1982年、4歳の時、キッコーマンのCM「ガンバレ!玄さん」での愛くるしい姿でたちまちお茶の間の人気を博すと、
その後は、テレビドラマ「スクール☆ウォーズ」、バラエティ番組「所さんのただものではない!」など、テレビドラマ、CM、バラエティと幅広く活動し、国民的人気子役となった、間下このみ(ました このみ)さん。
今回は、そんな間下このみさんの、若い頃(子役時代以降)から現在までの経歴について時系列でご紹介します。
また、最後には、出演作品(映画、テレビドラマ、CM)の一覧もご紹介します。

「間下このみの子役時代(幼少期)は?中学入学以降は芸能活動を控えていた!」からの続き
間下このみは高校生の時、コンビニエンスストアやファミリーレストランでアルバイトをしていた
子役として大ブレイクしていた間下このみさんですが、私立中学への入学をきっかけに、芸能活動を控えるようになると、高校生の時には、コンビニエンスストアやファミリーレストランでアルバイトもしたそうで、
しばしば、
なんでこんなところにいるの?
と、驚かれたそうです。
(間下このみさんは本名)
間下このみは高校卒業後、写真を学ぶため東京の専門学校を経てアメリカ留学していた
また、間下このみさんは、高校2年生の時、高校卒業後の進路を考え始め、お芝居以外に自分を表現する道を模索し始めたそうで、
そんな中、お父さんの趣味だったカメラに興味を持つと、高校卒業後は、本格的に写真を学ぶため、地元・東京の専門学校に2年通い、その後、1999年、21歳の時には、単身、アメリカの大学に留学したそうで、
間下このみさんは、
流行りやかっこよさを意識した写真を撮っていた東京の学校と違い、アメリカの大学では、山ばかり撮る人、電車ばかり撮る人など、撮りたい物も撮り方も人それぞれ。
でもみんな『自分は電車のことはわからないけど、すごくいい写真だね』って認め合うんですよね。かっこいいとか、かっこよくないとかではなく、いろんな写真があっていいというのは、アメリカの友達や環境に教えてもらいました
と、語っています。
また、間下このみさんは、アメリカ留学で、初めて親元を離れたそうですが、
渡米したことで、
ようやく誰も自分の名前を知らない世界を経験できたんですよ
とも、語っています。
間下このみは27歳の時に写真集「届かなかったラヴレター―あの空の向こう SPECIAL EDITION」で写真家デビュー
そして、アメリカ留学で写真の技術を習得すると、帰国後は、写真家として活動を開始し、
2005年、27歳の時には、「届かなかったラヴレター―あの空の向こう SPECIAL EDITION」で写真家デビューを果たすと、この「届かなかったラヴレター―あの空の向こう SPECIAL EDITION」はビジュアルブックとしては異例の大ヒットとなっています。
間下このみは28歳の時に第一子を妊娠するも死産していた
ちなみに、間下このみさんは、2004年に結婚すると、2006年には、待望の第一子を妊娠していたといいます。
ただ、妊娠6ヶ月を迎えようとしていた頃、お腹の中で赤ちゃんが亡くなっていること(死産)が判明したそうで、
間下このみさんは、この出来事に大きなショックを受け、それから1ヶ月間、家に閉じこもり、泣いて過ごしたといいます。
間下このみは28歳の時に娘(第二子)を出産していた
その後、間下このみさんは、周囲の温かい支えによって、心身ともに徐々に回復し、
新たな命を授かりたい
と、再び前を向けるようになったそうで、
同年(2006年)8月には、2度目の妊娠をすることができたそうです。
ただ、その際の詳しい検査で、間下このみさん自身が、「抗リン脂質抗体症候群」という国指定の難病(自己免疫疾患)に罹患していることが判明。
それでも、今度は、血栓予防の治療の末、2007年3月、無事に長女を出産したそうです。
(「抗リン脂質抗体症候群」は、全身の血液が固まりやすくなる病気で、妊娠中は胎盤に血栓ができて胎児に血液が行き届かなくなり、流産や死産を引き起こす「不育症」の主な原因の一つだそうです)
間下このみは29歳の時に闘病記「ママになりたい… 〜ハイリスク出産を越えて〜/たまご日記〜ちいさな命の記録〜」を出版
その後、間下このみさんは、2007年11月16日には、自身の妊娠、闘病、出産までの軌跡を綴った書籍「ママになりたい… 〜ハイリスク出産を越えて〜/たまご日記〜ちいさな命の記録〜」を当時の夫との共著で出版しています。
さらに、2013年2月22日には、その後の生活などを新たに加筆した「新版 ママになりたい… 〜ハイリスク出産を越えて/たまご日記〜ちいさな命の記録」を出版すると、
同年2月には、この著書を原作としたテレビドラマ「ママになりたい・・・」がNHKで放送されています。
間下このみの現在は?
そんな間下このみさんは、出産後しばらくの間は、娘さんとの時間を最優先にしていたそうですが、
徐々にタレントとしての活動を再開すると、2022年には、自身が10歳の頃に出演していた特撮番組「機動刑事ジバン」が現地で大人気となっているエクアドルへ赴き、現地のイベントにゲストとして招待されるなど、健在ぶりを示しています。

「機動刑事ジバン」より。
また、間下このみさんは、タレント活動にとどまらず、写真作家としての創作活動、難病を乗り越えた出産・育児の経験や元人気子役・写真作家としてのキャリアをテーマにした全国での講演活動もするなど、多方面で精力的に活動しており、
芸能の仕事は、いいときもあれば悪いときもあってうまくいかないこともたくさん。多感な時期は親に対して〝なんでこんな仕事を私にさせたの?〟と思ったこともありますし、間下このみという名前に正直苦しめられたこともありました。
でも今は、名前を憶えてくれているだけでありがたいし、遠いエクアドルの地で、『まゆみ! まゆみ!』(「機動刑事ジバン」の役名)とまるでアイドルのように、大勢の方に役名で呼んでもらえるのも、私の人生の宝物。これからも少しずつ、そんな宝物を増やしていけたらなと思っています。
と、語っています。
間下このみの出演作品(映画)
それでは、最後に、間下このみさんの出演作品をご紹介しましょう。
映画では、
- 1987年「瀬戸内少年野球団・青春篇 最後の楽園」
- 1985年「パンツの穴 花柄畑でインプット」
- 1986年「恋子の毎日」
- 1989年「機動刑事ジバン 大爆発!!恐怖の怪物工場」
間下このみの出演作品(テレビドラマ)
テレビドラマでは、
- 1984年「炎のオムレツ」
- 1984~1985年「スクール☆ウォーズ」
- 1984年「ビートたけしのこにくらじいさん」
- 1985年「現代夫婦事情 女房よわれに帰れ!」
- 1985年「裸の大将放浪記」第15話

「裸の大将放浪記」より。 - 1985年「旅路・パパずっと一緒にいたい」
- 1985年「シャボン玉ママといたずら天使たち」
- 1985年「ニッポン親不孝物語」
- 1985年「ぼくたちアダルトKIDS」
- 1986年「ママをたずねて三千里」※主演
- 1986年「あしながおじさん」
- 1986年「小公女セーコ」※主演

「小公女セーコ」より。間下このみさんと三浦洋一さん。 - 1986年「恐怖のドライブ」
- 1986年「ザ・ハングマンV」
- 1986年「付き添い婦物語」
- 1986年「サンタにあいたい!間下このみオーロラの国 大冒険!!」※主演
- 1987年「キョンシーズ 霊幻道士 今よみがえる魔界伝説!」※主演
- 1987年「付き添い婦物語」
- 1987年「パパこげてるョ!」
- 1987年「キスより簡単」
- 1988年「OH!キッチン家族」
- 1988年「脳死をこえて」
- 1989年「夢通りエプロン亭」

「夢通りエプロン亭」より。 - 1989~1990年「機動刑事ジバン」

「機動刑事ジバン」より。 - 1993~1999年年「刑事・鬼貫八郎」
- 2013年「ママになりたい…」
間下このみの出演作品(CM)
CMでは、
- 1982年 不二家「ネクター」※江川卓と共演
- 1983年 キッコーマン「がんばれ!玄さん」
- 1986年 任天堂「ディスクシステム ゼルダの伝説」※所ジョージと共演
- 1986年 任天堂「スーパーマリオブラザーズ2」※所ジョージと共演
- 1987年 任天堂「リンクの冒険」※所ジョージと共演

「リンクの冒険」のCMより。所ジョージさんと間下このみさん。 - 1985年 松下電器産業「エレック」
- 1989年 クリネックス「ソフィット」
- 1985年 国鉄「南紀ビーチ割引きっぷ」
ほか、
- 花王「ニュービーズ」
- ロッテ「アイスクリーム」
- デルモンテ「トマトケチャップ」
- 東京電力「深夜電力給湯器」

「東京電力」のCMより。 - ツムラ「日本の名湯シリーズ」
- ブックローン「ぺんたくん」
などに、出演しています。
「間下このみの前夫は?おしどり夫婦から一転し泥沼裁判を経て離婚していた!」に続く
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