テレビで売れるなら漫才だと思い、浅草ストリップ劇場「フランス座」を辞めて、漫才の相方を探している中、最終的には、「フランス座」時代にコントの相方だったビートたけしさんを思い出し、3ヶ月かけて口説き落としたという、ビートきよしさんですが、当初、ビートたけしさんとの漫才コンビは全く売れなかったといいます。
今回は、「松鶴家二郎・次郎」時代、「空たかし・きよし」時代、そして「ツービート」時代と、ビートたけしさんとの漫才コンビの推移を時系列でご紹介します。

「ビートきよしの若い頃(下積時代)はピンク映画も!ビートたけしとの出会いは?」からの続き
ビートきよしは22~23歳の時にビートたけしとコンビを組もうと3ヶ月かけて口説いていた
浅草の松竹演芸場で「Wけんじ」の漫才を見て、テレビで売れるなら漫才だと思い、浅草ストリップ劇場「フランス座」を辞め、レオナルド熊さんの元弟子と漫才コンビを組もうとするも、レオナルド熊さんが許してくれずに断念したというビートきよしさんは、再び、相方探しを始めたそうですが、
そんな中(ビートきよしさん22~23歳の時)、ふと、「フランス座」時代、一緒にコントをしていたビートたけしさんが頭に浮かんだそうで、
漫才やろう
と、誘ったそうですが、
ビートたけしさんは、この頃、本気でお笑いをやろうとは思っていなかったようで、漫才をすることを渋ったといいます。
それでも、ビートたけしさんの面白さを見込んでいたビートきよしさんは、
こんなところにいたって、しょうがない。2人で漫才をやろう
などと言って、3ヶ月ぐらいかけて何度も何度も口説いたそうで、
ついに、ビートたけしさんも、コンビを組むことを了承してくれたそうです。
(ただ、師匠である深見千三郎さんは、コントから漫才に転向することを認めなかったそうで、ビートたけしさんは、即、破門されてしまったそうです)
ビートきよしは24歳頃に「松鶴家二郎・次郎」として活動するも全くウケなかった
そして、1974年(ビートきよしさん24歳)には、漫談家の松鶴家千とせ(しょかくや ちとせ)師匠から「松鶴家二郎・次郎」と名付けられ、ビートきよしさんがネタを作って正統派の掛け合い漫才を始めたそうですが・・・
(ビートきよしさんは「松鶴家二郎」、ビートたけしさんは「松鶴家次郎」)
全くウケなかったそうです。
ビートきよしは24歳の時に「空たかし・きよし」に改名していた
そんなビートきよしさんは、同年(1974年)、生活のため、元「コロムビア・トップ・ライト」のライトさんの付き人もしたそうですが、
その縁で、ライトさんより、「空たかし・きよし」と名付けられたそうで、「空たかし・きよし」として、浅草松竹演芸場に出演したり、地方営業に出るようになったそうです。
(「コロムビア・トップ・ライト」一門は、皆「青空」の家号を名乗っていたそうですが、ビートきよしさんは、「コロムビア・トップ・ライト」の片割れであるライトさんに師事していたことから(ライトさんは、元・相方のトップさんとは絶縁状態にあったそうです)、「青」が抜けて「空」となり、「空は高く清い」から「空たかし(ビートたけしさん)・空きよし(ビートきよしさん)となったのだそうです)
ビートきよしは24歳の時にビートたけしのめちゃくちゃぶりに手を焼くも才能を信じて怒らなかった
ただ、地方キャバレーでは、ビートたけしさんが、酔客相手の仕事を嫌い、仕事をすっぽかしたり、酒をあおって舞台に立つことも多かったうえ、
漫才が始まっても誰も聞いていないと、
おい、こら、お前、このブス、漫才見ろ
と言って、お客さんやホステスにケンカを吹っかけるなど、めちゃくちゃなことばかりをやっていたそうで、
当然のことながら、クレームの嵐だったそうで、そのたびに、ビートきよしさんが謝らなければならなかったそうです。
(ビートたけしさんは、打ち合わせもなく、突然、やりだしたそうで、ビートきよしさんは、とても手に負えなかったそうです)
それでも、ビートきよしさんは、ガキ大将がそのまま大人になったような、味のある個性を持っていたビートたけしさんの才能を信じ、決して怒ったりしなかったそうです。
ビートきよしは24歳の時にビートたけしのめちゃくちゃぶりに嫌気が差しコンビ解散を申し出たことがあった
しかし、このようなめちゃくちゃなことがずっと続き、ついに、ビートきよしさんは、解散を申し出たことがあったといいます。
すると、しばらくして、ビートたけしさんから電話があり、
もう1回やろうよ
と、言われたそうで、
ビートきよしさんが、
俺、ちゃんとやんないとやらないよ
と、言うと、
ビートたけしさんは、
ちゃんとやるから
と、言ったそうで、
もう一度、コンビを組むことになったそうです。
とはいえ、相変わらず、売れない日々が続き、お客さんが1人の時もあったそうで、
そのお客さんがトイレに行くと、帰ってくるまで舞台で待っていたリ、お客さんが寝ていたら、起こしてから漫才を始めたこともあったのだそうです。
ビートきよしは24歳の時にビートたけしの意向でコンビ名を「ツービート」に改名していた
そんな中、ある時、ビートたけしさんが、
こんな古臭い名前では売れるわけがない、もっとモダン(現代的)な名前にしたい
と、言い出したそうで、
ビートたけしさんの意向により、コンビ名を「空たかし・きよし」から「ツービート」に改名し、それぞれ、「ビートたけし」「ビートきよし」と改名したそうです。

「ツービート」。ビートたけしさん(左)とビートきよしさん(右)。
コンビ名「ツービート」の由来は?
ちなみに、「ツービート」の由来について、Wikiなどネット上では、松鶴家千とせさんが「ツービート」と命名したとの記述がありますが、これは誤りで、
ビートきよしさんによると、もともと、ビートたけしさんが、明治大学時代、ジャズ喫茶「ヴィレッジ・ヴァンガード」や「サンダーバード」などに出入りするほどジャズが好きで、
ジャズ用語である「フォービート」「エイトビート」から着想を得て、(コンビということで)「ツービート」と命名したのだそうです。
ビートきよしは24~25歳頃に「ツービート」として「超高速スタイル」の漫才でツッコミを担当するようになっていた
こうして、ビートきよしさんは、心新たに「ツービート」として活動したそうですが・・・
やはり、相変わらず、パッとしない日々が続いたといいます。
そんな中、大阪で勢いのあった「B&B」の島田洋七さんの漫才を見ると、
余計な”間”を徹底的に削ぎ落とし、圧倒的な手数で客を圧倒する「16ビート」とも呼ばれる超高速テンポに、ビートきよしさんとビートたけしさんは強い衝撃を受けたそうで、
このスタイルに活路を見出した相方のビートたけしさんが、自分たちの漫才を根本から見直し、ビートたけしさんがマシンガントークでボケ倒し、ビートきよしさんがその隙間に鋭くツッコむという「超高速スタイル」を作り上げ、
あえて、「ジジイ・ババア」「ブス」といった放送禁止用語に近い過激な言葉や下ネタを臆することなく投入し、座布団に座って漫才をするなど、従来の芸の形式(型)を次々と壊していったのだそうです。
(それまでの漫才は「お互いの呼吸」を大切にする伝統芸能的な側面があったのですが、「ツービート」が取り入れたのは、「客に考える暇を与えないほどのスピード」と「毒舌」という現代的なエンターテインメントで、これが後に訪れる「漫才ブーム」の大きな原動力となったのでした)
ビートきよしは25歳の時に「ツービート」として「花王名人劇場」で八代目・橘家円蔵の共演相手に抜擢されていた
そんな「ツービート」は、1975年、「ライバル大爆笑!」で待望のテレビ初出演を果たすと、以降、順調に人気を博し、
1979年11月には、人気番組「花王名人劇場」で、当時、「ヨイショっと」のギャグで一世を風靡し、「落語界の異端児」として知られていた、八代目・橘家円蔵(当時は月の家円鏡)師匠の共演相手に抜擢されると、
古典派から”邪道”とみなされていた橘家円蔵師匠と、型破りな漫才を武器にする「ツービート」という、この邪道同士の競演が大きな話題を呼び、「ツービート」の存在をお茶の間に知らしめることとなったのでした。
ビートきよしは30歳の時に「ツービート」として漫才ブームを巻き起こしていた
そして、1980年(ビートきよしさん30歳)には、漫才番組「THE MANZAI」に出演すると、「B&B」や「紳助・竜介」「ザ・ぼんち」といった面々と共に、日本中を巻き込む「漫才ブーム」の主役へと躍り出て、たちまち、大ブレイクを果たしたのでした。

「ツービート」。ビートたけしさん(左)とビートきよしさん(右)。
(漫才ブームが始まった当初のギャラは月額30万円ほどだったそうですが、半年後には、月額1600万円にもなっていたそうです)
ちなみに、他の漫才コンビが、アイドル的な人気を誇っていた中、すでに30代だったビートきよしさんとビートたけしさんの毒舌を交えた超高速のマシンガントークは、女性や高齢者には敬遠されるも、新しい刺激を求める大学生や若手サラリーマンから圧倒的な支持を集めたそうで、
ビートきよしさんは、後に、
ウチの相方だからこそ、ひとつの時代をつくれたんだよね。普通だったら既成概念でやったらマズイって判断して止めるでしょ。
相方は違うんだなあ。やっちゃって反応をみる。これがスゴイの。やってみなければウケるかどうかわからないもんね。この違いで相方が天下が掴めたんじゃないかな
と、語っています。
「ビートきよしは漫才ブーム終焉以降は多数の店を経営していた!現在は?」に続く
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1990年代に入って漫才ブームが下火になると、飛ぶ鳥を落とす勢いだった「ツービート」もコンビとしての仕事が減少したことから、俳優業に活路を見出していた、ビートきよしさんですが、 60代になると、もう1つ、収入源を確保した …







