけしさんがボケをやってみたところ、
深見千三郎さんに、
おう、俺はもう明日から出ないから、お前ら2人でやれ!
と、命じられたそうで、
こうして、ビートきよしさんは、ビートたけしさんとコンビを組み、「フランス座」でコントをすることになったのだそうです。
ちなみに、深見千三郎さんは、太平洋戦争中、戦争に行きたくなかったことから、旋盤で指を1本だけ落とそうとするも、誤って4本切り落としてしまっていたそうで、ステージに上がるときには指に包帯を巻いていたそうですが、
ビートたけしさんは、そんな深見千三郎さんの指を、
師匠、おはようございます。指が頭の中入っちゃった
と、ネタにするなど、怖いもの知らずだったそうで、
ビートきよしさんをはじめ、座員の多くが深見千三郎さんを、怖くて近づきがたい存在として見ている中、たけしさんだけが物怖じせず、深見千三郎さんをネタにするほか、「深見のおとっつぁん」とまで呼んでいたそうで、
深見千三郎さんも、
ふざけんなこの野郎
と、言いながらも、それほど嫌がっておらず、ビートたけしさんは、すっかり気に入られていたといいます。
ビートきよしは23歳頃にコントから漫才に転向するべく「フランス座」を辞めていた
ただ、やがて、ビートきよしさんは、「フランス座」でずっとコントをやっていても世には出られない、と思い悩むようになったといいます。
そして、そんな中、浅草の松竹演芸場に観に行くと、舞台には、当時、テレビで大人気だった漫才コンビ「Wけんじ」が出演していたそうで、
テレビで売れるならコレ(漫才)だ
と思い、「フランス座」を辞めて、コントから漫才に転向しようと決めたのだそうです。
(漫才は、コントと違って、スーツが1着あればいいところも大きな魅力だったそうです)
ビートきよしは23歳頃にレオナルド熊の元弟子と漫才コンビを組もうとするもレオナルド熊が怒り狂い断念していた
こうして、ビートきよしさんは、漫才をやるための相方を探し始めると、レオナルド熊さんの元弟子とコンビを組もうとしたそうですが、
その元弟子は、円満な独立ではなく、レオナルド熊さんの元を飛び出してきていたことから、ビートきよしさんは、コンビを組むことを許してもらおうと、その相方と2人でレオナルド熊さんを訪ねて行ったそうですが、レオナルド熊さんは怒り狂い、いくら謝っても許してくれなかったそうで、
結局、ビートきよしさんは、別の相方を探すことにしたそうです。
(ビートきよしさんは、2014年、ラジオ番組「たまむすび」に出演した際、この時のレオナルド熊さんの怒り方が尋常じゃなかったのは、レオナルド熊さんがヒロポン(覚醒剤)中毒だったからだと語っています)
「【画像】ビートきよしの若い頃はビートたけしと「ツービート」でブレイク!」に続く
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