1981年、26歳の時、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」のヨシオ役で出演し、翌年の1982年には、3人組ユニット「イモ欽トリオ」として、1stシングル「ハイスクールララバイ」でレコードデビューすると、
累計160万枚を売り上げる大ヒットとなり、一躍、人気アイドルの座に駆け上った、山口良一(やまぐち りょういち)さん。
そんな山口良一さんは、赤ちゃんの頃には、自家中毒で何度も命を落としそうになるなど、幼い頃は身体が弱かったそうですが、
やがて、落語に目覚めると、中学生の時には本気で落語家を目指し、高校2年生の時には桂米朝さんに電話で弟子入りを志願したこともあったといいます。
今回は、山口良一さんの、生い立ち(幼少期から高校時代まで)を時系列でご紹介します。

山口良一のプロフィール
山口良一さんは、1955年3月27日生まれ、
広島県広島市基町(現・中区基町)の出身、
身長167センチ、
胸囲95センチ、
胴回88センチ
靴のサイズは25センチ、
血液型はA型、
学歴は、
私立さくら幼稚園
⇒広島市立袋町小学校
⇒広島市立国泰寺中学校
⇒広島市立広島工業高等学校建築科卒業
趣味は、
バイク、トランペット、観劇、スポーツ観戦、マラソン、
特技は、
落語、和太鼓、
ちなみに、「山口良一」は本名です。
山口良一が幼い頃は虚弱体質だった
山口良一さんは、牛乳瓶を作る工場で働くお父さんのもと、2人きょうだい(2歳年上の姉1人)の長男として誕生したそうですが、
仮死状態で生まれたそうで、赤ちゃんの時には、自家中毒(周期性嘔吐症)で何度も命を落としそうになったことがあったといいます。
そのため、幼い頃は身体が弱く虚弱体質だったそうで、年に1度あるかどうかのすき焼きの時でさえ、ネギと白滝(しらたき)ばかり食べ、
お母さんに、
お肉も食べなさい
と、言われるほどだったそうです。
山口良一は高校2年生の時に桂米朝に電話で弟子入りを志願していた
それでも、無事成長した山口良一さんは、少年時代には落語家に憧れるようになり、中学生の終わり頃には本気で落語家を目指すと、高校進学後は落語研究会に所属したそうです。
(山口良一さんは、面白くて楽しければ、演劇でもラジオでも映画でも歌でもなんでも良く、自分が楽しめて、観ている人も楽しんでくれるものをやりたいと思っていたのだそうです)
そして、高校2年生の時には、大阪に行くと、桂米朝さんに電話をかけ、直接話をすることができたことから、弟子入りを志願したそうですが、
桂米朝さんには、
そない大事な話を電話でして来るんは失礼や
と、叱られ、
まだ高校生やったら帰ってちゃんと勉強しなはれ
と、諭されたそうで、
その時は、それ以上何も言えず、弟子入りをあきらめたのだそうです。
ちなみに、山口良一さんは、
この時もう少し粘っていたら落語家になれていたかも
と、語っています。
山口良一は高校3年生の時に父親が糖尿病で他界していた
そんな中、山口良一さんが高校3年生の時、お父さんが49歳という若さで、重度の糖尿病により他界されたといいます。
お父さんは、10年近く糖尿病を患っていたそうですが、牛乳瓶を製造する工場で働き、ドロドロに溶けたガラス液のすぐそばで、水を飲み、塩を舐めながら作業を続ける毎日だったそうで、
そんな過酷な環境が影響したのか、歯も弱わり、40代で総入れ歯になっていたそうで、
山口良一さんは、
早いうちに治療をすれば良かったのでしょうが、僕が病弱だったので、仕事を休めなかったんでしょう。
と、語っています。
「【画像】山口良一の若い頃は「欽ドン」で良い子!現在までの経歴は?」に続く
![]()




